エマオ活動報告

 
日 時 :2014年11月10日(月)~14日(金)
派遣先 : 東北教区被災者支援センターエマオ
森田智恵美(川上教会)
11/11 朝
5ヶ月ぶりに中央公園仮設へやってきた。
見知った顔に懐かしさが込み上げてくる。
と言っても、私のことを覚えている方は少ないようだったのだが、そんなことはどうでもいい。お変わりのないご様子に嬉しくなった。
「よいしょっ」「ぴーっ」という掛け声で始まったラジオ体操。
みなさん元気に身体を動かして体操されている姿も以前のままだった。

少しの間準備の時間を取ってから、被災者さん5人、ワーカー4人でお買い物ツアーに出掛けることになった。
まずは、リサイクルセンターへ向かった。リサイクルと言っても結構美品の家具や備品が、体育館のような場所に陳列されていた。座り心地の良さそうな座椅子を見つけたが、すぐに購入することは出来ないようだった。それぞれが気に入った物を見つけて、月に一度の抽選で手に入れるのである。例の座椅子の競争率は6倍と聞き、びっくりしてしまった。
思案顔で衣類を見ている女性もいた。やはり女性にとっては衣類が一番重要なのであろう。一緒に来た男性に「これ似合うんじゃない?」と上着を当てたりしていた。友だちや家族のものを見つくろうのも買い物の楽しさである。家具とは違い、衣類はその場で購入することが出来る。

次に、大きな生協へお弁当を買いに行く。目的はお弁当なのだが、みなさんは右端の野菜売り場から、ひとつひとつ丹念に見ていかれる。途中の魚市場にたどりついた時には、一体ここに何時間いるのだろう?と心配になってきた。しかし、北の海の魚を一緒に眺めていると時間の経つのを忘れてしまいそうだった。普段はあまり来る機会が無いそうで、たっぷり1時間の買い物を終え、お弁当と夜の食材の詰まった買い物袋を抱えて、みんな嬉しそうだった。

お昼は、蕃山という山の麓に出掛けてブルーシートを広げてお弁当を食べた。
紅葉の見頃の時期でもあるので、スタッフが粋な計らいをしてくれたようである。紅葉した樹や銀杏を見ながら一緒に食べるお弁当。何気ない会話が楽しかった。

14:26     荒浜という所へ行き、スタッフ、ワーカー9人で丸くなり、手をつないで祈りを捧げた。護岸工事のため海のそばまでは行けなかったため、自治会長さんのお宅跡で、亡くなった方々、今なお困難な厳しい状況にある方々、私たちは決して忘れません。と祈った。

T子さんの畑でダイコンや白菜の収穫をした。両手で抱えきれないほどの大きな野菜に、収穫の喜びを感じた。神さま、ありがとうございます。

ある被災者さんから「あなたたちはどういう所から来ているの?エマオセンターや教会に行ってみたい」と声を掛けられた。関心を持って頂けてとてもありがたく感じた。

エマオセンターへ戻り、ミーティング、シェアリングをした。
夕食は、煮込みハンバーグとオクラのスープでした。食事しながら、全国各地から集まっているワーカー仲間との話が弾んだ。イエスさまの元で、こうして多くの仲間が心を一つにして集まれることは素晴らしいと感じた。


11/12
七郷中央公園仮設へ行き、ラジオ体操とお茶っこをした。ワーカー2人は、続いて荒井七号公園仮設へも行き、2人の被災者さんとラジオ体操とお茶っこをした。

その後は、松ぼっくりに飾りをつけてクリスマスツリー作りをした。ここでは、「あらっ、この人見たことあるわ」と、私のことを覚えていて下さった方がいて嬉しくなった。何カ月も前に数日しか触れあっていなかったのに…。私自身がパワーをもらったような気がした。
たくさんあるいろんな色のビーズやリボンから選びながら、思い思いに飾り付けをした。他の人の出来映えを褒めたり、出来あがりに嬉しそうな表情を見せてくれたりしていた。
しばらくの間あの日を忘れて、暖かい時間が流れた。作った後も、料理談義やご当地談義が始まり、後ろ髪を引かれる思いで立ち去った。

ワーカー4人、スタッフ1人が合流し、蒲生と荒浜へフィールドワークに行く。
蒲生は荒浜に比べると、まだまだ放置されていると感じた。
ここに多くの方の生活の場があり、平穏な日常があったのが信じられない。

中野小学校跡地。当時、ここに600人が避難したらしい。
この場所でよく2日間耐えたと思う。津波にのまれた人々、それを屋上から見下ろした人々の嘆きが聞こえてくるようだった。想像さえできないような極限の世界だったのだろう。


11/13
早朝に石巻へ向かって車で移動した。
石巻エマオの拠点に着いてからフィールドワークを始めた。
門脇小学校、日和山、女川町立病院、女川中学校、大川小学校、石巻日々新聞。
石巻は仙台よりさらに寒かった。横倒しになったままの3階建ての建物には驚きを感じた。

大川小学校は風が強く、立っているとよろめくくらいだった。
この場所で1時間待たされた後、四方八方から津波が押し寄せてきたのだ。子どもたちはどんなに怖かっただろう。
今までに、多くの人が何度も言った言葉が心に浮かんだ。「助かる道があったのに…。」
今日は穏やかな海岸線を見ながら、津波が押し寄せて来た様子を想像し無性に怖くなった。 

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
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