IZUMINO-izm 23年11月号より
r>g もしくは m>w

ご存じの通り、ここ数年、円安傾向が続いている。円ドル交換レートは、この原稿を書いている11月初め、久しぶりに1ドル151円台となった。そして、これまたよく知られている通り、この円安ドル高傾向の主因は日米両国の金利差にあるとされている。投資家が利益のために高金利国の通貨を求め、円売りドル買いの動きを強めるため、円安ドル高が生じるのだとか。その結果、円安は輸入価格の上昇につながって物価高騰に拍車がかかり、庶民の生活は苦しくなっていく…。

このようなメカニズムについて聞くと、次のような想念が浮かんでくる。投資家とか投機家とかいう人たちは、資産収入を得ようと金を動かしている人たちだ。一方、われわれ庶民は、もっぱら賃金など勤労収入や年金収入を糧に暮らしている。私に言わせれば、投資家や投機家が利益を求めるのは好きにしたら良いと思う。その結果、彼らが儲けようが損失を被ろうが勝手だ。だが、資産収入を最大化しようとする人たちのそうした挙動によって国内外の経済が広範囲な影響を受け、そのせいでもっぱら勤労収入や年金収入を糧に暮らしているわれわれの生活が苦しくなるのだとすると、それはいかにも腹立たしく、理不尽なことではないのか、と。なぜなら、勤労収入や年金収入を糧に暮らすこと自体に何の罪もなく、しかもわれわれは資産所得者のそうしたマネーゲームにプレイヤーとして参加していないのだから…。ゲームに参加してもいないのに、負けゲームの代金だけ払わされるというのは、どうにも間尺に合わない。

で、こう書くと、思い起こされるのは、トマ・ピケティが実証データをもとに発見・提唱した「r>g」という法則である註)。rは資本収益率、gは国民所得の成長率であるという。乱暴に要約すると、GDPの伸びよりも資本家の儲けの伸び率の方が大きいのが資本主義の一般的傾向であり、だから資本主義下では基本的に所得不平等は拡大していくのだと…。

さて、「r>g」からの類推で、この頃私が感じるのは「m>w」の空気である。mとはmilitary、すなわち軍事。wとはwelfare、すなわち福祉だ。このところの世界のきな臭い空気に便乗して(?)、わが国でも「やはり防衛は重要だ」と、防衛費の大幅増が目論まれ、その反動で(?)医療・福祉予算には拡大抑制の圧力がかかっている。mとw、いったいどちらが「生命尊重」なんだろうと、私は思うのだが…。


註)トマ・ピケティ:21世紀の資本、みすず書房、2014年

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