エマオへの道・四国 第10次派遣報告
「被災を過去形で捉えない」

 
新居浜教会 広瀬香織
 今回、私は初めて東日本大震災の被災地である岩手県宮古市に四国教区エマオ第十次ボランティアとして行かせて頂いた。テレビで何度も地震と津波の映像を見ていたので、正直な所、被災地に行くことには怖さや戸惑いもあった。また被災した経験やボランティアの知識もない私などが行ったら、かえって足手まといになるのでは?とも思った。しかし連れ合いは、自分が阪神淡路大震災で被災し、被災者の苦しみが良く分かるので東日本大震災の直後から、ボランティアに積極的に行っていた。そんな彼の姿に後押しされる形で今回私も行くことを決断致した。出発当日は爆弾低気圧。現地は例年の20倍もの積雪量。夜中、真っ白な宮古市に到着した。最初は雪で良く分からな かったが、良く見ると、町のあちこちに家の基礎の部分だけが残された跡地が沢山あった。町中に津波が押し寄せ、全壊、半壊した家々が多くあったことを物語っていた。見た目は無事だったように見える家々も、震災当初は大変な被害に遭っていた。住民の方のお話によると、床上1,8メールまで津波が押し寄せ、窓ガラスは瓦礫によって粉々に割られ、寝ていた要介護の旦那さんを、小柄な奥さんは必死に二階に引き上げ、命からがら助かったとのことだった。壁も塗り直し、外見は綺麗になった家々も、地盤沈下のため、傾いてしまった。まだまだ被災は続いている。被災を過去形で捉えないでほしいとの事であった。愛媛に住んでいると、被災はすでに終わり、復興に向けて前向きに歩み始めているとばか り思っていたが、全く見当違いであることを思い知らされた。また愛宕地域の仮設住宅で雪かきのボランティアをさせて頂いていると、80代の女性が、私たちに、ご自分から声をかけて下さった。「この震災のことを決して忘れず、後の世代に伝えてゆかなくてはいけないから震災直後から今までのことをノートに全部記録している。いつかこれを本にしたいと思っている。皆さんもこの震災のことを忘れないでほしい。復興はこれからです。」この方がおっしゃるように震災の後、一番怖いのは、地震や被災地の事が人々に忘れ去られてしまうことであると思わされた。人々に忘れさられてしまったら、復興は進まない。助かった人々も生きる気力を奪われてしまうであろう。辛い経験に向き合うことは容易なこ とではないが、決して忘れてはいけない事なのだ。被災地の復興の戦いは、まさにこれからである。

宮古教会の森分和基牧師は、最近は、色々な所で講演を依頼され、忙しくしておられた。講演と牧会、園長と何足もの草鞋を履く日々である。前向きに熱く今後の伝道についても語って下さった。どこからそのエネルギーが湧いてくるのだろうか?「確かに未来はある あなたの希望が断たれることはない。」(箴言23章18節)の御言葉が心に響いた。私たちに与えられている信仰!それがどれほど大きなものであるか。主はどのような中にあっても希望を断つことはない。信仰は人を強くする。もちろん信仰がなくても強く生きている人たちは大勢いる。しかし、信仰は人を生かす!和基牧師と語らう中で理屈抜きにそう思わされた。

また今、宮古教会の隣には盛岡YMCAのセンターが建っている。私たちが到着する数日前から、YMCAのリーダーたちが子どもたちのスキー・キャンプを手伝うために、現地入りしていた。日本のYMCAは関東大震災の時から、災害を救援し続けてきた。そのノウハウを生かして、宮古の地でも活躍している。私たちも盛岡YMCAの職員の方にボランティア・コディネートをして頂き、仮設住宅の雪かきや、被災地の高校2つ、小学校4つを回ってキャンプの報告書や案内のチラシを配らせて頂いた。このようなキャンプを1ヶ月に1度無料で行っていると言う。理由を聞くと、仮設住宅が小学校などの校庭に建っているため、子どもたちが外で自由に遊べなくなっている。だから、子どもたちをキャンプに連れ出して自由に遊ばせ、ストレスを発散させているのだ、と言うことであった。この働きは各学校の校長たちも高く評価し、感謝されていた。キャンプの他に正月には、仮設住宅で餅つきのイベントも企画し、子どもからお年寄りまで楽しんだそうである。人々の生活に寄り添った物心両面のきめこまやかな働きをお聞 きし、私も心が癒される思いがした。このチラシを配りつつ、被災した田老地域の沿岸部や津波到達最高地点である入江にもご案内して頂いた。ここには38メールもの巨大な津波が押し寄せた。眼下に広がる静かな波の入江からは到底想像することが出来ないが、削られた山肌は津波の爪痕をはっきりと刻みつけていた。田老地域は明治、昭和と津波が襲い、その教訓をもとに防災訓練を行ったり、防波堤を築き、津波防災都市に指定されている町であったが、防波堤は無惨に破壊され、家々は押し流された。鉄筋で出来た頑丈な5階建てのホテルも1~3階まで中を繰りぬかれたような形で、ポツンと建っていた。自然の力は人間の予想を遙かに越えている。

今回短い滞在期間であったが、非常に濃い時間を過ごさせて頂いた。自分の想像を遥かに越える被害を目のあたりにし、まだ考えがまとまらないが、被災は過去形ではなく、現在形として捉えなくてはならないこと、決してこの震災のことを忘れてはいけないこと。復興はまだまだこれからであることを肝に銘じ、色々な形で今後も関わり続けて参りたいと思う。

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
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