第13次派遣報告

 
日 時 : 201392日(月)~7日(土)
派遣先 : 東北教区被災者支援センター  エマオ仙台
松田直樹(今治教会)

2011年に東日本大震災が発生してから二年半が経とうとしている頃、私は思いがけない形で仙台の被災地へボランティアに行く機会が与えられた。四国教区から派遣される「エマオへの道」というボランティアの活動に東雲女子大学・短期大学の学生さんが参加するというので、その引率を頼まれたのである。しかし、ボランティアは全くの初めてであり、右も左も分からない。その上、学生の引率などしたこともないのに、大丈夫だろうかという不安はあったものの、まあ何とかなるだろうとの気持ちで出発した。

92日、松山空港から伊丹経由で、空路仙台へ向かう。引率する学生は四名であるが、予想以上にしっかりしていて、引率と言うよりはほとんど同行しただけであった。その日の内に、ボランティアの拠点である「エマオ」へ行って登録を行い、夕方の「ミーティング」と、「シェアリング」に参加する。大学が夏休みの時期であるので、参加者は大半が学生であった。

翌日から実際のワークに参加した。この時期のワークに多かったのは復興途上にある農家の農作業を支援するというものであるが、たまに、それとは違ったワークも入っていた。ワーク一日目は、津波で畑の近く流されてきた車を移動する作業があるというので、私はそれに参加することにした。畑の持ち主の方とのんびり会話をしつつ、車を動かそうとしたが中々動かない。元々古い車のようであるが、あちこち固まってしまっているのかサイドブレーキを外してみても車輪が回ってくれないのである。試行錯誤してみた末に、近所の方が手動の巻き上げ機を持ってきてくれて、それと人力を併せてなんとか車を数メートルであるが動かすことができた。数メートルであるが、おかげで、車が塞いでいて開けることが出来なかった物置の戸を開けられるようになった。業者に頼むと費用がかさむというので、今までそのままにしておいたということであるが、震災発生から二年半がたってもまだ、このようにそのままになっているものがあるということと、何人もが試行錯誤して何とかずらすことができた車を軽々と流した津波の力の大きさに驚かされた。

ワーク二日目からは農家で農作業の手伝いを行った。できれば同じ派遣先に継続的に行った方が、派遣先の人との関係が深まって良いと言うので、ワーク最終日まで同じ農家へお手伝いに行った。

作業の内容は、ほうれん草やちんげん菜の苗植えや、トマトの剪定、蔓の誘引であった。農作業はおろか、植物を取り扱うなど、これまでほとんどしたことがなかったが、苗植えについては、すんなり行うことができた。今は何事もなかったかのように、畑があり、ハウスが建っているが、かつては、家が流されてきてハウスが押しつぶされるなど、ここも被害が大きかったという。今は乾いた畑にはいつくばって苗を植えていると人間が土に生きている、ということをまざまざと実感した。穴を掘って、苗を植えて、そっと土をかぶせる、という作業をしていると、ちんげんさいに普段あまり興味はないが、苗を植えているとにわかに食べたい気持ちになった。

一方トマトについては技術と経験が要った。どれが残すべき蔓でどれが切るべき蔓であるのか、見分けるのが難しい。蔓を誘引するために上へ引っ張るのも気をつけないと蔓が折れてしまう。悪戦苦闘しつつも見よう見まねでなんとかお手伝いすることができた。

ワーク四日目にはお昼休みの時間を利用して荒浜の現状を見学しに行った。そこで、石碑に刻まれた、亡くなった被害者の一人一人の名前を見たとき、特に幼い子供の名前を見たとき、怒りとも悲しみともつかない、悔しさのような感情がこみ上げてきた。天災であるから怒りの向けようがない。しかし天災であるから仕方がないなどとは絶対に言いたくない。

色々な学びのあった四日間のワークを終え、最終日は「エマオ」の掃除をしてから帰路についた。学生のうちに東北に行けなかったため、絶好の機会として、自分につとまるかどうかもよく考えずに飛びついたのであるが、結果としてなんとかワークを行いそして、頼りないながらも引率役として学生さんを無事連れて帰ることができた。


「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
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