走る快楽主義者(running epicurean)ここ数ヶ月、本紙「わたしイズム」欄では、ランニングを愛好する方の投稿が続いた。サブスリー1)を目指すとか、サブフォーを目指すとか、なかなかに頼もしい。ランニングに関しては私も付き合いが長いので、今回は少し、この辺りのことについて書いてみる。
付き合いの始まりは中学の頃である。私は陸上部で中長距離をやっていた。陸上部を選んだのは、球技が苦手だったから。中長距離を選んだのは、短距離で勝負できそうな気がしなかったから。いずれにせよ消極的な理由からであった。当時の中学中長距離の種目は今と異なり、800m、2000mの二種目だったと記憶している。三重県北勢地域の地区大会に何度も出たが、いつもビリから二番目あたりという成績だった。中学時代の唯一の勲章は、1975年三重国体の炬火リレーで炬火ランナーになったくらい。当時の陸上部員は3年生が2人。そのうちの1人である私がキャプテンをやっていた結果に過ぎない。
高校、大学では競技から遠ざかっていた。病院で働くようになった時、同僚にランニングおたくがいて、誘われてまた10〜20km程度のレースや駅伝に出場するようになった。ちょうどこの頃に出会ったのが、名著「ゆっくり走れば速くなる」2)である。以来、私のトレーニングはスロージョグ一本槍になった。1995年に来高してからも、年1〜2度程度のレース出場の習慣は続いた。
フルマラソンに初めて挑戦したのは42歳の時。42歳だから42km走ってみようかなという、軽いノリだった。以後、ほぼ年1度ペースでマラソン大会に出場している。ベストは49歳の時、3時間44分02秒というタイムだった。50代、60代と加齢による影響か、タイムが出なくなったが、ベストまであと28秒と迫ったのが57歳の時なので、案外と分からないものである。
さて、走る人は走らない人から往々にして「なぜ走る?」と不思議がられるものだ。私はなぜ走っているのだろう。タイムのため? 健康のため? タイムはたしかにモチベーションの源泉ではあるが、目的ではない。じゃ、健康のためかというと、少し違う気がする。私の場合、健康という抽象的な目的があるわけではない。ただ、ランニング習慣によって心身の状態が整っている感じが心地よい。この心地よさを得るのが目的というと、結構当たっている気がする。また、それより何より、走っている時、その瞬間が心地よいのだ。
人生に対する私の態度、その原理は、基本的に快楽主義である。
1)サブスリー(フォー)……フルマラソンを3時間切り(4時間切り)のタイムで走ること2)佐々木功:ゆっくり走れば速くなる、1984年