被災者支援センター・エマオへのボランテイア参加して

 
日 時 :2014年6月10日(火)~14日(土)
派遣先 : 東北教区被災者支援センターエマオ
栗崎英隆(丸亀教会)
○ワークに先立ち

 2011年3月11日東日本大震災発生より2ケ月後、本社総務部より1枚のDVDが各店舗へ配布されました。内容は震災発生後企業としてどう支援をしてきたかという被災地に対する社会貢献活動でした。
 1つは仙台市近くの多賀城ショッピングモールが被災者の避難所となり、店舗商品の毛布、医薬品を無償で配布、支援をしている従業員の姿でした。
 もう1つは被災した宮古ショッピングセンターの店舗復旧作業に本部、本社の従業員及び被災者でもある地域のパート従業員が日夜復旧作業に取り組んでいる姿であり、店舗復旧オープン日に涙をながしながらお客様を迎えている姿でした。
企業として最終的には営利を目的にしているとは言え、パート従業員の活動には心を打たれるものがありました。遠く離れている私に出来る事は店内での募金活動と雑巾を送ろうとする社内の活動でした。
 2012年丸亀教会に野田沢先生が被災者支援センター・エマオの取り組みについて講演しに来られました。講演を聞いているうちに「ボランテイア」として取り組む姿勢に違いを感じました。企業は多くの被災者の方々に1日も早く物質的な支援を、ということを中心とした活動ですが、「エマオ」の支援活動は11人の被災者の心に寄り添う活動でした。
 被災して3年の年月がたった今、私として何が出来るか、何のお役に立てるのだろうかという思いをもって参加した次第です。

○ワーク活動

  610日(火)に丸亀を発ち、10日(火)~13日(金)の期間行った東北教区被災者支援センター・エマオでのワーク活動の内容です。

  10日午後4時ごろにエマオに到着、その日に支援活動についてのオリエンテーションと被災地支援の中心となっている仙台市荒浜地区の被災前と被災後を比較した動画を視聴、被災地の現状について大まかに説明を受けました。その後、ミーテイング時に自己紹介と明日のワークの説明を受けました。

  11日(水)本日よりワーク開始。 ワーク内容は仮設住宅支援とフィールドスタディ。仮設住宅支援は七郷中央公園、荒井2号の仮設住宅に住まわれている方々に出向き一緒になってラジオ体操をし、お茶を飲み話をする(お茶っこ)、歌を歌う(歌っこ)というものでした。
  当日のワーカーは私、家内、松山川上教会の「もりた」さん、西東京教区から来られた「いずみ」さん「いのうえ」さんの5名であり、エマオスタッフ「ふうか」さん、「ちば」さん計7名での訪問でした。
  当初支援がなぜ「ラジオ体操」、「お茶っこ」、「歌っこ」なのという思いがありました。仮設住宅に住まわれている方はほとんどの方が高齢者の1人住まいであり何かのきっかけがなければ、部屋に引きこもってしまい安否確認も出来ない状況であるとの事。
  七郷中央公園の仮設住宅の集会所に私達が入ると高齢の女性6名が集まっていました。早速ラジオ体操を始めました。体操も明るく楽しく出来るように工夫が凝らされていました。手を大きく左右にふる動作の時は「ヨイショ、ヨイショ」と掛け声を出し、手を上に伸ばす動作の時は「ピーン」と掛け声を出しながら体操を明るく楽しく皆で実行するというものでした。
  体操が終わった後、お茶っこしながら、私達の自己紹介、集会所には大きな日本地図が掲示されており、全国から支援訪問したワーカーさんの出身地にピンを指し、説明するというものでした。家内が丸亀にピンを、もりたさんは松山にピンをさし、自己紹介をしました。西東京教区からの2人は以前にも訪問しており、リピーターであり、既に信頼関係が築けているのか話が弾んでいました。
  次に訪問した荒井2号仮設住宅で2名の高齢の女性が待っていてくれました。
  此処では[歌っこ」です。「いずみ」さんがアコーデイオンを弾き、歌を一緒に歌うと言うものでした。歌の冊子を「いずみ」さんが作っており、中身は高齢者向け歌謡曲と東北の民謡でした。私の学生時代に流行っていた「星影のワルツ」が入っており、思わず私が自分勝手に歌ってしまいました。自分も高齢者であることを実感。高齢の女性達は2人しか集まらず申し訳ない、と繰り返し言っていました。「いずみ」さん、「いのうえ」さんはこの仮説住宅にも何度か訪問しており、「そんなことはないよ」と高齢の女性達を励まし、一緒に楽しく「歌っこ」をしました。
  午後から被災地のフィールドスタディで仙台市荒浜地区と名取市閖上地区の被災現場の見学をしました。西東京教区の2名は既に見学しているということでフィールドスタディは3名でした。被災して3年が経過するも復興作業が進んでいない現状を目のあたりにしました。
  荒浜地区は行政が田畑を開墾し、農業を再開するとは許可するも家を建築する事は許可していないとのこと。その為地区の住民は仮設住宅での生活を余儀なくされているということでした。
  閖上地区は逆に行政が地盤を5mかさ上げし復興住宅を建てようと住民に提案するも住民の中にまだ行方不明者の方が3人見つかっておらず住民全員の同意が有られず、復興が進んでいないということでした。
  毎月11日は14時46分にエマオスタッフとワーカー全員が荒浜に集まり、祈りの時を持つということで祈りに加わり、1日のワークを終えました。
  ワーク終了後、センターにてミーテイングがあり、ワーク内容の報告をおこないました。仮設住宅支援では何名集まって頂けたか、1人1人の表情は明るかったか、楽しそうであったか何か要望はあったかをワーカーとスタッフで共有、今後の活動に生かすというものでした。
 

  12日(木)ワーク2日目  ワーク内容は仮設住宅支援と農作業支援。仮設住宅訪問は七郷中央公園の仮設住宅。ワーカーは昨日の5名に東神戸教会横山牧師、香港からの留学生「キティ」さんが加わりました。
  集会所には高齢の女性3名、高齢の男性1名、途中から高齢の女性1名加わる。ラジオ体操昨日と同様に行い、お茶っこする。
  本日は高齢の男性と話をする。
  荒浜に帰りたいが帰れない。自分の土地であるのに家を建てることが出来ない。田畑での農業は許されており、農作業を行っているが重労働で大変であるとの事。65歳以上の高齢者が中心となり農作業を行っており、65歳以下の勤める事ができる人は町へ勤めに行き、現金収入を得ているという事でした。
  農業は行政の指導もあり、当初は塩害に強い雑穀を作物として育成してはとの指導から塩害に強い外国産の種を植えるも収穫は2~3割であり、指導通りには収穫出来なかった国産の大根や白菜の種を蒔き、育てた方が収穫が良かったとの事でした。行政の指導に不審感を持っているとのことでした。
  もう1人高齢の女性の方(Tさん)と話をする。
  私がメンズ料理教室に通っている話をすると帰り際にTさんが作った「三角巾」をプレゼントしてくださった。この「三角巾」を使い、料理している姿を写真に撮り、送ろうと思っている。
  10時過ぎに仮設住宅を後にし、エマオ笹屋敷に向かい農作業支援のワークに取り組みました。横山牧師とは別れ、ワーカーは6名。
  ワーカーは2組(4人1組、2人1組)に分かれ支援先に向かう。2人は先程の仮設住宅にて「ゴーヤ」の植え付け。4人はNさん宅のビニールハウス内での雑草取り。私と家内はこの組に入りました。
  雨が激しく降っていたがハウス内のため作業には支障なく実行。ビニールハウス内では長芋、ごぼう、サツマイモの栽培を行っていました。Nさん宅も農作業は奥さんが主に行い、ご主人は勤めに出ているとのこと。ガレキを取り除く事は出来たが、まだ全ての農地が作物を植えられる状況にないとのことでした。
  15時に農作業を終え、エマオセンターへ帰る。
  17時からのミーテイングにて本日のワーク状況を報告し合う。
 
  13日(金)ワーク3日目 ワーク内容は仮設住宅支援と農作業支援。本日よりワーカー4名となる。松山「もりた」さん、西東京教区「いずみ」さん帰省。仮設住宅訪問は昨日と同様、七郷中央公園仮設住宅。
  集会所には高齢の女性3名、高齢の男性1名、途中から高齢の女性1名加わり昨日と同様の人数でした。
  Tさんが来ており、昨日のお礼を言い、昨日の仮設住宅でのゴーヤの植え付けの話から仮設住宅での生活状況の話となりました。
  間取りは2DK、隣との壁は薄く物音は全て聞こえる、とのこと。だから若い家族の人々はすぐに出て行き、残っているのは高齢者だけになっているとのことでした。また、仮設住宅でも個数の多少により支援状況に違いがあるということでした。「アクトいわた」は仙台市内で一番個数の多い仮設住宅であり、ここは色々な団体、NPOが支援をしており、イベントも多く行われているとのことでした。行政も戸数の多少により、施設内容に格差が生じており、住民に不満が出ているとのことでした。仮設住宅で生活する方々への支援必要性を実感した次第です。
  10時過ぎ農作業支援先に向かいました。本日は支援先2軒。私と家内は昨日のワーク先(Nさん宅)、作業内容は雑草とりと除草のビニールシート貼り。本日は天候よく、ビニールハウス内は高温での作業となりました。
  15時過ぎ作業を終え、Nさんに昼食時、又作業後のお茶の接待、2日間の作業を手伝わせていただいたお礼を言い別れました。
  17時からのミーテイングにて本日のワーク状況を報告し合いました。七郷中央公園仮設住宅でのTさんとの話の内容を報告しました。
  同じ荒浜地区の住民が別れ別れになり、別の仮設住宅で生活をしなければいけない状況になったがお互いに連絡を取り合い、仮設住宅での生活状況、又NPO等を初め色々な団体の支援状況を話合っている、ということを報告しました。

○ワークを終えて

 1.本当に被災者の方々のお役に立てたのだろうかとの思いが今もあります。
  被災者の方々の心に寄り添う事が出来たのだろうか・・・?
  3年経った被災の現状を知り、送りだしていただいた教区に帰り現状を報告すること、そして多くの方々に知って頂くことも大切だとおもいますが、ワークのリピーターとなって再度ワークに参加、「また来ましたよ。お元気でいましたか」と気軽に話しけれる信頼関係を築く事が大切に思われます。特に仮設住宅支援についてはその思いを強くしました。リピーターとして何度も参加している西東京教区の「いずみ」さん、「いのうえ」さんを見ていると仮設住宅の方々も[また来てくれたの」とにこやかな表情で迎えていました。本当に信頼しどんなことでも話せる雰囲気を作り出していました。被災者1人1人に寄り添い、心のケアをしているようでした。エマオの活動で大切にしている「スローワーク」がここにあると思えてなりません。
 
  2.このたびの[災害支援」で私達は「支援している」側にいるがいつ「支援される」側になるか分からない、その時にどのように自分として活動するのか、ということを考えさせられました。
  昨今「東南海沖地震」のことがよく話題となります。万一発生した場合、四国地方は甚大な被害が予想されます。その時、私達はどのように行動しなければいけないかを考えさせられます。

  3.エマオセンター事務局の壁面には多くの支援者からのメッセージが貼り出されています。中でもワークに参加した「若者たち」のメッセージが多く見受けられます。スタッフの話の中でも参加した「若者たち」の話をよく聞きました。私達信徒が高齢化し、若者が少ない現状の中において、エマオの活動に共感し集まってくる若者たちがこんなに沢山いるのかと思うと希望と勇気が湧いてきました。
  ただ若者たちの9割がたがノンクリスチャンだということです。ワークに参加した若者たちが教会に寝泊まりし、「教会」と言う場に触れる機会をも作り出しており、1人でも多くの若者がキリスト教に興味をもち、出来れば信徒となり、これからもワークに参加してほしいと祈ってやみません。

  今回のワークに私達を送り出して頂きました四国教区の方々に感謝を致します。本当にありがとうございました。


「エマオへの道・四国」
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