開院の頃 (1)7月は当院開院の月である(2001年7月1日)。開院当時を知る職員も次第に少なくなったので、少し書いておこう。当院は、前身の四国勤労病院(当時174床:現きんろう病院)と梅ノ辻病院(当時64床:現梅ノ辻クリニック)とが両者の病床を持ち寄るかたちで統合し、238床の病院として新築、開院した。
いずみの病院という病院名は院内公募で決めた。数多くの提案があったが、いずみの病院という名に落ち着いたのは、おそらくはいずみのという地名由来の名称がシンプルで分かりやすかったのと、ひらがなからくる印象のやさしさが要因だろう。もっとも、いずみの(泉野)というのは元々からあった固有の地名ではない。秦泉寺と薊野という二つの地名から作った合成語である。東京で言えば谷根千(やねせん:谷中、根津、千駄木)みたいなものか…?
さて、その院内公募。私もいくつか応募した。中でも一押しは薊野里山病院(あぞのさとやまびょういん)というものだった。病院の建設用地をはじめて見たとき、北山から下りてくる幾筋もの尾根筋と、それに挟まれたように配置された田や民家の風情。高知市内ではあるが、この近辺は里山の典型的な光景に見えた。近年、人と自然の調和の観点から里山環境が注目されるようになり、それにあやかろうと考えたネーミングだった。他にも冗談交じりだが、高知虹病院(7色の虹は多様性の象徴)、サスティナ病院(サスティナブルからのもじり)など、今でいうSDGsっぽい、コンセプチュアルな名称案を数点提出した。
だが、今から振り返ると、このようにあまりコンセプトを気取った病院名はよろしくない。やっぱりいずみの病院が一番しっくり来るのである。
(来月に続く)