第三次 震災ボランティアの報告
「柚子の木とお婆さん」

 
高知教会担任教師 三浦永悟
  
 

その大きな柚子の木は、東北地方の石巻と言う町の、港から少し入った、山に近いお家のお庭にありました。

そのお家にはお婆さんがいて、柚子の木をいつも可愛いがっていました。
... お婆さんがまだ小さな女の子だった頃、その柚子の木もまだ小さく、柚子の果実も実る事はありませんでした。
そこである日、女の子は柚子の木に向って言いました。
「いい子ちゃんだから、来年は実を付けるのよ。」
するとその翌年、まだ小さい柚子の木は、初めて三つの小さな柚子の実を付けました。

それから何十年…柚子の木は毎年必ず柚子の実を付ける様になりました。女の子もお婆さんになりましたが、柚子の木とはずっと仲良く暮らしていました。

ところがある年の早春、この石巻に大地震と、大津波がやって来たのです!
大地震でお婆さんの家は壊れ、大津波で海の水がどんどんお婆さんのお庭まで、押し寄せて来ました。

お婆さんのお家とお庭には、海の水が1メートル位の高さまでやって来て、お庭に沢山咲いていた花も、全部水の中に沈んでしまいました。

しばらくして水は引きました。
でも、お家の二階に避難していたお婆さんは、水浸しになったお庭を見て心配になりました。
「あぁ~お花達は大丈夫かしら?柚子の実は今年もなるかしら?」

地震と津波に襲われてから、暖かい春になって、夏が過ぎました。

けれど、お庭に沢山咲いていた花達は、海の水で皆んな枯れてしまい、一輪の花も咲く事はありませんでした。

お婆さんは、枯れ果てたお庭を見て、とても悲しくなりました。
「あぁ…皆んな死んでしまったのかい?これじゃあきっと柚子もダメだろうねぇ…」
お婆さんは、悲しくて元気が無くなってしまいました。

そして秋が来ました。
庭は相変わらず枯れ草に覆われていましたが、何と不思議な事にあの柚子の木だけは、青々とした葉を風に靡かせ、その葉の先には今までお婆さんが見た事も無い位、たくさんの、まるで黄色いブドウの実の様に、たくさんの柚子の実が成っていました。

それを見たお婆さんは柚子の木に頬ずりしました。
「ありがとう!ありがとう!いい子ちゃんだね!いい子ちゃんだね!」

こうしてお婆さんは、また元気を取り戻しましたのです。
そして、このおばあさんは足が悪いのにボランティアワークの人たちにいつもこちら側以上に感謝を伝えるために外に出てきてコミュニケーションをとってくださいました。
初日よりも話していくうちに笑顔が増え、元気になっていく感じがしました。
そして、絶望と思われた草木、ほとんどは枯れて腐ってしまいましたが、その中で柚子の木だけはおばあさんの希望の光として灯ったのです。


「エマオへの道・四国」
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