被災者支援センターエマオでの報告

 
日 時 :2014年6月10日(火)~14日(土)
派遣先 : 東北教区被災者支援センターエマオ
栗崎厚子(丸亀教会)

四国教区の皆さまのお祈りとお支えで仙台へ行かせて頂け心より感謝いたします。

日程:2014年6月10日(火)丸亀出発、6月14日(土)仙台発つ。

6月10日

 自宅を7時45分出発、16時15分JR仙台駅到着。新幹線から見える景色には被災を窺わせるものはなにもなかった。センターには30分頃に着き、受付の為に2階へ。丁度ワークの終わりのミーティング中だったが、中へどうぞと言われミーティングに入れて頂く。自己紹介をして皆さんの報告を一緒に聴かせて頂き、輪になって祈り終了。その後受付、オリエンテーション。震災前と震災後2ヶ月の動画をPCで2本見ながら説明を受ける。
 名札の付け方、仮設住宅での対応の仕方等スタッフが丁寧に説明をして下さった。
 私はエマオの隣にある青葉荘教会に、夫はエマオ右横のマンション105号へ宿泊させて頂くことを聞く。105号はエマオの活動を共感された方が無償でワーカーの為に貸して下さっていると聞く。 既にワークに来られていた西東京教区のいずみさんが青葉荘教会に案内して下さり、ワーカーが使用してよい場所の説明をして下さる。善意で泊めて頂いているので、洗面所のペーパータオルの使用はしない等細やかに教えて頂く。いずみさんはひと月ごと仙台、石巻と交互にワークに来られている方。また川上教会のちえみさんともお会いし、スタッフの畑屋さんと5人で夕食。自転車に乗れない私に合わせて下さり、銭湯に歩いて行く。道すがら四国の先生がこちらに来られていることが分かり、いずみさんが会いに行こうと言われ、ちえみさんと私は連絡もせずにいいのかな?と。震災直後東六番丁教会も宿泊先だったから、お礼方々私もお会いしたいと言われる言葉に、お会い出来たら嬉しいとなり訪問。中本純先生にお会い出来会堂を見せて下さる。色々お話をさせて頂き中本先生に見送られながら銭湯に行く。感謝。

6月11日

ワーカー:いずみさん、ちえみさん、朝到着の西東京教区のせつこさん、私達夫婦、そしてスタッフ2人。

 7時55分集合でラジオ体操の為に七郷中央公園仮設に行く。集会場で何十年振りにラジオ体操をする。第1、第2と結構いい運動になる。体操しながら「ピー」「よいしょ」と声を出しながらの体操。その後お茶っこで仮設の方々のお話しを聞いたり、日本地図で丸亀にピンをさし、様子を見ながらお話し出来る頃に次へ移動の時間が来る。次は一番小さい世帯の荒井仮設へ。今度はうたっこ。お二人の方が待っていて下さる。昭和の歌謡曲や唱歌等21曲一緒に歌う。いずみさんのアコーディオンの伴奏で「星影のワルツ」や二宮尊徳の歌など色々歌った。お二人はたった二人の為に申し訳ないと何度も言われる。いずみさんが「一緒に私達が歌いたいの」と笑顔で返される。12時頃にちえみさんと私達はフィールドワークの為に荒井の仮設から閖上、荒浜の被災した場所を見に行く。津波が押し寄せてきた所は本当に何もない。しかし近づくと土台や門扉のかけらがあり、遠くからポツンと建って見える家は近くに行くとカーテンは千切れ、窓ガラスは割れとても人の住める状態ではない。閖上はチリ地震の被害がなかったので、3年前の時にあんな被害を誰も想像していなくて、逃げ遅れた人達が大勢おられたと聞く。テレビに映し出される映像と違い、そこに多くの人達が住んでいたことを強く感じると、心が痛くなり涙が出て止まらない。お天気が悪かったので海がはっきり見えなかったが、1軒1軒家が建っていて生活がここにあったのに、本当に何も残っていないということを実感する。閖上中学では、家族を心配して自宅に戻り津波に流された生徒の名前が碑に書かれていた。養護老人ホームも津波の後がすさまじく、裁判中の為そのままで残されていた。閖上では5メートルの土を積み上げる計画があるが全員の賛成が得られず、計画が中断していると聞く。家族がまだ帰って来てないのに、土を積み上げると帰れなくなると反対されていると。3年経ってもまだまだ痛みが消えない人が多くいる。ワーク初日が11日だったので、荒浜の橋が途中で壊れている場所で祈り会をする。午後2時46分地震が来た時間、毎月11日に荒浜で祈り会をしているそうだ。この祈り会に佐藤先生はじめスタッフ全員とワーカー皆が集まる。11日にワーク参加させて頂けたことを感謝。荒浜のエマ笹(エマオ笹屋敷)で明日のワークの説明、このエマ笹がどのように出来たのかスタッフの千葉さんがお話しして下さる。フィールドワーク終了後センターに帰りミーティング。それぞれワークの報告。仮設の方々の表情はどうでしたか?と聞かれる。エマオが被災された方々に寄り添うことを大事にされていることが、このミーティングで分かる。私はお茶っこの様子を報告。各報告後手を握り輪になって祈り終了。昨日もそうだが近隣の教会婦人会の方が作って下さった食事を頂く。

6月12日

 昨日と同様7時55分出発、ラジオ体操に。今日は香港のキティと東神戸の横山牧師もワークに参加。ラジオ体操、お茶っこ後、その後エマ笹へ(千葉さんがエマ笹と呼び方を教えて下さる)。ハウス草抜き、仮設でのゴーヤ植え・お茶っこの二手に分かれることに。希望を聞いて下さる。ハウスは歩いて行ける所と聞いてハウス草抜き希望。雨が降っているので車で中林さん宅へ。着くと「お茶飲んでて」と言われ、作業前からお茶をご馳走になる。センターでゆっくりペースの方にはゆっくりと、と言われていたのを思い出す。いずみさん、せつこさん、私達4人でお茶やお菓子を頂いた後、むつこさんの車でハウスまで行き、長芋・さつまいも・牛蒡のハウスに。このハウスは復興支援のハウスで決められた期間に植え付け・収穫しなければいけないと聞く。雨が段々激しくなるがハウスの中なので、時々頭の上にポツンを雨が落ちてくる程度。ただハウスなので雨音がとても強い。地面は雨に濡れているので長靴が重たくなる。自宅から長靴持参して正解!と重い荷物を持ってきたかいがあった。むつこさんから「お昼にします」と声がかかりご自宅へ戻る。長靴に付いた泥をハケで洗い流し玄関へ。温かいお味噌汁やお野菜のご馳走をご準備して下さっていた。コンビニのおにぎりの昼食が豪華な昼食に。色々おしゃべりしながら、丸亀から来たことを伝えると「以前、丸亀から若い男性で目の大きな先生が来てたわ」となり、それは私達の教会の岡田先生ですと申し上げる。ちょっと嬉しくなる。午後雨脚はひどくなるがずぶ濡れになることなく、午前の続きの草抜き。途中からちえみさん達も加わって下さる。ワークは3時までと決められているようで、むつこさんが「終わりにします」と声を掛けられる。抜いた草を捨てに行き、むつこさんの車でご自宅に戻り、同じように泥を洗い流し室内へ。お茶とヨーグルトをまたご馳走になりセンターへ帰る。ミーティングでワークの報告をする。いずみさんが今日の夜行バスで帰ると挨拶される。また、ちえみさんが明日朝帰るので挨拶される。いずみさん、ちえみさんとは最後の夕飯を一緒に取る。

6月13日

 7時55分集合してラジオ体操に。お茶っこの後にエマ笹へ。千葉さんよりむつこさんのハウスと細谷さんのハウス。どちらも草抜きと聞く。細谷さんハウスは自転車でないと行けないとのことで、今日もむつこさんのハウスを希望。今日は昨日と違いとても天気が良い。27度まで気温が上がると聞く。歩いてむつこさん家へ「ピンポーン」。「洗濯物干し終えるまでお茶飲んでて」と言われ、今日も先にお茶とお菓子を頂く。その後むつこさんの車でハウスへ。昨日の続きの草抜き。ハウスの中はとても暑く少ししたら汗が流れ落ちる。中腰の状態よりも汗が噴き出すことの方がしんどい。千葉さんから「無理をせずに自分のペースで休憩を取るように」と注意を受けていたので、目に汗が入るようになると立ちハウスの外へ。外は風がありほっとする。汗を拭き水を飲み草抜きに戻る。これを繰り返す。午後3時近くにむつこさんから「もう少しいいかな?」「千葉君に怒られるかな?」と言われるので、「私達は大丈夫です」と返事をし草抜きの後、雑草が生えてこないように、黒のビニールシートを敷く作業をする。杭の打ち方を教えて貰い畝と畝の間に黒ビニールシートを敷く。3時20分頃には完了。むつこさんに見て頂き終了。二日間がかりで草抜きをして最後にシートを敷き、このハウスの作業が完了。素人作業で本当に役に立ったか分からないが、むつこさんの「助かったわ」の言葉にほっとする。帰り際にトマト二つを持たして下さった。お一人で沢山のハウスの世話は本当に大変と思った。
 エマ笹へ歩いて戻ると千葉さんとせつこさんがもう戻られていた。遅くなったことを詫びてセンターに戻る。ミーティングで今日の報告をし、最後に夜東京へ戻るせつこさんが挨拶され、翌日朝センターを出る私達も挨拶をさせて頂く。今夜は一人で宿泊と思っていたら、夜兵庫教区事務所の方が土曜日だけだがワークに来られ、三人で銭湯へ。

※仮設でのお茶っこの時に、仮設の大きい所はイベントや講習会が毎日開催され、色々教えて貰え、それが現金収入になっていると聞いている。しかし七郷の仮設にはエマオさんしか来てくれない。同じ荒浜の被災者なのに、働きたいのに機会がない、手作業したくても教えて貰えない。仙台市民の8%しか被災していないから、自分達の想いが市に伝わらないと嘆いておられた。また、千葉さんから仮設の中で貧困の差が出ていることもお聞きした。四畳半二間の仮設で隣の声が聞こえる状況では勉強したくても集中出来ない。仮設の子ども達の学力が下がっていると。子どものことを考え仮設を出て行く事が出来る家族と、そうしたくても出来ない家族がいる。また、子ども達がよく訪ねて来れる人、逆に誰も来ない人。復興住宅(マンション)が建ち引っ越して行ける人、その抽選が当たっても狭い団地暮らしは嫌だと断る高齢者。宅地分譲も始まり5年経つと自分の物になるが、残りはローンとなる為若い人しか手を出せない。震災から3年が経ち抱えている問題が少しずつ変化してきている。四国にいては分からない問題が仙台に行き見えて来た。テレビで見る仮設と実際住んでおられる仮設では大きな違いがあることもわかった。

※宿泊先として教会に泊めて頂いたお蔭で、他教区、他教会の方と交わりを持つことが出来た。震災直後からワークされてきたいずみさんから直後は100人近いワーカーがいたこと。野田先生と菅原さんとの出会いが今のエマ笹に繋がること。せつこさんからは仮設の中での力関係があること、○○さんがいる時は体操しない等、狭い中でのコミニュテー作りの大変さがあることを知った。そんな中でエマオのスタッフが寄り添う姿、仙台から遠くにいても被災された方を覚えていることを伝える大事さを教えられた。

夜遅くまでお互いの教会生活や同じ女性としての話など出来て、とても恵み多い日々でした。

※カトリックの方が、センターのスタッフのカウンセリングの為に呼ばれたそうで、12日に来られていた。松山ご出身とのこと。確かにスタッフの精神的フォローは必要だと思った。スタッフの心が疲れてしまわないようにと配慮されていた。必要なことだと感じる。

 仙台に行きたいと思って3年の時が経ちました。でも、私にはこの3年が必要な時間だったのだと思います。欠けの多い者を用いて下さった主に心から感謝いたします。また、こういう機会を与えて下さった四国教区の皆さまに本当に「ありがとうございました」。


「エマオへの道・四国」
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