第14次隊派遣――東北ボランティアを体験して(2013102125)――

 
香川分区丸亀教会 梶浦志保子
    
「エマオへの道・四国」の祈りと交通費支援を得て、丸亀教会の友人と二人で兼ねてから念願していた日本キリスト教団東北教区被災者支援センター・エマオ(後エマオと称す)に正味3日間の接的支援ではあるのですがキッチンボランティアに行ってきましたので拙文ですが、仕事や行事内容とその体験、感想などを各々が報告させて頂きます。

1.キッチンボランティア

キッチンボランティアの仕事とは、スタッフの一部(入寮者)とボランティアの人(この時は約10人)に一人200円前後のメニューお任せ夕食を作ることです。尚、朝食はキッチンにあるシリアルや前日の残り物を食べ、昼食は其々が自分達で食べ物を買って準備をするので不要でした。

因みに夕食メニューは、以下でした。

22日~豚汁、野菜サラダ、きんぴらごぼう 

23日~カレーライス、野菜サラダ、大根葉の炒め物  

24日~ロールキャベツ、ポテトサラダ、茄子の味噌煮

※若者が多いことや、もう気温が低くなっている外での肉体労働後、そして好き嫌いを考慮して、「温かいもので量を多めにと品数を多く」をコンセプトにしてボランティア先から頂いた物の中から“もう一品”を心がけました。しかし、皆さん好き嫌いなく、そしてちょっと無理もあったのでしょうが「美味しい」と言って殆ど食べ尽くしてくれました。

 

2.その他の経験

夕食作りは13時から取りかかり、夕食の18時に間に合わせれば良いので、その準備がある程度できていればこの時間内にも、そしてその他の午前の時間には、スタッフの細かい配慮の下、色々な経験をさせて貰いました。その内容は以下です。

21日~☆ラジオ体操+☆お茶っ子(於七郷中央公園仮設住宅)、☆昼食会☆エマオ笹屋敷集合、☆荒浜地区見学、夕食材買物、☆ミーティング

22日~ラジオ体操+お茶っ子、エマオ笹屋敷集合、夕食材買物、ミーティング

23日~ラジオ体操、☆見なし仮設訪問、エマオ笹屋敷集合、☆農作業(ハウス内で三度豆収穫と根っこ抜き)、ミーティング、☆シェアリング

 

この☆印について少し説明をしましょう。

☆ラジオ体操~仮設入所者の運動不足解消や健康維持、孤独からの脱出の手段ということで、初代仮設住宅支援担当臨時職員のTさんの提案で始め、最初は一人の知的障害者と一緒に始めたのが、エマオのスタッフの毎日の参加もあって、大切な集まりとなっているそうです。この日は20人、次の日には10人程が集まりました。

☆お茶っ子~ラジオ体操に続いて、机上に準備されたお茶を飲みながら、隣近所の人達やエマオの人達も1時間程参加してよもやま話をします。これと前記のラジオ体操は毎日行っているということで、入所者に明日に続くものとして希望を与えているとのことでした。

この七郷の仮設は60戸あり、現在の震災から2年半の今では約3072人が生活をしているということでした。この中では高齢者が多く、それも独り暮らしが多数です。以前は全員荒浜地区で一戸建て住宅で暮らしていた人達で、御家族を失った人が多数ということです。

☆昼食会~仙台市内の教会から派遣された女性56人が支援センターに寄って昼食を一緒に作り、七郷中央公園仮設の集会所にそれを届け、一緒に食べたり会話をしたりする月1回の催し。これは一人の人が2カ月続きで1クールなのですが、このグループは其々異教会のメンバーなのに、この仲間でいつまでも続けたいという意志で、ずっとこのボランティアをしているとのこと。私達も一緒にこの季節の郷土料理「腹子飯」と「きのこ汁」を作りました。その中の一人に高松出身の人が居て懐かしがってくれました。この方は故郷の実母を引き取っていることもあって高松に帰ることもなくなったのですが、数か月前の同窓会で帰ったら、余りの変わりように驚いたとのことでした。この方は私の大学の同窓生でもありました。

☆エマオ笹屋敷集合~スタッフとボランティア全員が、笹屋敷地区の某個人の御好意により提供されたハウス内に集まり、本日の仕事の割り振りを受ける場所です。尚、農作業は殆どこの地区で行われます。

☆荒浜地区見学~ここは日本全国の人が嘗てこの震災を初めてテレビで目にして、殆どの人が現実に起きていることとは直ぐには思えなかった場所です。あの映像は近くの自衛隊基地から飛び立ったヘリコプターから撮ったものらしい、ということでしたが、津波が家やハウスをなぎ倒して行った様が見えました。ただし、この地区の方々、仙台の方々はこの映像はその時には見ていないそうです。というのは、直ぐに停電になったのだそうです。だから自分達の地域に何が起きているのかその全貌が数日間全く掴めなかったということでした。

あれから2年半の今も、何も無いままです。というか、もうここでは住んではいけない場所に指定されているそうです。しかし、「元いた所に必ず住むのだ」と意を堅くして、土盛りを高くし備えている人もいるとのことでした。

☆ミーティング~スタッフ、ボランティアが一日のワーク(労働)を終えて、その思いや反省をする時間で、2030分で行っています。ボランティアの出入りは常時あるのですが、この期間では初日に一人が去り、二人が来て、次の日には一人が加わりました。スタッフが56人、ボランティアが57(殆どの人が47回以上のボランティア経験者)でした。スタッフが司会や説明をして、ミーティングの意義とルール、新人紹介、ワークの振り返り、次のシェアリングの内容紹介などをしました。ミーティングの内容としては、

・ボランティア先が前回の時と同じ家だったので、家人と色々話しながらの農作業で、自分の悩みも聞いて貰ってしまった。

・スタッフの方が仮設の訪問を7軒した。夏季休暇明けでもあったので、「寂しかった」と言って貰った。明日は、残りの訪問をする予定にしている。

・草抜きをしたが、まだ作業が残っているので明日もお願いしたいという要望があった等々。

☆見なし仮設訪問~この「見なし仮設」というのは、文字通りの意で「仮設と見なす住宅」のことで、被災者が入居している一般の賃貸住宅のことです。今回お訪ねした方は、1回目の訪問時に、御本人が隣に腰掛けて来てくれた方で、本人から親しくお話をして下さった方でした。この方は私達に特別の感情を抱いてくれたみたいで、この日の夕方エマオの事務所に「私達が明日も来るのか?来ないのならば手作りのものを送りたいので住所を教えてくれないか?」という問い合わせをした様でした。私達の仮設への訪問はこの日1回限りの予定でしたが、この日のミーティングで「明日の朝に仮設訪問をしたい人?」の問いに応えて、私ももう一度是非行きたいという願望で挙手をしました。この方からの電話による問い合わせは知らないままにです。そして次の朝に仮設訪問をすると非常に喜んでくれて、私にプレゼントをくれました。その理由は「わざわざ遠い香川から来てくれたのですね。ありがとう。嬉しいのでお二人に、お礼として私の手作りで済まないけれど受け取って欲しい」というものでした。それは手作りと言えども商品化をしている折り紙細工やリリヤンのストラップでした。私も再会できた喜びと共に、別れがたい気持ちを抱きながら、恐縮して頂いて帰りました。この日の夕方のミーティングで「私達ボランティアの一方的な訪問にも拘わらず、被災者の方々が何と笑顔で私達を歓迎してくれることか、その情けに分かれ難さが募る」と報告したのでした。その日の夕食を終えて、スタッフの方が私達の所へ来て「明日も仮設に行きたいですか?」と問い合わせがあり、私達二人同時に「行きたいです」と答えると「一考してみます」との事でした。そして次日の朝に、「一緒に仮設にラジオ体操に行きましょう」という声掛けをしてくれたのです。しかし、再び会える予定が無かったものですから、その方は出席していませんでした。それでは昨日の御礼を手紙として渡してもらおうとしました。しかし名前も分らないので、仮設の事務所に行って、どこかへ行った時の写真などを見せて貰って、やっと名前が分かりました。とすると、スタッフの方がその方の御主人が出席されていますと言いに来てくれたのです。そこで、今までの経緯と共に「奥さんにお礼を仰っておいて下さい」と伝えると、それでは歩いて2分の所に自宅がありますので連れて行きます、と仰るのです。訪問すると御本人が驚いて出て来てくれました。そして再会を喜び合いました。そしてどうぞどうぞと気持ちよく上に上げて下さって、御主人の煎れてくれたお茶まで頂いて、そして、水に濡れた写真を見せて貰ったり、先祖が平家の落人のようで、何時の時代にか荒浜地区に移って広域の開墾をして現在の御主人が24代目であること等お話して下さいました。そして手作り品の品物を見せて貰って、その中から昨夕に、もし再訪問ができたならば、教会バザーの販売品として手作り品を購入したいと私達で話し合っていたことを実現しました。これは御本人に取っても励ましとなるかも知れないと思ったのと、教会の人々に、少し元気が出て来た現在の被災者の一人を紹介できるかも知れないと思ったからでした。せわしない束の間の再々会でしたが、私達もお礼に手持ちのおうどんを一つ置いて、庭先で振り返りながら分かれて来ました。
仙台駅には、売上の一部を寄付する主旨の東北復興支援店というものが今回できていて、その方の仰った通り、私達にプレゼントされ、また購入した同じ品々が置いてありました。

☆農作業〈ハウス内で三度豆(現地名はササゲ)収穫と根っこ抜き〉

車の中でスタッフのKさんに、訪問先のオリエンテーションを受けました。この方は押し寄せた1.5mの津波に自宅や田畑の被害を受けたにも拘わらず周囲の人の誰よりも早く、農業の再会をした人で、この辺りのリーダー的存在ということでした。

スタッフと私達の3人で出かけましたが、既に御主人が庭先で待っていてくれました。相互の挨拶の後、仕事内容と時間の確認をして作業を始めました。長さ20m位の畝に、2列で支柱の高さ2mに植えられている豆を収穫して、支柱と共に根っこを引き抜いて倒して行きました。その作業が終わりそうな時に、お茶の休憩が20分程あり、それからその畑の周囲の草抜きとその始末をして約2時間の作業を終えました。作業は砂地である所為か大した力が要る訳でもなく、3人の共同作業のよもやま話もあってか、流した汗がむしろ快感で楽しくできました。

この時のお茶の時間には、パンやお菓子、ふかし芋などが奥さんによって庭の一角のテーブルの上に準備されていました。やがて奥さんも加わって談笑しながらのお茶でしたが、その時に、わざわざ香川県からありがたい。そして屋根の軒先を作り直してくれた台湾の先生と学生が快く作業をしてくれたこと、エマオの人達にお世話になることが嬉しいこと。そのお礼に昨年のお米の余りで申し訳ないけれど30キロを受け取ってくれるか?今年からお米が獲れるようになったので不要になった。昨年までは奥さんの実家からお米を貰っていた等の話をしました。

自宅で収穫されせたアツアツでふかふかのお芋は甘くて美味しかったです。

しかし、主婦の私は、このようにボランティアの人達のおもてなしも大変だろうなあと思いました。この日は昼食も準備してくれようとしたのですから。しかし、双方が思いやってこそ、また未来に向けて何かが生まれるのでしょう。

☆シェア―リング~これは、ボランティアの人達だけが寄って夕食までの時間に、ワーク中に起こったことで嬉しかったことや苦しかったことなど自分の気持ちを忌憚なく吐露するという時間で、本人の話を他人が止めたり、質問したりしてはいけないルールがあります。

自己紹介から始まり、それから、ワークを通して感じたことなどを発言しましたが、苦しいという気持ちを吐露する人は本日は居ませんでしたが、20代の男性から女性に向けて、「産まない性の僕が質問をしたい。家人がこのような災害で突然死ぬということは産む性の人はどのように受け止めるのだろうか?」というものでした。そして二人の女性が答えました。「いやいや、それは大変苦しいはず、人生で一番苦しいことかも知れない、仮設に居る人達の中にはそのような経験をしている人が多数いるとの事。そのような人達に話題が違っていても、側で話をしてもいけないのかも知れないと思う」「いやいや、産む産まない性というのは関係無いと思う。皆例外なく苦しいこと」などが話されました。

 

まとめ

今回、皆さんの御祈りと献金に対して、高い交通費に見合うだけの報告ができたかどうかは疑問です。しかし、体験して感じたこと分かったことは前記の様に沢山ありました。これらをまとめてみます。

①ボランティア活動が教育としての場となり、学ばせて貰う機会となる。それはまた被災者にとっては勇気を引き出す力に繋がっていくのかも知れない。

被災者との交流は数少なく短時間だったこともあってか、相手にどれだけのものを与えたかは大変疑問ですが、それでも確かに人情を相互に伝え合うことができ、人に取って大切なことを学ばせて貰いました。また被災者に取って、支援者が何らかのお役に立ちたいとの働きを、そして自分達の生活環境が少しでも改善されて行く様を見て、明日に向かっていく勇気を呼び起こす機会になる、なっていると感じました。

この双方の人達の輪に、私は多くを学ばせてもらいました。これは当に野田沢牧師(エマオ初期の教団派遣専従者)の仰る被災地域でのボランティアが教育の場の提供となる。それはまたボランティアの意味そのものでした。

    この「エマオへの道・四国」からの人の派遣の意義は大きく、東北と四国を繋いでくれる。

わざわざ四国から、香川県からという思いで受け止めてくれる人がいました。私も距離的に遠いのでその苦しみは、想像するだけの範囲内のことでした。しかし、実際に被災者と隣り合わせて座り、その人の話を聞き、その人の体温を感じていると、以前から知り合いであったような感覚になり、その人の苦しい体験が我がこととして感じられ、涙が出て来きました。

    日本キリスト教団東北教区被災者支援センター・エマオの働きが間違いなく、そして継続していくことが大切。

実際にはスタッフの人達が、被災者支援に色々な貴重な体験や思考、時には怒りも経験して、その中から具現化されたものとして、寄り添い、スローワークを心がけました。このようにして今まで積み上げてきたものが、笹屋敷地区 、荒浜地区、そしてその他の人々に「明日があるという希望」で支え続けていると思いました。その為にも、今後もこの姿勢で期待に応えて、ずっとこの働きを続けて行くことが大切だと思いました。

    スタッフのボランティアに対する態度は感謝。

スタッフはボランティアに対しても心配りや優しさがあります。本来ならば余りに入れ替わり立ち替わりのボランティアの故に、おざなりになりがちであろうはずなのに、そうで無いのです。この陰には、祈りつつそして日々の個人としての努力があるであろうことを思いました。感謝です。

    仙台の諸教会の思いを知る

支援センター・エマオの周辺の教会員の思いや活動、そして宿泊させて貰った教会・青葉荘教会の何気ない心配りがこの震災への思いや覚悟を伝えてくれました。お世話になりありがとうございました。

 

被災者、そしてエマオのスタッフ、近隣教会員、そして同じ思いを持ったボランティア、それらが今でも私に「人は暖かい」と感じさせるのです。東北と言えば出会った人々をこれからも思い続けるのだと思います。

2013年10月30日のNHKのテレビで、気仙沼の被災者の若者たちが観光案内をするものでしたが、この若者達はやって来る人達に、案内をしながら元気を与えようというのがコンセプトでした。いやいやこの様に被災者は、逆の歩みまでになっていました。

支援センター・エマオはこれからも長い活動になるのでしょうし、またそれが成るように私達が支援し続けることが望まれるのでしょう。そして、時が変わって被災者の要望が変わるとしても寄り添い続けて、未来に向けて勇気を与える存在、そして私達が学ぶものとして在るのだと思います。そのように祈りたいと思います。

 

貴重な体験の機会を頂いたこと、誠に感謝です。ありがとうございました。                                                以上

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
emaoshikoku@gmail.com