第六次 震災ボランティアの報告

 
松山城北教会牧師 三浦永悟
  
 528日から石巻のボランティアに行って来ました。尊い献金でのワークできますことに感謝です。今回はどういう内容のワークなのか?と毎回考えながら向かいます。出発の準備はいつも前の日か当日の朝になってしまいます。

 二軒の家でのワークを行いました。最近感じたのは多くの被災地の人々が当時の様子をたんたんと語っていることです。宮城県なので地震はある程度覚悟し、家の中もある程度の対策はしていたけれども、津波まではまったく想像もしなかったことでした。というのは海岸から1km以上も離れていたのでそれは考えられなかったというのです。しかもまだ地震が起こり続けています。

 津波に浸かった当時の家の様子を伝えてくれたり、また近所で亡くなった方々のことも話してくれました。あるいは他所の車が流れてきて中を見ると中にはすでに亡くなった人々が乗っていたとか。。。。

 
ある方は、本当に悔しいのは触ったら体はまだ温かいのに亡くなった人々を見た時だと言ってくれました。

 石巻の最近の様子はそれほど変わっていません。がれきの山も、積み上げられた廃車の姿(ニュースで津波による廃車は66,000台だという。これは石巻市だけの数字です。)、ブルーシートで家の窓や入口をふさいでいる多くの家々など。。。。まだまだ爪あとは深く残っている。

 また仮設住宅でも義援金も切れてしまい、多くの人々が仕事を探して出かけたり、仕事をしていることでした。自立しないとこれから生きていられないとの現実的な問題が迫り、頑張ろうとする人々がいる反面、一方ではまだ立ち直れない人々もいることです。

 仕事を終えて家に帰ると家には誰もいない孤独感。震災の前まではおかえりなさい!と言ってくれた妻や子供がいたのに、いっぺんに家族を亡くしたお父さんたちの痛み、悲しみ、苦しみはなかなか治らないとのことでした。今はメンタルなケアーが必要であると語ってくれました。

 石巻のボランティアセンターから海は近く、その辺にある家々は壊れたままの姿で朝の光を浴びていました。歩きながら破壊されたある家の二階を見上げてみると部屋の中に干したままの子供の洋服の洗濯物が目に入りました。2011311日246、あの出来事によって洗濯物は取り入れ綺麗にアイロンをかけ、再び子供に着てもらうことが出来ず、一年以上を待ち続けているのです。

 近くを歩いて行くと家の土台しか残っていない場所にきれいなお花が咲いていました。あの津波は多くの人々の命を奪い、たくさんの家を破壊しましたが、この小さな花の命までは取り去っていくことが出来ませんでした。これを見ながら自然の強さと、人間の弱さが交差するひと時を感じました。多くの人に希望を与えるようなお花です。

それでも人間は強いです。破壊されたお店を同じ場所にお店を再開しようとしてお店を建てる準備をしていました。強いけれども弱い、弱いけれども強いのが我々の人間です。しかしいつも神様の御前で謙虚に生きることが大切だと思います。うぬぼれず、高慢にならず、神様を見上げながら、人々と平和に過ごす人生を生きることが大事であります。

今日も一日、与えられた命で祈りながら、被災者の一人一人のために精一杯に出来ることをしたいと思います。

 まだまだ私たちのキリストの愛による支援が必要であり、まだ多くの人々の助けが必要である石巻です。

「エマオへの道・四国」
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