第四次ボランティア/宮古先遣隊(期間 2012年2月6日~10日)の
 現地からの速報が、 メーリングリストに、逐次アップされました。
 以下は、それを転載したものです。

 まとめて読みやすいように、古いものが上にあります。
 最新報告は「第4回報告」です。

 また、帰還後の「最終報告」を、「第4回報告」の後に、記載しています。

《第1回報告》
報告日時  2月6日11時39分
報告者  広瀬満和

 三津教会 広瀬です。 

今日、5名のボランティアが、東北に向かいます。
 #メンバーは下記をご覧下さい。
無事に務めが果たせますよう。お祈り下さい。

私はいま仙台空港に着き、盛岡に向かうところです。
まず、奥羽教区事務所に立ち寄ります。
主事の松浦氏は、神学研究科で1年先輩(といっても、歳はずっと
若いですが・・・)なので、積もる話に花を咲かせてきます。

また、報告します。


 《参照》
  第四次派遣メンバー
  エマオ組 信太聖吾(坂出教会 牧師)、白石英子(さや教会 信徒)、
         佐竹正郎(松山教会 信徒)
  宮古組  広瀬満和(三津教会 牧師)、大田健悟(鴨島兄弟教会 牧師)


《第2回報告》
報告日時  2月7日23時17分
報告者  広瀬満和

 三津教会 広瀬です。 

海岸地区の宮古は雪がなく、今日の日中は気温も5度と比較的暖かかったですが、
明日は終日氷点下の予報です。

ボランティアは、私たちの他に大阪から1名、地元の青年が1名です。
他にYMCAのスタッフが3名、食事を作って下さる教会員さんが1名と
森分和基牧師です。 

今日の仕事は、来訪者の芳名帳と名刺、届いた便りの送り主をデータベース化
することでした。2台のPCで大田さんと手分けして打ち込みしました。
この作業は、明日も続きます。 

Yのセンターの方は、仮設住宅の支援が中心です。
今日は滋賀から寄贈を受けた断熱シートを床に貼る作業でした。基本仕様では
寒さが防げず隙間風もあり、好評だということです。

ボランティアの受け入れは週末が中心で、今週末に10名、来週末は22名が予定
されているそうです。


《第3回報告》
報告日時  2月9日00時15分
報告者  広瀬満和

 三津教会 広瀬です。

今日は一日いい天気でしたが、気温がー13度と寒い一日でした。
でも明日は、ー37度!さらに寒くなるそうです。

先ほど、佐渡で震度5強の地震がありましたね。
こちらも揺れは感じませんでした。
被害情報も出てないようですが、落ち着きません。

さて、本日の報告。
センターの毎朝の活動として、「交通整理」があります。
7時から1時間、通学路の交差点に立ちます。言わば緑のおばさん活動です。
始めたのは昨年の6月、まだ信号機が復旧してない頃。
信号は今年に入ってようやく復旧したそうですが、今も続けられています。
今日は、二人で参加してきました。

子どもが来ると車の流れを止めて横断を助けますが、横断者がいない間は、
通る車と歩行者全てに、おはようございますと挨拶します。
実は、車の通行量が意外と多く、ほぼひっきりなしです。つまり雑談する
間もないほど挨拶をし続けて、それを半年以上、毎朝続けているのです。

いまや長期のスタッフやボランティアは、子どもに顔を覚えられています。
彼らも子どもの顔や名前を覚えて声をかけています。
ドライバーも会釈をして通って行きます。
わざわざ挨拶しに出てこられる近所の方もいます。
そうやって宮古ボランティアセンターは、地域に受け入れられたんだろう
なと思いました。 

昼間の活動報告は、また次回。

《第4回報告》
報告日時  2月10日15時16分
報告者  広瀬満和

 三津教会の広瀬です。

成田さん、上島さん、山本さん、メッセージありがとうございました。
皆さん、ご支援ありがとうございました。
無事に、今回の活動を終えようとしています。

今は、釜石から釜石線で花巻に向かっています。
車窓は再び一面雪景色となり、海岸地区とは一変します。
でも雪は無くとも、昨日の宮古は住民の方も「今日は寒い」と言われるほどで
銭湯帰りの大田さんのタオルが、10分ほどの外気でパリパリに凍ってしまいました。 


さて、報告の続きを。

名簿化作業は、予定されたものは終えることができました。
あと活用するためのフォーマット作りは、大田さんが持ち帰って、引き続きして下さる
予定です。

見取り聞き取り活動は、森分和基牧師を始め多くの方々の多大なご協力を頂いて、
進めることができました。ひとまず項目だけを並べると、
2/8午後、和基牧師、宮古教会員2名と、田老、グリンピア仮設住宅、小堀内(40m
    津波到達地)、眞崎海岸を見る。
夜、和基牧師と、今後の宮古教会支援の考え方について語り合う。
2/9日中、黒田議長一行と合流、魚菜市場、ひかり幼稚園を訪問、赤前、鍬ヶ崎(魚市場)
    を見る。
午後、YMCAの大塚さんより、ボランティアセンター活動の説明を聞く。
夜、宮古教会長老方との夕食・懇談会。
2/10、新生釜石教会を訪問、柳谷雄介牧師とご家族の話を聞く。教会堂、牧師館を見る。

今は、東北新幹線車中。そろそろ仙台に着くので、内容報告は、また改めていたします。

《最終報告》
報告者  広瀬満和
 今回の訪問の大きな目的の一つは、今後の宮古教会支援のありかたを見いだすことでした。四国の地から地域の復興に努められている教会自身の復興と森分牧師や教会員の方々の支えにどのようにしたらなれるのかについて、糸口を見いだすことでした。そのために、森分牧師と話し合い、教会員の方々のお話を伺い、わずかな期間でしたが現地に身を置くことで、自分なりにも考えてみました。

 その結果出た一つの答えは「四国から何ができますか?と問うこと自体が現地の助けになっていない」ということです。たとえば、今回の訪問で教会のために行なった作業は訪問者記録のデータベース化でしたが、これとて散在している様々な紙データをそろえておくという仕事を、森分牧師に増やしてしまったわけです。また今回は、紙データを電子データ化するということが課題として顕在化していたわけですが、顕在化していない問題は山ほどあり、また日々新たな問題が次々と現れ、整理されないまま潜在化していくのです。それこそが、最も大きな課題であると言えます。

 そのために必要なのは、森分牧師をサポートする常駐スタッフの存在です。考えてみますと、仙台のエマオセンターがうまくいっている一つの要因は、本来のエマオの職員ではなく教区や教団から送られたスタッフが担っていることです。また宮古ボランティアセンターのパートナーである盛岡YMCAも、実際には全国のYMCAから派遣されたスタッフが関わっています。潜在化している問題を整理して課題化する、また日々の活動の中から課題を拾い出していく、その課題を四国(また全国)に発信していく、森分牧師の右腕となる常駐スタッフが必要だということです。宮古教会と四国(また全国)とをコーディネートする役割を担う人を、現地は必要としておられるのです。現実的でないと思われるかもしれません。ボランタリーな「エマオ四国」では担いきれません。四国教区に投げかけられた課題として受け止めていかなければならないと思いました。できるかできないかではなく、この課題にどう取り組んでいくかが求められていると感じました。

 もう一つは、それでもなお、今「エマオ四国」が送っている短期のボランティアが宮古を訪問するようになれば、教会員にとって大きな励ましになるということでした。そしてなるべく日曜礼拝に出席して欲しいということでした。一般のボランティアやYMCAのスタッフも礼拝に出席されているそうですが、全国の教会からの訪問者が礼拝に出席することは、その意味が「天と地ほども違う」ということです。平日にはセンターでのボランティア活動や教会のお手伝いが可能です。「エマオ四国」としても、送り出す私たち自身の力量の問題もあってこれまでは仙台エマオセンターを通した活動に集中して来ましたが、今後は宮古教会での活動もきちっと視野に入れていくべきだと感じました。

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
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