<8月26日(金)>
活動初日なので、毎日のルーティンも合わせて報告します。
6:30 起床。コンビニで、昼食の弁当とお茶2Lを買い、自転車でエマオへ。
お茶2Lは、エマオの指示による。ワークの現場にも自販機などがあるが、何十人ものボランティアが買い占めて、住民の迷惑にならないようにとの配慮がある。
エマオ到着後、用意されているシリアルで朝食をとる。エマオからのサービス。
8:05~ ミーティング
今日のボランティア数 46名。
ワークの場所、内容、必要人数が発表されて、希望者が募られる。
今日は仙台市内が雨でワークの現場が限られたため、7か所、約30名が現場へ。
残ったボランティアは内勤(センター内の整備など)
四国組は4名とも、石巻を希望した(石巻の現場も、津波で浸水した区域)。
ミーティングの最後に、全員が手を繋いで輪になり、祈祷が献げられて、出発。
8:40 石巻組は25名が3台の車に分乗して出発。広瀬、成田は募集により運転手を志願。
10:30頃 石巻着。4つの現場に分かれる。ワーク時間は、11時~16時
ワーク内容:岡田>畑の雑草抜き。耕作再開のための下準備。
成田>水産加工会社の備品清掃。営業再開の準備。
上島、広瀬>個人宅の細かい瓦礫の撤去と敷地内の雑草抜き。
広瀬の現場は、重機により家屋が撤去された後、細かい瓦礫などが残され、津波で流れ込んだ土砂に雑草が茂っていた。雑草を根から掘り起こすと、土砂の中から瓦礫や生活用品が出てくるので、それを回収し、また雑草を掘り起こすという作業を繰り返す。生活用品は、ほとんどゴミとなるが、中には、保険証書、年金手帳、写真等の「お宝」もあり、丁寧に仕分けしながらの作業となる。比較的涼しく、屋外でのワークには恵まれた天気であり、予定以上に捗ったようだ。
18:55 エマオに帰着。夕食。定例のミーティング等には参加できず。
通常から、石巻組は遠方のため、帰着が遅くなるようだ。
夕食メニュー:豚生姜焼き、ゴーヤチャンプル、ホッケ、きんぴらごぼう。
以後は、昨日と同じ。
(広瀬の雑感)
津波に見舞われた地域は、津波で完全に家屋が流失した地域、かろうじて建ってはいるが1階が損壊している地域、1階の軒下まで浸水していたものの津波の勢いが比較的緩やかになり修復して住み続けることが可能な地域に分かれる。車中からは、その全てを順に目の当たりにすることとなった。また、湾の沿岸は地盤沈下し、海岸沿いの家屋は流失、海岸線が後退している。
今日の現場は「渡波(わたのは)」という地名であった。過去の津波が記憶されたものかもしれない。
ワークの現場では、長期のボランティア(3日以上同じ現場に行けば「長期」)と町の方々とが気さくに声を掛け合っている。互いに敬意を払いながらも打ちとけ合った雰囲気で、昨日書いた「作業を依頼した家庭とのふれあいを大事にしている」というエマオの方針の成果だ。今日も仮設住宅に住んでおられるこの家の奥様が訪ねて来られ、しばし歓談。帰りに差し入れをして下さった。こうした絆は、被災された方々の精神的な支援になり、同時にエマオへの信頼にもなって、口コミで伝わって依頼者が増え、復興の前進にもつながっていく。
「特定区域」。指定されるとそこには住めず、別の地域に移らなければならない。ワークに入ることができる指定外区域の方々は、ホッとしたと話される。だが今後、指定区域の家庭には再建のための補償が手厚くなされ、指定外区域の修復・再建には補償がなされないなど、格差が逆転することが、他の被災地では見られた。ここではどのような対策がなされるのだろうか。
帰りの車中でスタッフが話してくれた印象的な一言「津波で更地になってしまった地域で、この2ヶ月間に変わったことがある。それは色です」。2ヵ月前、瓦礫が片付けられた直後の、その地域は、遠くから見ると一面土色をしていた。今は雑草が生え、緑色になっている。それでもホッとすると言われるが、複雑な思いがした。
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