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アナと雪の女王 - Let It Go 正確な和訳、解説 高知市の学習塾 高知学芸塾 菜園場本部教室です。

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アナと雪の女王 - Let It Go 

Let it go     by Idina Mentzel

土曜日の夜、9:00に授業が終わって急いでイオンにいって見てきました。
アナと雪の女王」の字幕版。英語のタイトルは「Frozen」。
日本語吹き替え版では松たか子さんの歌がうまいと評判ですね。

映画の内容は予備知識を入れず、挿入歌の"Let it go"の歌詞だけ予習していきました。
まだ見ていない人は歌詞を予習してから見ることをお勧めします(今からここで勉強するわけですが)。歌詞に出てくるキーワードが会話に出てくるのでわかりやすくなります。
それはいいとして、松たか子さんの歌う吹き替え版の歌詞は英語の歌詞とはけっこうちがっています。
意味の正確さよりも、映画の中の主人公が歌う口の動きに合うような日本語を選ぶことを優先したそうです。ものすごく時間のかかる作業でしょうね。
→松たか子さんの歌うLet it go



↓世界25言語の吹き替えの人が代わる代わる歌っているやつ
→Let it go世界吹き替え版


英語の歌詞の中で意味のわかりずらい表現があったのですが、映画を見たら何のことなのかわかりました。
主人公のエルサには雪を降らせ、周りを氷にしてしまう特別な力をもっているのですが、その力を自分の力でコントロールできません。妹を氷の力で傷つけたことをきっかけに、周りの人を傷つけまいと部屋に閉じこもってしまいます。ところが、あることから妹にも他国の人たちにも力のことを知られてしまいます。宮殿を飛び出し、一人山奥へ行き、氷の宮殿で自由に生きようとします。
今まで自分の力を隠そうと努力し、コントロールできない力に悩まされ続けたことから解放されて、もう自由よ!これからはこの力を抑えようとはしないわ!これからは悩むことはなくなったよ!と開放感に喜ぶエルサ。そんなときの歌がLet it goです。



何年ぶりだろう、映画館に行ったのは久しぶりでした。
イオンの映画館は入り口が一つで、いろんな映画が同時に上映されていて自分の見る映画のやっている部屋に入ります。
最近の映画館のスタイルですね。一昔前はとても大きなスクリーンで2階まである大劇場が主流でした。菜園場商店街にも映画館があったんですよ。

30年ほど前の話になりますが、アメリカのミネソタに留学してたときに友達と映画に行こうと初めてアメリカで映画館に行ったことがありました。
その映画館がイオンのような小劇場の部屋が集まったタイプでした。
そしてどんな内容か全く知らないまま、たまたま見た映画がフラッシュダンス。もちろん字幕はありませんが、あまりにおもしろくて2度見てしまいました。
へー、アメリカはこんなんなんだ。だったら1日いれば1回の入場料で他の映画も全部見ることができるのかなあ、なんて思ったことでした。
入り口の売店で売ってたポップコーンを思い出します。
ゴールデントップといって、できたてのあたたかいポップコーンに溶かしたバターをかけたやつで、これがまたうまかったこと!
当時の日本ではどっかのお菓子会社が作った袋入りの冷たいポップコーンしか売っていなくてまずかった。それがあったかいし、バターをかけるなんて発想は想像を超える行為だったので驚いた覚えがあります。

もっと驚いたのが、アメリカ人はこのポップコーンをバケツの大きさの容器にやまもり買ってわきにかかえ、2リットルぐらいの巨大なコップに入ったコーラを片手に劇場に入っていくのです。そして映画を見ながら手をバターでベトベトにしながら全部たいらげるんですよ。
当時日本では200ミリリットルぐらいのビンかカンしかありませんでしたし、コーラは骨を溶かすので体に良くない、なんて言われていました。
それがあのサイズのあの量をみんな飲み食いしているのだから。
こいつらバカじゃないの!体がでっかいはずだわと思いました。
アイスクリームレストランに行って普通サイズをたのむと、1リットル分ぐらいの量のアイスが山盛り。こんなに食えるか!
健康のことなど全く気にせず、食べたい時に食べたいものを腹いっぱい食べるのがアメリカ人だと気づきました。

30年前、アメリカを見れば10年後、20年後の日本が見えていました。
映画館のスタイルもそうだし、夕食のための買物は当時日本では籐でできた買い物かごというものをみんな持っていて、夕方になるとお母さんたちは毎日買い物かごを腕にひっかけてその日のおかずを買い出しに行っていました。それが日々ふつうにみられる夕方の光景でした。
ところがアメリカでは家庭に巨大な冷蔵庫と冷凍庫があって、1ー2週間分あるいは1か月分くらいの食料を買い込み冷蔵、冷凍していました。
スーパーの形態も今では日本でも普通になっているショッピングカートを押しながらの巨大なスーパーに広い駐車場。アメリカではふつうでしたが当時の日本にはショッピングカートすらありませんでした。
スーパーで売っているものも、例えばコーラは当時日本では自動販売機で買ってもスーパーで買っても何円かしか違わなかったけど、アメリカのスパーではカンのコーラが10本か1ダースくっついていて3分の1ぐらいの値段だった。日本では売ってなかった1リットルや2リットル入りのコーラもあったし、4リットルぐらいのタンクに入ったオレンジジュースが200円ぐらいで売られていたり、牛肉が異様に安く、日本だと1000円以上しそうなステーキ肉が200円ぐらいで売られていた。あまりに安いのでこれは犬用のえさかもしれないと怖くて買えませんでした。今ならわかるけどアメリカは肉が安いんですよね。
薬以外に日用品も売っているドラッグストアも。巨大なショッピングセンターも。ケーブルテレビも衛星放送も。

唯一、今の高知にはいってきていないものは、地下電線でしょうか。
30年前のアメリカにはすでに電柱と電線はありませんでした。すべて地下に埋められているからです。道路で自由にたこ上げができていいなあ、なんて思いました。
高知の電線がすべて地下に埋められるのはまだ10年以上先のことになるでしょうね。

今アメリカに行けば、10年後の日本が見えるのかなあ。

若者よ、英語をしっかり勉強しておけよ。損になることはないぞ。
外国で暮らせば日本が見える。チャンスはボケーとしてたらチャンスに気づかない。
恐れずに海外に飛び出して学んで来い!


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