第12次隊派遣 レポート

日時:2013年7月22日(月)~26日(金)
派遣先:東北教区被災者支援センター   エマオ仙台→エマオ石巻

 
益 羊子(高知中央教会)
    
「エマオへの道・四国」を通して、東北に行く機会が与えられましたことを感謝いたします。東北を支援したいという思いを持ちつつも、体力面に不安があるため、自分が直接行って何かをするのは難しいだろうと思い込んでいました。けれど、四国からボランティアとして東北に行った方々から話を聞く機会が多く与えられ、気持ちに変化がありました。特に、エマオは「スローワーク=寄り添い、お祈り」(被災者のペースに合わせて寄り添いながら歩んでいくこと)を大切にしているので、体力に自信がなくても出来ることはあるという言葉に勇気づけられました。こうして無事に行ってくることができたので、もし私と同じように体力面に不安があり行きたいけど勇気がないという方がおられるなら、「私でも大丈夫でした」とお伝えしたいです。
 

7月22日(月)移動日

高知~東京(飛行機)東京~仙台(新幹線)

夕方仙台に着くと、バケツをひっくり返したような大雨でした。私たちが滞在する一週間は雨だという天気予報を見てはいたものの、あまりの雨に驚きました。エマオ仙台に到着後、スタッフの方が作ってくださったおいしい食事をいただきました。初めての場所で多少の緊張もありましたが、温かい食事を口にしてホッとした気持ちになりました。普段はあまり意識していませんでしたが、おいしい食事は人の心を元気にさせる力があるなと思いました。

 宿泊はエマオ仙台の隣に建っている仙台青葉荘教会の1階和室でした。ボランティアの人数が多い時は2階や3階もあけてくださるそうです。トイレなども使わせていただくので、教会としては大変なこともあるのではないかと思いました。このように教会を開放してくださることにより、安心して眠れる場所があることに感謝しました。
 

7月23日(火)

仙台~石巻(バス)

 朝のミーティングが終わってから、バスに乗って石巻に向かいました。

石巻駅にスタッフが迎えに来て下さり、鍋谷仁志先生と笹原寛仁くんは個人のお宅の草取りのワークに行きました。私は腰痛があるため草取りには参加せず、そのままスタッフの方について袖ノ浜の仮設住宅に行きました。仮設住宅は狭い山道を上がったところにあります。この日は、お茶っ子(お茶会)の日程案内の紙を一軒一軒のお宅に配りました。スタッフの方が2件ほど回ったところで私と代わり、「こんにちは、エマオ石巻のボランティアの益です。お茶っこの日程のお知らせを持ってきました。」とご挨拶させていただきました。仮設住宅を初めて見ましたが、とても狭く玄関の横に台所があり、暖簾などをしていないとすぐに部屋の中が見えてしまいます。洗濯物を干す場所が人の目につきやすく、何を干しているのか見られてしまう状態でした。テレビなどで仮設住宅で暮らしているということを聞いてはいたものの、それはただ漠然としたイメージでしかなかったことに行ってみて気づきました。震災から2年と4カ月、ずっとこのような生活をされているのだということを、一人一人の方と接して改めて感じました。

 午後からは、子ども達の学習支援「いしのまきっこ広場」に参加しました。今回で4回目になるそうです。この日は、明治学院東村山高等学校の学生さん達もたくさん来ていました。「いしのまきっこ広場」は主に子ども達のために行なわれていると思っていましたが、子どもを預かってもらっている親御さんから「もっと長い時間預かってほしい」という声も上がっていることをスタッフの方から聞きました。子どもが楽しい時間を過ごすことは親にとって安心できることですし、預けている間にできなかった用事を済ますことができるので、親にとってもよいリフレッシュの時となっているのかもしれません。子ども達を支援することが、そのご家族を支援することにも繋がっているのだなと思いました。
 

7月24日(水)

 この日は、石巻や女川町の様子を見学するフィールドワークに行かせていただきました。石巻の街を見渡せる日和山公園からの景色は、その景色を初めてみる私からすると緑色の原っぱがたくさんあるように思えました。けれど、そこは住宅がたくさんあった場所であり、その家が壊され何もなくなった場所に雑草が生えているという状態でした。がれきはほとんど片付けられているものの、そこに設置されていた津波が来る前の街の写真と比べると、あきらかに様子は違っており、「ここに本当に津波がきたんだな」と思う反面、「本当にここまで津波がきたなんて信じられない」という気持ちもあり、目の前にある景色を実感しているような、していないような、なんとも説明し難い気持ちになりました。

次に女川町に向かいました。3階建てのビルが横倒しになって10メートルほどひきずられた状態を見たり、高台にある病院の1階に行き、実際にどの高さまで津波が来たか印されているラインを見たりしました。街全体を上から眺めた時とは違い、いま自分が立っているところに津波が来たのだと思うと、そこにいたであろう多くの人々の存在を感じました。女川町では、「うみねこハウス」という仮設住宅で暮らしているお母さん方が集まり、布草履を作っている所にも行かせていただきました。そこでは、実際に津波が来たときの様子を聞くことができました。「元気になったから、大丈夫よ」と言っておられましたが、その言葉がやけに強く心に残りました。本当に元気になって普通に過ごす環境があったら、その言葉は出てこなかったのではないかと感じたからです。まだ頑張らなくちゃいけない状況にあり、周囲の方への感謝の気持ちや自分自身を励ます言葉として、そのような言葉が出てきたのではないかなと思いました。

その後は大川小学校、震災後に模造紙に黒ペンで情報が書かれた手書きの石巻日々新聞が掲示してある所、ふれあい商店街を見て回りました。フィールドワークで街を見たことは私にとってとても大きな出来事でした。石巻や女川町がテレビで見た場所ではなく、日和山から見た街、「うみねこハウス」のお母さん方がいる所、自分が実際に行った場所としてより身近に感じることができました。石巻への思いがより強くなりました。
 

7月25日(木)

石巻~仙台(バス)

 「いしのまきっこ広場」に参加する子どもの人数が多く18名ほどいるということで、この日はスタッフとワーカー全員で子ども達と一緒に過ごしました。子ども達は本当に元気で、外でシャボン玉をしたり、バケツに泥や雑草を入れてカレー作りをしたり、部屋の中でスタッフとゲームをしたり、それぞれ好きな事をして遊んでいました。子ども達と過ごしていると楽しくて、石巻にいることを忘れてしまうくらいでした。外に建っている誰も住むことのできない壊れた家を見て、「そうだ、ここは石巻なんだ」と思いなおすことがありました。この日の子ども達は元気に遊んで帰りましたが、スタッフの方が「時々、ふっと地震や津波の時のことを話す子がいる」と言っていました。元気ではあるけれど、心の奥にはまだ整理しきれていない気持ちや、悲しい気持ちをしまい込んでいる子どもも沢山いると思います。その気持ちは今すぐではなく、大きくなってから子ども達の生活に何か影響を与えるようになるかもしれません。そう考えると、支援はまだまだ必要ですし、これからも子ども達が安心して生活できるように数年先も何らかの形で関わり続けたいと思いました。

 夕方、荷物を整理して石巻駅から仙台へと向かいました。石巻にいたのはたった3日間でしたが、なんだかもっといたような気持ちになり、とても離れ難かったです。
 

7月26日(金)

仙台~東京(新幹線)東京~高知(飛行機)

 朝のミーティングに参加して、その後すぐに仙台駅へと向かいました。振り返ればあっという間の4日間で、心のどこかに何か役に立てたのだろうかという気持ちがありました。子ども達と遊んで楽しい時間を過ごし、街の方々と話をして元気をもらい、スタッフやボランティアの方に食事を作っていただき、こちらがお世話になったという気持ちの方が強く残っています。
 

帰ってきて…

 東北から帰ってきて数日経ちますが、石巻のことは毎日思い出します。スタッフの方々はどうしているかな、今はどれくらいのボランティアの方が来ているのかなと思いめぐらしています。今回行かせていただいたことにより、多くの方との出会いが与えられました。同じ宿泊先になった同年代のボランティアの女性とは、時々メールのやり取りをしています。帰ってきてからもそれぞれの地で繋がっていられることを嬉しく思います。

ボランティアと聞くと、自分が相手に対して何かをすることだと捉えがちですが、今回行かせていただき、対等な関係であることが大切だと思いました。行ってみてエマオが大切にしている「スローワーク=寄り添い、お祈り」という言葉が本当に必要であることを感じました。一方的な思いだけを持って支援するのではなく、そこに住んでおられる方の気持ちを大切にしながら一緒に歩んでいくこと、離れていても共に思い合い祈って過ごすことの大切さに気づかせていただきました。

 少しずつ復興してきていると聞いていた東北でしたが、行ってみて「どこが復興しているんだろう?いったいどういう状態が復興というのだろう?」と思いました。「復興」という言葉が分からなくなりました。仮設住宅で生活し続ける人々、心の中に悲しみを持ち続けている方…。いくら街が少しずつ片付けられても、それだけで復興してきていると言えるのだろうかと感じました。帰ってきた今もその疑問は解決できていませんが、その疑問を持ちつつ東北のことを覚えてこれからも過ごしていきたいと思います。

東北を離れた今、自分がするべきことは東北を忘れずに神様に祈ること、行ってきて感じたことを多くの方に伝えることだと思っています。そして、次にまた四国からボランティアの方を送ることができるように、わずかながらでも支えていければと思います。

今回こうして東北へと送り出してくださったことに本当に感謝いたします。多くの方々の祈りと支援により行くことができました。そして何より、私には行くことができないと思っていた者に道を開いてくださった神様に感謝いたします。
 

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
emaoshikoku@gmail.com