| 私は10月17日から21日(17日と21日は移動日)まで、「エマオへの道・四国」の支援を受けて「日本キリスト教団東北教区センター『エマオ』」内に設置された、「被災者支援センター」でのボランティアに参加してきました。
実は第一次の募集があった時、是非行きたいと願いつつ、ちょうど自身の正教師試験の直前ということで断念した経緯がありました。ですから第二次の募集があった時にすぐ応募したのです。ですがその一方で、私自身の認識の甘さから誤解していたのですが、今から被災地に行って一体何のボランティアができるだろうか?という疑問を持っていたのです。というのも、ボランティアは被災直後が最も人手を必要としており、時間が経つにつれニーズがどんどんと減っていくものだと思い込んでいたのです。被災してからすでに半年が経っている、この時期に行って自分に何ができるのだろうかという思いがあったのです。そしてその思いは仙台の駅に降り立ったときにピークに達しました。仙台の駅前は全くと言っていいほど被災地という面影は全く見当たらず、私にはもうとっくに復興を終えてしまったかのように見えたのです。私はこの仙台に今さらながら被災者支援のボランティアに来たということに、とても場違いな印象を受けたのです。
しかしそれは全くの見当違いでした。今回の津波の被害は、たった半年で復興のめどが立つほど生易しいものではなかったのです。
ここエマオでのボランティアは、支援する場所まで自転車で移動するのが基本です。朝、通勤通学ラッシュの時間帯にエマオを出発します。長靴をはき、作業服を着こんで通勤通学の街中を自転車で走り抜けていくのです。ですが自分の姿に違和感を覚えるのは最初の15分から20分程度の間だけです。やがて郊外に到達し、高速道路をくぐりぬけていくとあたりの風景は一変します。皆さんの多くはテレビのニュースでご覧になった方も多いことと思います。このあたりの津波は、広い平野だったこともあり、津波自体の水位は海岸線はともかく、高速道路のあたりではそれほど高くなく、この高速道路が防波堤となり、高速道路の海側が被災し、市街地側はほとんど被害の出なかったという地域だったのです。この高速道路が津波被害の境目となっていたのです。
その高速道路のガードをくぐりぬけていくと、そこは一見のどかな田園地帯のようでした。つまり何もない平地の中に、ぽつぽつと家が経っているのが見えるという風景でした。このあたりは被災直後には一面がれきの山だったそうです。そのがれきはこの半年でここまで撤去されていたのです。撤去されていると言えば聞こえはいいのですが、がれきが残されていてはいつまでたっても復興は進みません。しかも仙台の市街地の目と鼻の先だということもあり、(まだ田んぼの中にひっくり返った自動車が何台かあったりしますが)比較的早く一時的に別の場所へ移動されていたのです。しかしがれきはどかされただけでしかありません。その風景は、一見まるで復興が進んでいるかのように見えます。特にぽつぽつと見える家も、外見だけを見ればきれいで住めるかのように見えます。その家も外見と内側では全く様相が違っています。家の中は泥で汚れ、散乱したままです。これらの家財道具を家の外に運び出し、どうしても使えない物だけを廃棄し、使えそうなものは(それでも普通ならば捨ててしまうような汚れ具合です)洗ってきれいにして再利用するのです。そして家の床をはがし(この床板もどの部屋のどの位置なのかを記しておかなければ、再び床板をはめるときに困ってしまいます)、床下の泥を掘り返さなければならないのです。私たちはその家財道具を運び出し、床板をはがしていくという作業をしました。
私たちはたった三日間の作業でしたが、これらの作業は言葉で言うのは簡単ですが、とても地道な作業で、そのお宅の方々にすれば途方もなく気の遠くなるような作業です。業者を呼ぼうにも、お金もなく、そして何よりもその業者が引っ張りだこで、いつ自分の家に取り掛かってくれるのかもわからない状況なのです。始めから終わりまで、自分自身の手で作業していかないということは途方もない勇気と決断と気力がなければできないことです。私が訪れたお宅も、その戦いの真っ最中だったのです。
被災された方々の中には、被災直後から精力的に復興に取り組んでいる人も沢山います。しかしいまだにその決断をする気力もわかず、途方に暮れている人々も多くいるのです。しかも、目を挙げれば被災した自分の家から少し離れた向こうには、以前と変わりのないように見える市街地が見えるのです。方や自分の家は被災し全てのものを失ってしまった。方や以前と変わりなく生活している人々がいる。現実にはもっと複雑なのでしょうが、この割り切れない現実が、被災者の方々の心に様々な思いを抱かせていることは確かです。なぜ自分たちだけが。そういった割り切れない思いに苦しんでいる人々もいることでしょう。だからこそ、決して自分は忘れ去られていない、自分たちの苦しみの一端でも知り復興の手助けをしてくれるボランティアの存在が、その労働以上の励みと力となるのではないでしょうか。お金も確かに必要です。ですが苦しみを知り、手助けしてくれるボランティアの存在こそ最も必要とされているのです。そしてこれからも必要な存在であることに変わりはありません。そのボランティアは、学生が休みとなる時期はある程度確保できるかもしれませんが、慢性的に不足しているという事実は否定できません。これからこそ、ボランティア支援をより一層叫ばなければならないのです。
エマオでのボランティアは、スタッフを含め、クリスチャンだけではありません。求道者であるキリスト教保育で働いている保育士さん、さらにはノンクリスチャンの方々もたくさん参加しています。時にノンクリスチャンの方が多いかもしれません。そして支援する先はほとんどがノンクリスチャンのお宅です。せっかくボランティアに人やお金を使うのならば、キリスト教関係のところからするべきだという意見もあります。確かにその通りです。また四国からボランティアに参加するというのは、時間とお金が余計にかかり、効率が悪いという意見があります。確かにその通りです。しかし被災された方々にとって、何よりも人が来て一緒に働いてくれる人がいる。むしろ遠い所から来てくれたということが励みとなり、喜びとなるのです。そしてエマオでのボランティアは、出発前に皆で祈ってから出発します。そして一日の終わりには祈りを持って終わります。被災者の方々は、キリスト教とは全く無縁であるのにもかかわらず、キリスト教のボランティアが支援してくれたことを感謝してくれています。このエマオでのボランティアの働きは、大きな証しであり福音の宣教でもあるのです。
被災者支援の方法にはさまざまな方法や選択肢があります。もしどの方法がいいのか分からないというならば、エマオでのボランティアは、実際に参加した身として特に推薦できる働きです。ここには学生から仕事をリタイアした人まで様々な人が参加しています。私なんかとしり込みする必要はありません。エマオではたとえ微力であったとしても、何かしら奉仕したいと言う人を歓迎しているのです。
最後に、エマオでの奉仕に参加できたことを神様に感謝いたします。そして被災された方々の上に癒しと慰めがありますように祈ります。そしてこの支援の輪が広がっていきますことを願ってやみません。 |