被災地ボランティア報告

 
新居浜西部教会 菊田行佳
    
 私は今回、2012年11月26日から30日までの間、四国教区エマオへの道プロジェクトより派遣され、被災地支援のボランティアをさせて頂きました。そこで、そのボランティアで体験させた頂いたことへの感想を、少し話させて頂きます。

 宿泊所の近くにあり、ボランティアの出発地点であるエマオの事務所から、自転車でボランティア先に向かう時、大変大きな仙台の街を抜けて行きました。私は以前横浜に住んでいましたので、大きな大都市には慣れているのですが、愛媛県から久しぶりにこのような大都市に来たことに、どこか懐かしい思いを致しました。しかし、自転車で30分も進んで行く内に、津波の被害に遭った地域に入って行った時、そのギャップの大きさに戸惑いを感じました。特に、初日に仮設住宅の方々を訪ねたこともあり、そこで暮らされているかなり年配の方々の姿と、仙台の中心地にいた活気にあふれた若い人々が、喧噪にまみれてせわしく歩いている姿とが、大変対照的で深く印象に残っています。

一日でも早く震災からの復興を目指して、後ろを振り向かないで、前を向いて進んで行こう。そのような、街の若い人々の足跡が聞こえてくる一方で、その急いで行く足を止めて立ち止まり、何か大切なことをしなくてはならないのではないかという気持ちが、仮設住宅の年配の人々を見ていると出てきます。ただ、これも、遠い四国から、期間を区切って来ているからこそ思うことであり、自分が身近にいたら、やはり立ち止まるのが怖くて、急いで前を向いて行くのだろうなとも、思えます。もし、自分が住んでいる地域が同じような災害にあった時、私はいったい何が出来るのだろう。もし、自分が生き残ったのなら、私はいった何をするべきなのだろう。そのようなことを、自転車をこぎながら考えていました。

私に、多くのものを失った人々に、語りかける言葉はあるのだろうか。また、たとえ語る言葉が見つからなくても、その人々にそっと寄り添って、一緒に座っているということが、はたして出来るのだろうか。そのような問いがわいてきます。自分には聖書しかない。そう思う一方で、本当に聖書の言葉を紡ぎ出せるのかとも、思わされます。そこから語る希望の言葉は、相手に挫折の追い打ちを浴びせる言葉になりはしないか。空しく響いて、素通りしてくるその言葉に、自分は耐えきれるだろうか。そのようにも思えます。

そうかと思うと、今度は他人事のような思いも出てきます。端から見ていると、もっとこうした方が良いのではないか。もっと現地の人々が、主体となってやるべきではないか。そのような、安全な立場から指導を行う教官のような考えも、後から後から出てきます。結局最後は、それは自分がその身に置かれてみなければ、決してわからないことだよと、それ以上エスカレートすることを止めてくれる言葉が、どこからか聞こえてきます。

エマオで、スタッフをしているある青年が、このように話してくれました。

「自分たちに、何かしっかりとしたある考えがあるわけではないんです。被災した方々を支援するということが、どういうものかと答えることも出来ません。ただ、自分は他の人よりも少しだけ経験があります。その自分が経験して考えたことを、後から来る人に伝えるだけです。それが自分の役目だと考えています。」

そのように、話してくれました。大変正直で、飾らない言葉でした。私も、その青年からすればほんの少しの経験でしかありませんが、そこで見たこと、聞いたこと、考えたこと、それらを精一杯、思いに込めて伝えて行きたいと思います。

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
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