「エマオへの道・四国」報告

 
滞在期間 :201492日(火)~7日(日)
派遣先  : 東北教区被災者支援センターエマオ &福島県 伊達教会ほか
岡田恵子(丸亀教会)

今回で3回目になり、送り出していただいたことに心よりお礼申し上げます。忘れたくなかったという思い、変わっていくもの、変わらないものどちらも直接見て感じたかったという思いで訪れました。下記の通り報告します。 


ワーク1日目 9月2日(火)

 AM:七郷中央公園仮設住宅の草抜き(ワーカー7名)
    お住まいの方は近くの温泉に行かれており職員さんが出迎えてくださる。
 PM:スタッフのまもるさんの案内でフィールドワーク(AMと同じメンバーで)

①荒浜の観音像
→観音像のそばには犠牲になられた190名余の名前が刻まれている。周りは家の土台だけが残り、あちこちに黄色いハンカチがいくつも風に揺れている。海からの距離は同じでも住める場所、住めない場所があるという。この付近は居住禁止区域とのこと。元の場所に戻りたい人にとっては「なぜ?」という思いがあるだろう、それがこのハンカチに込められている。

②中野小学校跡地(蒲生地区)荒浜よりも北
→津波被害によりすでに取り壊された小学校跡地慰霊塔そばに町内会の方がまとめた資料(A4サイズ11p)が置かれておりまもるさんが配って下さる。

③閖上中学校 荒浜より南
→慰霊碑は犠牲になった生徒の保護者が建てた、訪れた人に直接手で触ってほしい、ということでまもるさんが「こうやって触ってあげて」と慰霊碑をなでる。

④特別養護老人ホーム(デイサービスもあり、名取市東地域包括センターも兼ねていた)
→かなり大きな施設。津波被害に遭い、中に入ることができその爪痕の大きさがよくわかる。利用者、職員がどれ程の恐怖を感じたことだろうと胸が締め付けられる思い。3年半という時間の経過により雑草が建物の一部に侵入していた。津波の際は3階に逃げられるように作られていたというが、そこは別棟のうえ、たどりつくまでに小さな川がありコンクリートの橋が1つしかない。大勢の寝たきりの高齢者を短い時間に運べるような避難場所ではなかった。


ワーク2日目 9月3日(水)

 AM:早めに移動して七郷中央公園仮設住宅でラジオ体操(入居者4名、ワーカー7名)

疲れや熱などの体調不良で今日は人数が少ないとのこと。ずんだの話になり家から作り置きを持って来て下さる方があり、美味しくいただく。その後ワーク先へ移動。枝豆を収穫し、さやだけをちぎる作業。(ワーカー3名)


 PM:枝豆の周りの草抜きとキャベツの苗植え

枝豆は数種類あり、そのうちの1つは震災前まで地域の運動会後の慰労会のために振る舞われていた。そのため、95日~10日ころ収穫されるように植えられたとのこと。地域の運動会はなくなってしまったが、こうして枝豆は作られている。またこの地域の運動会が復活することを願う。


ワーク3日目 9月4日(木)

 AM:荒浜小学校近くの水耕栽培のミニトマトを作っているビニールハウス周辺の草抜き。ビニールハウスのあるこの施設には大型トラクター(?)のような機械が何台もあり、来年には法人化の予定ということできれいな事務所が構えられていた。3年前の201112月には車がひっくり返ったままのところもあり、黒い土ばかりだったこの場所に水田が広がっていること、農業が再開された所が多くあることに驚く。

 PM:昼食時に施設の代表の方が震災当時のことをいろいろ話してくださる。途中で日本に留学しているというマレーシアの学生が見学に来ていた。作業は草抜きの続き(ワーカー3名)


ワーク4日目 9月5日(金)

 出発前のミーティングでその日に帰るワーカーのふうたさんが「微力だが無力ではない」というメッセージを残した。たくぼーさんはシェアリング(1日のワークを終えて感じたことを語り合う場)にぜひ参加してほしい、と呼びかける。どちらもとても心に残った。

 AM:担い手がいなかったので言われるままにエマオから移動先の笹屋敷までの自転車リーダーを引き受けたが心配した通り迷子になる。わかる場所まで何とかたどり着いた途端自転車がパンクし、結局車で迎えに来てもらうことになった。ワークはエマオがずっと関わっている有機農業をされているKさん宅。ビニールハウス内の草抜き。別のビニールハウスにも移動して高温障害を起こしたホウレンソウを抜く。(ワーカー3名)

 PM:草抜きの続き。Kさんの友人Sさんが来られエマオのワーカーとラインでやりとりをしていると嬉しそうに話してくださる。Kさんもフェイスブックを通してワーカーとつながっているようだ。

 ワークから帰ってシェアリング希望者は、昨日まで5人だったが15人に増え、朝のたくぼーさんの呼びかけに応える形になった。ワーク最後のこの日私もようやく参加し同じグループ7名の言葉に耳を傾けることができた。


9月5日(土)  車で 仙台 → 福島へ

 行けるところまで海沿いを走る、ということだけを決めて出発。仙台空港方面から亘理町、山元町をを過ぎ、福島県相馬市、南相馬市を通る。高速道路の左右で風景が異なり、海沿いと陸側ではやはり陸側の方が水田が多い。南相馬をしばらく走らせると車の量が少なくなってきた。道沿いの店舗が営業していないことに気が付く。宮城県や相馬市ではすでに稲が実って青々とした景色が見られたが、同じ緑色でも稲ではなく雑草の風景に変わる。壊れたままの家、横転したままの車も残っている。通行証を持っていないと通れないところまで来たので引き返す。検問のために多くの人が働いていた。(915日以降この国道6号線は車のみ全線通行可能になった。)行きに見かけた「思い出の品展示」と書かれた元ギフトショップへ立ち寄る。ぬいぐるみや写真が並べられ持ち主が現れるのを待っていた。店の奥でアルバムをめくって何か探しておられるご家族の姿があった。

 南相馬市小高区の様子を見ようと住宅街に入る。工事関係者以外は誰もおらず家は残っているが住んでいる人はいない。行先を決めずにこの地区にたまたま入っただけだったがたまたま教団の教会、小高教会を見つけた。(帰宅後調べたところ20129月号信徒の友に掲載あり、教会員は各地で避難生活をされているとのこと。)近くの原町駅に行くと列車は走っておらず、線路には草が高く茂っていた。

 その後内陸にある伊達市に向かうため途中で飯舘村を通る。人家のあるところは「除染作業中」の黄色い旗が立ち、黒い大きな袋がいくつも並ぶ。気の遠くなる作業。いつまで続けられるのか。

 伊達教会に到着後、さらに車で1時間ほど移動して白井真先生が兼務されている大平伝道所(二本松市)の礼拝に出席。民家の畳の部屋で正座して礼拝を守る。ここで礼拝が守られていることに深い感動と喜びを覚えた。礼拝後に自家製(野菜も手作り)の漬物を美味しくいただく。「あんぱん」というこの地域のめずらしい砂糖のたくさんまぶされたおまんじゅうも振る舞ってくださる。飯舘村の方は伝道所のあるこの二本松市に仮役所を置き、多くの方が避難生活をされているということだった。


〈振り返り〉
 北海道から沖縄まで、まさにその通りに全国から多くのワーカーが集まり、ワークに出発する前、帰った後に手をつなぎ、祈りの言葉に耳を傾ける時「寄り添いたい」という思いが一つになっていくのを感じた。特に大学生が多く、同じ四国から東雲大学、短大から来られた学生ともたくさん出会えたことも嬉しかった。お世話になったワーク先の方が笑顔を見せてくださるとこちらも元気をもらった。

 エマオでは以前と変わらず「寄り添うこと」を大切にしている。アドバイスや提案ではなく、その方そのお宅がどうしたいかということにひたすら耳を傾ける。スタッフの方の配慮に今回もただただ頭の下がる思いだった。朝早くから掃除をされ、夜遅くまで自転車整備をされていた。

 再び香川に戻り、遠くにいるわたしには祈ることしかできないかもしれない。でもこの小さな祈りの灯火は決して一つではなく全国にたくさんあることを思う。エマオでワークをした述べ人数は約6000人にのぼる。エマオで輪になって祈りを捧げたが見えない輪が全国に広がっていると思う時、祈りの先には必ず希望があると信じる。

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
emaoshikoku@gmail.com