第17次派遣報告

 
日 時 : 2014年2月17日(月)~23日(日)
派遣先 : 東北教区被災者支援センターエマオ
黒川 ヒロ子・徳丸 延子(今治教会)

教区からの派遣で、今治教会から徳丸延子、黒川ヒロ子の二人が仙台でのキッチンボランティアとして行って来ました。積雪のため、予定より3日遅れて、2月17日夜今治を発ち、夜行寝台車を利用しての出発となりました。仙台エマオに着いたのは10時30分頃でした。すぐにボランティアの心得や、今後のスケジュール等説明を受けました。
 2月18~22日までの5日間、スケジュールはいっぱいつまっていました。当初20人分の夕食作りを私達2人でという事だったのですが、それだけでなく、フィールドワークで若林区荒浜地区、名取市閖上地区を、地元のスタッフのていねいな説明を受けて回って来ました。甚大な津波の被害を受けたこの地区は、広大な更地になっており、ここに町があり、人々のくらしがあった事が信じられない光景でした。
 荒浜では、所々に黄色の旗が立てられた土地があって、それは住み慣れたこの地に帰って来たい方々の思いを表わしているものだそうです。でもこの土地は高台移転のため、住宅は建てられない決まりになったそうです。閖上地区はかさ上げして宅地になる様です。いずれの地区も復興はいつ果たされるのか、被災された方々の不安、苦悩はまだまだ続くのではと思いました。
 仮設団地には3か所回りました。いずれも小規模な所で、昼食会やラジオ体操、お茶っこ等をし、入居者2~5名くらいで、スタッフ合せて10名ほどでした。エマオ仙台のスタッフは、大規模な仮設では、目の行き届きにくい方々の支援を心がけ、一人一人に寄り添い、心を大事に接しておられるのが、良く伝わりました。「共に泣き、共に喜ぶ」その中から、互いに希望を紡ぎ出し、互いに豊かにされるというのは、エマオ仙台が望んでいる事ですが、それを実行している活動でありました。被災者の方々と心を開いて話ができるのは、長期ボランティアやスタッフが長くかかわっているからこそであると思いました。
ただ、交わりに集まられる入居者が2名とか多くて5名位なのは意外でした。住民の方の中にも、交わりに出て来られる方と、全く出て来られない方がおられるようでした。その方々へのケアが気になりました。また、仮設の集会所は、仮設住民が自由に利用できるのかと思っていましたが、実際には施錠してあり、自由には使えない(交われない)のも気になりました。
 さて、仮設の住民の方々と共に食し、笑い、一期一会の出会いでしたが、この時期になると、家を建て仮設を出て行く人、親族の元に行かれる人、どこに行くのか先の見えない人等、住民の間に格差のようなものが生じて来ているようです。この先仮設は無くなってゆくでしょうが、不安を抱えた方々のメンタル面での支援が必要だと感じました。このような支援は、心を通わせた信頼関係がなくては出来ないことでしょう。
 キッチンボランティアは間接ボランティアで、私のような主婦にも出来ます。地元の教会の方々は震災後すぐに全国から来るボランティアの炊き出しを賄っておられるそうで、大変です。私達が行く事で少し休むことが出来るのですが、この地からでは交通費が嵩みますし、私達が働けたのは(当初1週間の予定が)正味3日間でした。せっかく行くのであれば、少なくとも10日~2週間位はお手伝い出来ればと思いました。
 ただ、キッチンボランティアという職責上、ミーティングへの参加が、時間的にどうしてもできなかったのが残念でした。ちょうど春休みに入って、キリスト教学校(北星学園・桜美林・明治学院・フェリス女学院・名古屋学院等)の学生さんたちが、4,5日~1週間位の日程で参加されおり、毎日のミーティングでワーク内容の分かち合いがされていたのですが、十分に把握することは出来ませんでした。それでも、学生さん達から、ちょうど積雪の多かった時期で、雪除けの作業が多かったこと等を聞くことが出来ました。
 3月16~20日まで、今治教会から高校生3名と伝道師の松田先生、教会学校の先生の5名でエマオ仙台に行きます。実際に行って、被災地を見る、聞く、感じる事を体験していただきたいと思いました。私共教会の牧師先生始め多くの兄弟姉妹方、そして、四国教区の方々の篤き祈りに支えられ、主の導きの下、課せられた仕事を果たし、無事帰ることが出来ました。感謝です。有難うございました。


「エマオへの道・四国」
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