2011年3月11日 夕方7時前、当時勤めていた保育所の帰り仕度をしながら携帯を開くと、鎌倉に住む教え子のT子さんからメールが入っていた。
「先生怖い。今、地震で揺れている。祈ってて。」
T子さんは、今は休園しているが、かつて川上教会の牧師兼、週間幼稚科オリブ園長を9年間労して下さった、M先生のご長女である。彼女からの通信は久しぶりで驚いたが、(地震に過敏なご一家だから)と少々呑気にも思いつつ、心騒がせながら自宅へと車を走らせた。帰宅すると、先に帰った夫が普段は見ないテレビを間近で見ながら、「姉ちゃんは無事やった。」と繰り返して言った。福島県西郷村に住む義姉は、災害伝言ダイヤルで愛媛の両親に無事を知らせていた。
音の無い映画のような画像を見ながら、私はこのシーンがこの世の今の現実である事がなかなか信じられなかった。翌々日の主日礼拝では福島県矢祭町に実家があるOさんが、まだお母様の安否の確認が取れていない中、泣くのを堪えながら司会者祈祷で、東北の方々の一日も早い救出と復興を祈る祈りに、私たちも心を合わせた。
後日、Oさんのお母様もM先生ご一家も無事との知らせを受けてホッとした。
長年親しくさせてもらっている篠浦牧師から「この東北大震災は、10年、20年という長いスパンで考えなければいけない。」という言葉をもらい、東北の方々の「私たちを忘れないで下さい。」という思いを私も忘れないでいようと思った。
祈って応援する事しか出来ず3年の月日が流れた5月下旬、教会に置いてあった「エマオへの道・四国」の2013年度活動報告書を目にした。3月末日で離職した私は興味深く読みながら、篠浦牧師に『エマオへの道』が気になるんだけど、と話した時に、「ちえみちゃん、6月9日から1週間、丸亀からご夫妻(栗崎さん、厚子さん)で行かれる方がいるよ。」と聞かされ、「同じ四国だから、合流したいな。」と思った。香川で生まれ育った私は、同郷でもある。
その日のうちにエマオ行きがまとまり、12日後に旅立つというスピードに戸惑いはあったが「『チャンスは前髪三本でつかめ』が亡き母の教えよ。」という篠浦牧師の言葉に背中を押された。
心と持参物の準備をしながら、2007年7月 名古屋で行われた全国キリスト教保育連盟夏期講習会での愛知国際病院・ AHI理事長の川原啓美先生の「みんなで生きるために」と題した講演を思い出す。
GOD HEALS WE
SERVE 神は癒し 我ら仕える
治して下さるのは、神さま。でも、超能力ではない。
我らは、奉仕者として、神の御業に加わっていく。
みんなで生きていくために、お互いに協力しながら、すすめていこう。
そしてもうひとつ、2013年、1月20日 川上教会の特別伝道礼拝で語って下さった八幡浜教会の森分直基牧師から、コリント信徒への手紙Ⅱ12章1~10節を通して、「この世の歩みは神の恵みを言い表すのに十分。私たちに必要な物は全て備わっている。私たちは足りないから、弱さの中でこそ力を発揮する。」というメッセージが私の心の中でリフレインされた。
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