東北ボランティア ピザ&ケーキ隊報告

 
多度津教会 福田 哲
 8月19日(日)~22日(水)に派遣されたピザ&ケーキ隊の報告をいたします。参加者は福田哲(多度津教会牧師)、三浦永悟(松山城北教会牧師)、廣末早映(高知中央教会信徒)の3名でした(石巻では東雲短大の学生が合流)。

企画
 体一つで被災地に赴き、現地の求めに応じてボランティアをするのも尊い働きですが、こちらから得意なものを提示し、それを必要なところに持っていくという支援の仕方もあるのではないかと考えて企画しました。これなら企画次第で年齢や人数も気にせずに身の丈に合った支援ができます。ちょうど森分望先生やボランティアに訪れた方々の報告から、被災地の方々が“忘れられる”ことを心配していることや1年以上経っても遅々として進まない復興に疲れていること、だんだんとイベントなどを興して励ます機会も増えていることを聞き、ピザとケーキのコラボレーションなら、子どもから大人まで楽しんでいただける、今がその機会ではないかと東日本大震災被災支援小委員会に提案し、これを受け止めていただき、今回の派遣となりました。

8月21日(火)に石巻栄光教会で夕涼み会が行われると聞き、そこで出店させていただくこと、この機会に奥羽にも足をのばし、かねてから覚えていた宮古教会にもお届けすることを計画しました。準備を進める中で、宮古教会森分和基先生から、「宮古教会と八幡浜教会との関係は深いが、四国教区からの支援と言われてもまだピンと来ない方が多いと思うので、支援というよりは交流として、ここから何かが始まるようにしてはどうか。」との申し出があり、宮古におけるイベントは、「四国教区と宮古教会・ひかり幼稚園との交流会、夏休みさよならパーティー」として行うことになりました。お昼を挟んでイベントを行って交流をし、午後は宮古地域の被災状況と現状を見てお話しを伺い、今後の支援の在り方を検討するということで計画がまとまりました。

8月19日(日)
 それぞれ礼拝があるので、午後7時までに花巻に集合という予定が、3人のうち2人が遅刻して到着しないという、前途に不安を覚えながら始まりました。なんとか日付が変わる前には宮古に到着。和基先生にまず教会を案内していただき、被災時の写真と現状を見比べながら、説明を受けました。以前にも被災直後の写真を見せていただきましたが、写真ではわからない実際の広さを感じ、この広い空間で椅子やオルガンまでが巻き込まれる津波の威力に改めて驚きました。

8月20日(月)
 日付が変わってすぐ、イベント会場となるひかり幼稚園に移動しました。ひかり幼稚園は教会より高台にあり、津波の影響は少ない所でした。3人は早速、ピザ生地&ソース作り、食材の仕込み、ケーキ作りに分かれ、夜を徹して準備に取り掛かりました。生地の発酵待ちやケーキを焼いている間に仮眠をとり、早朝には魚菜市場に出かけ、野菜や肉類など、新鮮な食材を現地調達しました。魚菜市場は想像以上に活気を取り戻している感じがしました。

イベントは、園児とご家族を招いているので、お金はとらず、バイキング形式で好きなものを好きなだけ取っていただく形にしました。

開始の午前10時、ほとんど人がいません。若干不安な汗をかきながら待つと、少しずつ来場者が集まってきました。初めてのイベントなので、皆不思議そうな面持ちでしたが、食べ始めれば子どもも大人も喜んでいる様子でした。1人1個であれば約50人分のケーキは開始1時間で終了、ピザは段ボールエコオーブンの製作に手間取り、結局調理場のオーブンを使って提供し続けました。午後1時の終了まで、絶え間なく人が出入りし、元気な子どもの姿とご家族が談笑している様子を見ることができました。その合間に被災地の方々の復興に対する思いなども伺いました。みんなが被災者なのに、被害の大小によって、親戚同士であっても心の摩擦が起こっているなどの苦悩があることも知りました。

午後、和基先生の案内で宮古市内、田老地区の被災地をまわりました。街中は復興が進んでいるようにも見え、車の通行なども震災前より多いかもしれないとのことでした。しかし、所々に見える草が生えた空き地は、実は家が建っていた所なのだと聞かされた時は、その範囲の広さ、多さに胸が痛みました。人間が造ったものは壊れ、そのままにされたものもありますが、そこから新たに自然の命が芽生えているところもあり、何とも表現のしがたい思いになりました。

夕食は宮古教会の役員の方々と会食という形をとっていただきました。被災時の大変な様子を改めて伺いました。また、これを機会に宮古教会と四国教区でどのような交流をしていくことができるかということも話されました。距離の離れたお互いですが、こうしたイベントを点で終わらせるのではなく、線としてつなげていきたいという思いを交わしました。四国にも近い将来起こると言われている大地震&津波、「その時は3日で駆けつけるよ」という和基先生の言葉に、実際に被災された方の言葉の重さを感じ、大きな励ましを得ました。

夕食後、宮古教会の牧師館で休憩をとり、和基先生のご厚意で睡眠もとらせていただきました。

8月21日(火)
  午前3時に起床、まだ寝静まっている宮古の地に別れを告げ、次のイベントの地である石巻に向けて出発しました。途中休憩をとりながら約5時間半の移動の間、だんだんと夜が明けて目が慣れてくるにつれ、津波の被害のすさまじさを目の当たりにしました。主要道路はほぼ復旧しているようですが、所々迂回をさせられ、本来通るべき方向を見てみると、橋が途中で落ちていたり、道路がえぐり取られたように無くなっていたりしました。町の大きな建物は、表からは一見何事もなかったかのように見えますが、通り過ぎて後ろから見ると、壁も何もかも無くなっていたり、地上数階までは鉄骨しか残っていなかったりと、津波の高さ、威力は想像以上のものでした。樹木の様子などからも、自分たちが通過している道路の海側だけでなく反対側奥深くまで、津波が及んだことが分かりました。また、一部の地域ではコンビニがプレハブで営業をしていました。おそらく、小さな町では買い物がそこでしかできないのでしょう。

 多くの衝撃を受けながら、それでも石巻に入る頃にはちょうど通勤時間、車も増え始めました。朝の集会が始まっているところに到着。エマオ石巻の指示を受けながら、準備にかかりました。まだ夏休み中ということもあり、多くのボランティアで賑わっていました。海外からボランティアに訪れた方もいました。

 夕涼み会はいくつかの屋台の出店やイベントがあり、その一コーナーをいただいて、ピザ&ケーキの販売を行いました。ピザはやはり段ボールエコオーブンの稼働が思うようにいかず、生地もその時の気候により微妙な違いが生じ、苦闘しましたが、提供できた分は好評でした。ケーキも約60人分が完売。簡単な焼き菓子程度を想像されていたようで、ガトーショコラやフィナンシェなど、本格的なものを提供して驚かれました。夕涼み会は地元の方などで、300~400人が集まりました(主催者発表)。人の出入りが多かったので、思うような交流とはいきませんでしたが、所々でお話しを伺うことができました。

イベント終了後は、他のボランティアの方々と共に石巻栄光教会に泊まりました。

8月22日(水)
 朝の集会後、使わせていただいた石巻栄光教会を皆で大掃除。その後、ボランティアの方々がフィールドワークへ行く準備をされる中、私たちはまた車で仙台へと向かい、仙台駅にて解散しました。

評価と反省
 よく病人をお見舞いして逆に励まされた、という話を聞きます。今回も被災地を訪れ、そこに住む方々の、ここで生きていくのだというエネルギーを感じ、力を与えられました。そして「何かをしてあげる」というような支援ではなく、「思いを共有する」ことの大切さを学びました。そこでこそ本当に必要な支援が見えてくるのではないかと思います。また、イベント自体はよかったのですが、そうしたイベントに出て来られない、出てくる気力がない方々もいることを覚えなければなりません。孤独にならないための支援も考えていく必要があると思います。

 反省点としては、やはり事前準備の大切さです。何度か連絡を取り合いましたが、初めてのイベントであり、なかなかお互いにイメージがわきにくい部分があったと思います。イベント全体の流れはともかく、場所や時間の使い方、器具についての打ち合わせはもっと重ねるべきでした。あとは自分の力量の範囲内で無駄のないようにできる計画をたてること。皆の祈りによって集められた献金で送り出していただいていることを考えれば、無駄なく、無理しないことが重要です。

 

 和基先生をはじめ、被災地の方々は、外から人が訪れるたびに、当時を思い起こし、説明を繰り返さなければならないことは大変な負担だと思います。しかし、だからこそ、なんとか状況を知ってほしい、という思いが強く伝わってきました。わたしたちもまた、「被災地を忘れていないことを忘れないでほしい」と思うものです。今回の派遣が何かのきっかけとなり、距離や年齢、金銭的負担などを超えて、「今自分にできること」から新しい動きを生み出すことができれば幸いです。

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
emaoshikoku@gmail.com