「エマオへの道・四国」派遣による宮古へのボランティア活動に参加して

 
―― 201312.3~6 岩手県宮古市にて ――

報告者:日本基督教団 屋島教会 立道千津 松江啓子
(四国教区エマオへの道・四国第15次ボランティア)

1.日程 
  123日(火)745分高松出発、バス・旅客機・JRにて1855分宮古着。
 
124日(水)~126日(金)930分まで宮古に滞在。

(※ ボランティア活動の期間は正味2日間)

2.滞在中の主な活動内容

 ①日課:午前710分~810分:宮古小学校の通学路での交通整理と挨拶活動
  ②被災時のVTR視聴と被災地視察:被災時と現状を知り、今の人々の思いに触れる
  ③食料等の買い出しと食事の準備、片付け、清掃等
  ④YMCAボランティアセンターに集う人たちとの交流:食事会や日々の雑談を通して
  ⑤仮設住宅の人たちとの交流:仮設団地の訪問、魚菜市場への買い物を通して

  ⑥宮古教会の教会員との交わり:ご自宅訪問、聖書研究・祈祷会への参加を通して

  ⑦宮古教会付属の「ひかり幼稚園」訪問

3.活動を通して感じたこと

2.①の日課

毎朝通学路で出会う小学生の礼儀正しく人懐っこい愛らしさ、通勤中の人々の必ず返して下さる丁寧な会釈等、この地域の人々の実直な感じが伝わってきました。この活動では、毎朝一緒に通学路に立って下さるご近所の老婦人との出会いがありました。

全国あるいは外国からも来てくれるボランティアたちとの触れ合いが楽しみのご様子で、私たちもお宅の玄関一面に張られた紙にサインをさせていただきました。時々教会の礼拝にも出席されているそうです。

 ②のVTR視聴と、津波の被災地視察

  到着の翌日、早朝の日課を済ませ、朝食後、津波に襲われた時、宮古市庁舎5階に避難していた市の職員が撮っていたVTRを視聴させていただきました。

今まで何度もテレビで視聴してきたはずなのに、潮が引き、そして押し寄せてくる津波の生々しさ、街が破壊され、人や車が飲み込まれていく恐怖。上階からは見えていながらどうすることもできず、「ああ~っ!ああ~」「なに、これ…!」と、繰り返し茫然自失の声を発することしかできない状況が、深く胸を衝いてきました。

  私たちは今年6月にも、田老地区の防潮堤などいくつかの場所を視察していましたが、その後を再確認することができました。景色にそれほど変化はありませんでしたが、半年で瓦礫はほぼ無くなっていました。

ここで、特筆すべきは、あの唯一建物が残っていた、田老観光ホテルの松本社長さんにお会いできたことです。6階建ての2階までが完全に津波にさらわれ、鉄骨がむき出しになった建物は、5階まで波をかぶり、6階だけが原型をとどめている状態です。

建ててまだ20年そこそこのホテルは、土台がしっかりしているので、倒壊の危険はなく、このままモニュメントとして残されるそうです。

  その6階に案内され、当時そこに避難した社長さん自らが撮影したVTRを見せて下さいました。時々、社長さんの「お~い、早く逃げて!」「ああ~、あの車はどこに行ったんだ!助かったのか?」と言う声が入り、恐怖で時々画面も乱れています。

  視聴後、社長さんが懇々と語ってくださったのは、

「この田老地区は、防災の整った堅牢な街だと言われていたし、当初3mの津波だという情報でたかをくくっていた人たちが逃げ遅れて181人が命を落としました。逃げるチャンスもあったはずなのに、逃げなかった人たちは亡くなってしまった。逃げた人はみんな助かっているんです。この地区では、昭和8年の大津波の経験を伝えてきた家族は助かったけど、恐ろしさを知らない人たちが助からなかったんです。どんなところでも、逃げること、自分の命は自分で守る意識が大切です。」ということでした。

  これほどの大変な目に遭いながらも、社長さんは従業員やお客さんのために、風光明媚な高台にホテル再建をめざして頑張っておられます。来年夏にはオープンの予定だそうで、再建されたらぜひ再訪問し、宿泊したいと思いました。

 ③食事や清掃  ④センターに集う人たちとの交流

被災当初、宮古教会が支援物資の保管・配給場所であり、ボランティアの人たちの生活拠点になっていたことから、それまで教会に無縁だった人たちも教会に物資を得るため、あるいは活動を手伝うために来るようになり、自然と教会にも親しみを持ち、その空気になじんできたという過程がうかがえました。

さらに、YMCAボランティアセンターが教会の隣り合わせに建ったことによって、ますます教会とのつながりが強くなり、心の疲れた人や孤独を抱えた人、誰かの役に立ちたいと思う人など、さまざまな思いを持った人々がセンターに吸い寄せられるように集まってきているように思われました。

たとえば、両親を亡くし、たった一人の兄と離れて暮らす独身青年Hさん、国の復興事業の工事のために派遣され、関西から単身で来られた熟年男性のMさん、自ら被災しながらも度々センターの手伝いに来られ、きつい冗談も言いつつムードメーカーで働き者の中年女性Cさんなどです。

  このような環境下のセンターで、私たちも到着した夜は、料理好きのH青年が用意して下さった鍋をいただきました。そして、お土産に持参した自家製の梅干しが好評を博したのに気を良くし、あれこれ食談義を手始めにして盛り上がり、一気に打ち解けていくことができました。翌日からは、私たちが食事の支度をすることになり、買い出しや準備をしたりすることで、街の様子や人々の暮らしをうかがい知ることができました。

午前中のマーケットにはご高齢の方々が大変多く、買い物ワゴンをかき分けて品物を探すのに一苦労でした。また、四国では目にしない食材や新鮮な魚介類の安さには驚きました。このように食にかかわることや清掃など当たり前の日常を味わい、食事を通して人々と豊かな交わりができたのは大きな喜びでした。

 ⑤仮設団地の人々との交流

  滞在2日目は、ちょうど仮設団地の人たちと魚菜市場に買い物に行く計画がされていました。私たちは午前中、清掃と買い出しを役割分担してそれぞれの活動をし、夕飯のバラ寿司づくり等に励みました。

昼食後、新車のマイクロバスで仮設団地に向かいました。団地は、大きな川向こうの狭い農道をくねくねと登って行った、辺鄙な場所にありました。小学校の運動場だった場所に、下の集落から70数戸のご家族が移住しているとのことでした。

  お世話係の自治会長さんに、「集会の折に皆さんで」と、お土産のささやかな茶菓等をお渡しして、魚菜市場に向かいました。初めての試みでPR不足だったためか、参加者が少なく、まもなく1歳になるお孫さん連れの婦人と、そのご友人の婦人お2人だけの買い物ツアーと相成りましたが、道中お話が聞けてよかったと思います。

  お孫さんのお母さんはシングルマザーだそうで、被災地ではこのような若い単親家庭も多い様子がうかがえました。また、仮設の一戸あたりの間取りは、独居の場合はミニキッチンとバス・トイレにわずか4畳半のみで、複数人数は4畳半2間とか、わずかに居室が増えるだけだそうです。各家は長屋を薄い壁で区切られており、決して快適な暮らしは望めません。

  「それでも、ここはみんな仲がいいから住みやすいんですよ。それに高齢者が多いから、今さら家を建てる気もおきないしね…。」と、先行きに不安を感じるお話に、胸が痛みました。それなのに、「遠いところからわざわざ来て下さって、ほんとにありがたいことです。」と、私たちを気遣ってくださり、逆に申し訳なさを感じました。

  かわいい坊やを囲んで、和気あいあいとドライブや買い物を楽しみ、少しでもくつろいだ気分を味わっていただけたようで、付いて行っただけの私たちもほっとしました。

  そして、魚菜市場では、バザーの物産を送っていただいてつながりのできた、商店主の方々にお会いでき、「ああ、屋島教会の!」と歓迎してくださったことが、嬉しいことでした。(あいにく、一番お世話になっている平井さんやハニー食品の竹花さんに再会できなかったのが少し心残りでしたが。)

⑥宮古教会員との交わり

 合間を見て、6月にお会いしたことのある、教会員のご婦人をお訪ねしたり、聖書研究祈祷会に参加したりすることができました。「忘れ去られることが一番つらいんです。だから、忘れずにいて下さったことが嬉しい。」と、みなさん大変喜んで下さり、心からお訪ねしてよかったと思いました。 

 再会を喜びあい、“主にあって一つとされる”ことを実感しながら、共に賛美歌を歌い、森分先生のお話を拝聴し、嬉しい心和むひと時を過ごせたことは、大変感謝でした。

⑦ひかり幼稚園の訪問

 最終日の朝は、森分先生に現在のひかり幼稚園と、教会隣接で再建される新たな移転先を案内していただきました。巨額な資金を必要とする大きなプロジェクトに、私たちも面喰らいましたが、どうか主の祝福と援けがありますようにと祈りつつ、私たちも応援を続けたいと思いました。園児たちの愛らしさにすっかり心奪われ、立ち去りがたい思いで胸いっぱいになりながら、宮古にお別れしました。佐々木副園長先生にもすっかりお世話になり、本当に感謝に堪えません。ありがとうございました。

さいごに、

宮古の盛岡YMCAボランティアセンターの木田さん、斎藤さんには、ボランティアどころか、かえってお手間を取らせてしまった私たちを温かく受け入れていただきました。

ご一緒に食事をしたり、楽しい時間を共有したりするうちに緊張も解け、とても貴重な体験をさせていただくことができました。滞在中は、「これがボランティアと言えるのか?」と自問自答し、心苦しい思いがずっと胸に渦巻いていました。考えてみれば、わずか数日の滞在で何かができると思うことが浅はかだったと思います。

しかし、センターの木田さん、斎藤さんをはじめ、宮古教会の森分牧師や老若男女を問わずセンターに係わって来られる方々との出会いに、考えさせられ、気付かされることも多く、新たな課題や目標を見出せたように思います。

私たちの想像をはるかに超えた試練に遭いながら、教会・幼稚園移転やホテル再建のために奮闘されている森分牧師、元田老観光ホテルの松本社長さん、ご近所のお店や市場の方々、家族を亡くされ独居生活をされている方々、仮設の暮らしに耐えておられる方々と直接お会いし、御様子をうかがえたことは大きな収穫でした。

今後何らかの支援活動をするにも、本当に必要とされていることをしっかりわきまえ、自分の身の丈に見合った、心からのご奉仕をしていくことが大切だと感じました。一過性に終わることなく、かの地をずっと思い続け、できることを続けていきたいと思います。

私たちは宮古で、食べ物のおいしさは言うまでもなく、海、山、夜空の美しさなど、自然の魅力を満喫しました。この短期間に、私たちがお会いした方々は限られていますが、彼らに象徴されるように、出会う人出会う人がみな一様に親切で心温かく、ますます宮古が忘れられない土地になりました。宮古はお訪ねするにも丸1日がかり、たどり着くのがやっとという大変遠い場所ですが、またいつか機会を見つけて、気負うことなく自然体でお訪ねできたらと思います。

どうぞ、みなさまに主の祝福が豊かにあり、健康と平安が守られますようにと、心から祈っております。


「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
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