IZUMINO-izm 23年01月号より
水晶の精神

私が思うに、ジョージ・オーウェルは「見てしまった人」だ。1903年、イギリスのロウワー・アッパー・ミドル注1)の子として植民地インドに生まれ、母国の名門イートン校を比較的学費が安く済む「国王の給費生」として卒業。その後インド帝国警察武装警察官の職を得てビルマに赴任。大英帝国によるアジア支配の末端を担う。この経験で帝国主義を憎むようになった(つまり、仕事に嫌気がさしたわけだ)彼は、帰国後パリ、ロンドンで放浪生活を送りながら物書きの道を進む。

彼にとって決定的だった体験は1936年に発生したスペイン内戦である。左派人民戦線派とイタリアのファシストやナチス・ドイツの支援を受けた右派フランコ派とが争ったこの内戦に、オーウェルは人民戦線派の志願兵として参加した。注2)

だが、ちょうどこの頃は、世界の左派の中でソ連とその指導者スターリンの影響力が絶大であり、ソ連国内でも大粛清など苛烈な政治弾圧が吹き荒れていた時期だった。オーウェルは配属された部隊がたまたまトロツキストと目されたセクトに属していたので粛清の対象となったが間一髪、スペインから脱出できたのだった。ファシズムから民主主義を守る戦いとされた戦争の裏側では、嘘とデマゴギー、理不尽な政治弾圧がはびこっていたのだった。こうした彼の体験から、後に「動物農場」「1984年」という、スターリン体制をモチーフに描いた名作が生まれたが、これら作品には単なるスターリン体制批判を超えた普遍性があり、そのためいまだに世界中で読まれ、繰り返しブームとなり、また言論統制や監視社会、世論操作や権力者の詭弁論法などが話題となる度、決まってオーウェル作品が引き合いに出されてきた。

さて。オーウェル作品の中で、「水晶の精神」という私の好きな詩がある。スペイン内戦時、同じ営倉で握手を交わしたイタリア人民兵を偲んで書いたものだ。オーウェルが彼と会ったのはその時きりであり、名前すら知ることはなかった。オーウェルの身にその後ふりかかった出来事から考えれば、彼はたぶん間違いなく生還できなかった。以下は、この詩の最後の二節である。

きみの名前もきみがしたことも忘れ去られた
きみの骨が乾く間もなく
きみを殺した嘘も土の中に埋められてしまった
より深い嘘の下に
  でも、僕がきみの顔に見つけたものは
どんな権力も奪い去ることができないし
どんな爆弾だって砕くことなどできないんだ
その水晶のような精神は
 注3)

現代のウクライナの地にも、そして日本にも、あるのだろう。深い嘘も、水晶のような精神も……。


注1)「下層上層中流階級」の意。オーウェルが自身の出自を説明するのに用いた用語。
注2)この時の経験を書いたルポルタージュが「カタロニア賛歌」である。
注3)オーウェル評論集「あなたと原爆」(秋元孝文訳、光文社古典新訳文庫、2019年)より

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