第一次ボランティア(期間 2011年8月25日~8月30日)からの報告が、
 メーリングリストに、逐次アップされました。
 以下は、それを転載したものです。
 

 まとめて読みやすいように、古いものが上にあります。
 最新報告は「第7回報告」です。
 
《第1回報告》
報告日時  8月26日00時27分
報告者  広瀬満和
みなさん、広瀬です。

初日は移動と手続きで終わり、実際の活動は明日(今日^^;)からとなります。以下、詳細報告です。記録を兼ねているので、味気ない部分もありますが、ご容赦を。

825日>

 松山空港840発―伊丹空港940着(乗り継ぎ)―仙台空港着1200

 太平洋岸悪天候のため、空路が内陸部に集中し、松山発25分が遅れる。

 仙台濃霧のため、着陸態勢後に再上昇。予定より1時間の遅れ。

 空港バスでJR仙台駅へ(1,000円)

 車中から一見したところでは、津波の傷跡はほとんど感じられない。

 ところどころに壊れた 車、ボート、家屋の残骸が点在。屋根のブルーシートも散見される。

 駅ビルで比内地鶏とうーめんの昼食。

 岡田氏、悪天候のためJR静岡で足止め、やはり1時間ほど遅れる。

 タクシーで東北教区センター「エマオ」へ、1400

 1階の教区センター事務所とは別に、2階に被災者支援センター事務所が設けられている。

 

 1420~ボランティア登録を行い、内勤スタッフよりオリエンテーションを受ける。

 内容は、タイムテーブルに沿った活動時に注意事項。センター内の案内。

 資料が用意され、説明もよどみがなく、機能的に進められている。

 説明を受けたのは、我々を含めて5名(岡田氏は遅れて合流)

  但し、今日の新入ボランティアは9名おり、到着するごとに個別の対応がなされている。

 1520~ センター内の雑事の手伝い、自由時間

 この時間を利用して、センター長のジェフリー、メンセンディーク宣教師に話を伺う。

 内容後述。

 1630~ 今日のワークの報告ミーティング、5~6名のグループごとに。

 主な作業内容は、ビニールハウス前の草刈り、側溝の泥かき、ブロッコリーの苗植え(そういう作 業もボランティアでしていいのかとの問いかけと問題なしとの回答のやりとり)、作業を依頼した家 庭とのふれ合い(エマオでは、このことを特に大事にしているとのこと)

 1715~ シェアリング(2グループに分かれての分かち合い)

 自己紹介、ボランティアに来て自分のどこが変わったかをテーマに一人一人思いを語る。

 1800~ 夕食 カレーライス、フルーツ

 近隣教会の婦人会を中心に、遠隔地からのボランティアも加わって準備されている。

  ボランティアの働き場の一つ。

 食器洗いは、各自で行う。

 1900~ 宿泊所の「仙台北三番丁教会」に移動

 通常は、センターの自転車で行き来するが、初日で荷物が多く、タクシーで移動。

  「教会にお泊りの方へ!」という説明資料あり。

  一般のボランティアに、教会を利用するにあたっての理解を求めている。

 2000~ 入浴は近隣の銭湯を利用(400円)

 <明日の予定>

 805 エマオに集合(朝食を済ませて)

 活動場所の指示を受けて、ワークに出かけます。

 活動場所は、若林七郷地区(津波被害地域)と石巻の2ヶ所。

 本日は以上。おやすみなさい。

《第2回報告》
報告日時  8月26日10時11分
報告者  広瀬満和

 今日の現場、石巻に到着。作業場の割り振りがされて、これからワークに入ります。

《第3回報告》
報告日時  8月27日01時12分
報告者  広瀬満和

広瀬です。  

826日>

 活動初日なので、毎日のルーティンも合わせて報告します。

 630 起床。コンビニで、昼食の弁当とお茶2Lを買い、自転車でエマオへ。

 お茶2Lは、エマオの指示による。ワークの現場にも自販機などがあるが、

 何十人ものボランティアが買い占めて、住民の迷惑にならないようにとの配慮がある。

 エマオ到着後、用意されているシリアルで朝食をとる。エマオのサービスメニュー。

 805~ ミーティング

 今日のボランティア数 46名。

 ワークの場所、内容、必要人数が発表されて、希望者が募られる。

 今日は仙台市内が雨でワークの現場が限られたため、7か所、約30名が現場へ。

 残ったボランティアは内勤(センター内の整備など)

 四国組は4名とも、石巻を希望した(石巻の現場も、津波で浸水した区域)。

 ミーティングの最後に、全員が手を繋いで輪になり、祈祷が献げられて、出発。

 840 石巻組は25名が3台の車に分乗して出発。広瀬、成田は募集により運転手を志願。

 1030頃 石巻着。4つの現場に分かれる。ワーク時間は、11時~16

 ワーク内容:岡田>畑の雑草抜き。耕作再開のための下準備。

       成田>水産加工会社の備品清掃。営業再開の準備。

       上島、広瀬>個人宅の細かい瓦礫の撤去と敷地内の雑草抜き。

 広瀬の現場は、重機により家屋が撤去された後、細かい瓦礫などが残され、津波で流れ込んだ土砂に雑草が茂っていた。雑草を根から掘り起こすと、土砂の中から瓦礫や生活用品が出てくるので、それを回収し、また雑草を掘り起こすという作業を繰り返す。生活用品は、ほとんどゴミとなるが、中には、保険証書、年金手帳、写真等の「お宝」もあり、丁寧に仕分けしながらの作業となる。比較的涼しく、屋外でのワークには恵まれた天気であり、予定以上に捗ったようだ。

 1855 エマオに帰着。夕食。定例のミーティング等には参加できず。

 通常から、石巻組は遠方のため、帰着が遅くなるようだ。

 夕食メニュー:豚生姜焼き、ゴーヤチャンプル、ホッケ、きんぴらごぼう。

 以後は、昨日と同じ。

 (広瀬の雑感)

 ・津波に見舞われた地域は、津波で完全に家屋が流失した地域、かろうじて建ってはいるが1階が損壊している地域、1階の軒下まで浸水していたものの津波の勢いが比較的緩やかになり修復して住み続けることが可能な地域に分かれる。車中からは、その全てを順に目の当たりにすることとなった。また、湾の沿岸は地盤沈下し、海岸沿いの家屋は流失、海岸線が後退している。

 ・今日の現場は「渡波(わたのは)」という地名であった。過去の津波が記憶されたものかもしれない。

 ・ワークの現場では、長期のボランティア(3日以上同じ現場に行けば「長期」)と町の方々とが気さくに声を掛け合っている。互いに敬意を払いながらも打ちとけ合った雰囲気で、昨日書いた「作業を依頼した家庭とのふれあいを大事にしている」というエマオの方針の成果だ。今日も仮設住宅に住んでおられるこの家の奥様が訪ねて来られ、しばし歓談。帰りに差し入れをして下さった。こうした絆は、被災された方々の精神的な支援になり、同時にエマオへの信頼にもなって、口コミで伝わって依頼者が増え、復興の前進にもつながっていく。

 ・「特定区域」。指定されるとそこには住めず、別の地域に移らなければならない。ワークに入ることができる指定外区域の方々は、ホッとしたと話される。だが今後、指定区域の家庭には再建のための補償が手厚くなされ、指定外区域の修復・再建には補償がなされないなど、格差が逆転することが、他の被災地では見られた。ここではどのような対策がなされるのだろうか。

 ・帰りの車中でスタッフが話してくれた印象的な一言「津波で更地になってしまった地域で、この2ヶ月間に変わったことがある。それは色です」。2ヵ月前、瓦礫が片付けられた直後の、その地域は、遠くから見ると一面土色をしていた。今は雑草が生え、緑色になっている。それでもホッとすると言われるが、複雑な思いがした。

  以上。

《第4回報告》
報告日時  8月28日00時37分
報告者  広瀬満和

 明日は主日。ここは早天礼拝があるため、それまでに寝泊まりに使わせてもらってる礼拝堂を元通りにし、一旦撤収しなければなりません。ということで明日は5時半起き。報告は改めてにさせて頂きます。おやすみなさい。

《第5回報告》
報告日時  8月28日22時51分
報告者  広瀬満和

広瀬です。
 

疲れが限界にきてます。乳酸が溜まりっぱなし^^;

簡単報告でご勘弁を。

 827()

エマオからのボランティア。

荒浜・七郷地区へ、14kmを自転車で移動

(広瀬は抽選に外れ(?)、車で移動^^;

津波で持ち込まれた土砂と戯れた一日でした。

 

828()

 530起床。宿舎として使わせてもらっている仙台北三番丁教会の清掃。

 730~仙台北三番丁教会の早朝礼拝に出席。

1040~仙台北教会の主日礼拝に出席。

礼拝後、小西望牧師に車で、被災場所を案内をして頂いた。

・仙台北教会のキャンプ場ジレットハウス(東雲にもおられたジレット先生ゆかりの施設)

・七ヶ浜地区、蒲生地区

夜は、兵庫教区長田センターの柴田信也さん、同志社大神学生の渡辺真一さんと夕食、懇談。

 

今夜は以上です。おやすみなさい。

《第6回報告》
報告日時  8月30日09時41分
報告者  広瀬満和

 広瀬です。

さきほど、仙台駅で現地解散しました。4名、それぞれのルートで四国への途に就いています。

ちなみに私は、郡山と尼崎に立ち寄って、明日松山に帰ります。

簡単報告で済ませた日の様子は、また改めてご報告します。写真も添付しようと思っていますが、エマオのルールで、ワーク中の写真撮影はできませんでした。センターの様子と、日曜日に個別行動した時に撮影した若干の今の被災地風景が送れると思います。

では、また。東北新幹線車中にて。


《第7回報告》
報告日時  8月31日11時45分
報告者  広瀬満和

827()

今日のボランティア数37名。石巻は土曜日休止のため、全員が七郷へ。

※七郷=若林区荒浜地区七郷。海岸から約2km、津波の高さは2m。左右が川に囲まれ、内陸部には高速道東部線(高架道)が海岸線に並行して走っているため、海、左右の川、東部線の跳ね返りの4方向からの波にもまれた。全117世帯中、現在47名が戻ってきている。925日に七郷まつり(草野球、バーベQ大会)が、ボランティアの持ち込みプランで行なわれる予定。

・エマオから14kmを自転車で移動する。交通を妨げないように5~6名のチームに分かれ、経験者がボランティア(=志願)で自転車リーダーとなり先導者となる。今日は7チーム。自転車は国内の団体(具体的にどこでしたっけ?)から寄贈されたマウンテンバイクと台湾から寄贈された電動アシスト車、合わせて30数台ある。電動アシスト車は女性・年配者優先で自己申告で選択。今日は台数よりボランティア数が超えたため、一部は車で移動。四国組は、上島、成田、岡田はマウンテンバイクで、様子を見ていた広瀬はあぶれてしまい、結果的に車移動で楽をする^^;

・ワーク箇所は9ヶ所、主なワーク内容は、畑の草刈り・土砂の撤去、側溝の泥かき、ビニールハウスの修理など。天理教ボランティアひのきしん隊が合流し、エマオの指示下に入って活動。広瀬は笠松さん宅に入る。

・水が引いた直後は道路、田畑、床下、床上がヘドロで埋め尽くされた。6月頃に来たボランティアの話では、道路のヘドロは既に除去されていたが、田畑は手つかずの状態だったという。今は、ヘドロはほぼ除去され、側溝、田畑の隅に残る土砂を掻き出して搬出するまでに処理は進んでいる。一方で、手が尽くせないまま伸び放題になっている雑草の除去が新たに必要な状況になっている。

(笠松さんのご主人の話)

・集団移転か、この地での復興か、市の方針が決まらない間は何もできない。家を建て替えた後に移転となれば、その分の補償は出ない。二重ローン、三重ローンを抱えることになる。

・小学校の屋上から自衛隊に助けられた子供たちは津波の恐怖が忘れられず、戻って来たくないと言っている。年寄りは、移転しても敷地は狭くなるので農機具も置けないから、ここから動きたくないと言っている。

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828()

530起床。宿舎として使わせてもらっている仙台北三番丁教会の清掃。

730~仙台北三番丁教会の早朝礼拝に出席。エマオからの出席者は、四国の4人と同宿の山本さん、別宿の斉藤さん。

1040~仙台北教会の主日礼拝に出席。

礼拝後、小西望牧師に車で、被災場所を案内をして頂いた。

(七ヶ浜)岬に仙台北教会のキャンプ場ジレットハウス(東雲にもおられたジレット先生ゆかりのログハウス)が建てられている。岬よりも海抜の高い同町の住宅地が津波に流されているのに、奇跡的に被害を免れた。http://tohoku.uccj.jp/sendaikita/hausu.htm参照。

(蒲生)やはり津波に流された町。単立教会があった敷地に、瓦礫から掘り出された十字架塔が置かれている。

(小西先生の話)放射能の関連で、教会の働きは3つあると考えている。()逃げたい人を助ける。()逃げたいけど留まらざるを得ない人を助ける。()留まる人を助ける。()について、改革派や新日キは共同して、受入先やそのルート、方法などのシミュレーションを始めている。

夜は、兵庫教区長田センターの柴田信也さん、同志社大神学生の渡辺真一さんと夕食、懇談。

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松山に向かう高速道車中より。バッテリーが切れそうなので、ひとまずここまで。


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