《生き方を変える-ボランティアから明日へ向かう》

 
潮江教会 御館博光 
    
 私が仙台へのボランティアに導いて頂いたのは、先に夏頃から参加されていた近隣の土佐教会の成田信義先生や高知教会の三浦永悟先生のお働きであった。ただ、自分自身の62歳という年齢で、一体なにが出来るのか、という戸惑いは確かにあった。しかし、現地の働きでは、年齢に応じた仕事はいくらでもあり、私より高齢の70歳代の人も全国各地から駆けつけておられた。

 私には、仙台・荒浜地区という大きな津波被害を受けた地区の被災者の田畑の整地、細かな瓦礫や異物を取り除く作業や、家具を運ぶなどの住居の整備の仕事が割り当てられた。仕事は十分に私の体力でも可能であったが、しかしまだまだ途方もないぐらい多くの作業が必要だと思わされた。それだけ、想像を超えて被害は大きいのであった。

 一日のワークが終了する夕刻、私たちは全国からボランティアに駆けつけられた人々と、ミーティングの機会が与えられ、それは尊い交わりの場となった。その中で出会った印象深い一人の青年の話をしよう。

 関東の教会員である、二十歳前の青年はもう四度もボランティアに来られていた。彼は高校を中退し悩みの多い青春を送っていたという。しかしこの地での働きを通して何かを掴んだというか、自分自身の立ち直りの機会を掴んだのだと言う。来年は高校卒業資格を取り大学を受験し、哲学を学びたいと語った。近い内に、受洗も希望しているという。内気な性格の彼が自分からミーティングの司会の仕事を志願するということも目撃した。

 私はここに主の確かな働きを覚えるのだ。人間は隣人に対する働きを通して自己回復、人間らしさを掴んでいく、私たちは被災地と遠く離れていても、隣人としての関わりの中で、愛を獲得できるのだと思った。多くの青年はここで主の示された隣人愛の意味を実感し、それを人生の中で生かしていくのだと思う。ある意味で人間回復の体験は年齢を超えて与えられるものだろう。隣人愛というのは人生を変える「行動」なのだと思う。

 さて、ワークの合間に見た仙台の情景も印象的であった。私が訪れた12月の上旬、仙台の繁華街はクリスマスの飾りつけや明るいイルミネーションに溢れていた、まるでそこは被災地と無縁かのように賑わっていた。しかし、その賑わいはある意味で、震災の恐怖を忘れたい、一日も早く復興へ踏み出したいという、被災者の心の現われであると思った。明るさの内に潜むものが私には見えたのだ。

 もう一つワークの合い間に私は、仙台の小さな公園に遊ぶ母子の姿を見たことを忘れない。住宅街の公園にくつろぐ、母と2,3歳ぐらいのこども、もう震災から9ヶ月も経過していたが、余震は続いていたのではないか。

 神よお願いだから、もうこの親子を悲しませないでくれ、と私は願った。悲しみを超えて希望を導く神を信じたい。そこにしか信仰の根拠はないのだと私は思った。

 
私たち人間にできることは決して多くはない。被災地を忘れないこと、繋がり続けていくこと、そしてすべてを含め祈り続けることであろう。また、原発という人災ももはや人間には不要であることも明らかだ。

 潮江教会では、原発災害から高知に避難された家族の会を昨夏より継続して支援してきた。疎開ママの会(「虹色くじらの会」)は今50人以上の会員数になり潮江教会を会場にして月2回交わりの場を持っている。会員の皆さんの思いも私の思いも同じだ。もう二度と原発災害はあってはならない。それは日本を崩壊させるからだ。

 昨夏の教団声明(7月30日)にあるように、原発はバベルの塔なのだ、廃炉に向けて進むしかない、教会もそのために働こう、私たちに出来ることは確かに少ない、しかし震災から学び、私たちの生き方を変え、希望に向かって進むことは可能だ、それが主の示される道だと信じています。

「エマオへの道・四国」
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