高校二年の夏、両親や学校の担任の先生の反対を押し切って行った初めての仙台。この経験は大きく視界が広がった。
この春、高校生活でラストチャンスだった。このチャンスを掴むにあたり、教会のみなさんや学校の担任の先生、両親が支えてくださったことに感謝します。
二回目の仙台行きは松田先生の引率なしで1人でボランティア参加になるのではないだろうかと思っていたが、大野さんという心強い方と一緒に仙台に行くことが急きょ決まり安心して仙台へ飛ぶことができました。
春の仙台は晴れている日は愛媛と同じぐらい暖かいのだが、雨の日は気温があまり上がらず寒い。エマオのワークは夏とは少し違った。仮設住宅にも農家さんのワークどちらにも重点を置いてワークをしていた。
ワーク初日、半日仮設住宅の引っ越した後のお掃除のお手伝いをした。初めて仮設住宅に入って感じたことは「狭い」・「寒そう」この二つは実際に暮らしていても感じるそうだ。しかし、その仮設住宅も仙台市では来年の春で居住できなくなるという。そう聞くとより一層ワークに力が入った。一方で、新たなステップに進まなければならないのはわかってはいるもののなんだか少しものさみしい気がした。夏に仮設住宅で伺ったときにお見かけした方も元気そうで安心できた。だが、安心できたのも束の間、仮設住宅の退去の話を思い出した。仮設住宅から復興公営住宅への移転は抽選で決まるためせっかくできたコミュニティも崩壊する。そこが気がかりになった。
ワーク初日以外、最終日以外は農作業ワークをした。内容は、ビニールハウス内の草、青梗菜の後片付けを手伝い稲の苗が育つ環境を整えるお手伝いをした。草がなくなったビニールハウスをみてすがすがしい気分になった。ワークの拠点である笹屋敷も、農地に関しても復興してきていると思った。
これからも、遠くからではあるがエマオを、そして東北を忘れず、支えていきたい。 |