第十二次ボランティア(期間 2013年7月22日~26日)からの速報が、
 メーリングリストに、逐次アップされています。
 以下は、それを転載したものです。
 
 まとめて読みやすいように、古いものが上にあります。
 
《第1回報告》
報告日時  2013/07/22 (月) 7:47
報告者  鍋谷仁志

ML参加後初投稿です。うまく届きましたでしょうか。

今日これから益羊子さん笹原寛仁君とエマオに向かいます。皆様のお支え感謝です。では行ってまいります。可能な限りレポートいたします。

《第2回報告》
報告日時  2013/07/22 (月) 21:24
報告者  鍋谷仁志
エマオボランティア初日(といっても移動日ですが)の報告です。

飛行機、新幹線、その他の交通機関を乗り継いで約六時間かかりました。四国からの遠さをあらためて思わされます。前回とは違う暑さの中、移動だけで大変です。こんな時は、遠くから行くことに何の意味があるのか、という意見に納得してしまう自分も発見します。けれども、こんな遠くから行くことにこそ意味があるのだ、とあらためて思わされます。だからこそ、神様の導きによって遣わされていることを、感謝をもって思わされるのです。「スローワーク=寄り添い、祈り」の大切さも思い出しつつ、仙台へと向かいます。

仙台駅に降り立ってみると、雨でした。気温も割と低く涼しいのです。予想外でした。暑さ対策しか考えておらず、どうしよう、と三人で顔を合わせました。とりあえずエマオへは無理せずタクシーで向かいました。到着したらミーティングが終わったところでした。見覚えのあるスタッフと挨拶し、受付を済ませて食事です。今度も西東京教区からの人たちと重なりました。また、台湾からのボランティアが大勢来ていました。それぞれの働きに頭が下がります。

明日から石巻です。牡蠣やわかめの養殖のお手伝いが主な作業のようです。羊子さんはいしのまきっこ広場で子どもたちのお相手です。それぞれに与えられた働きに、喜んで臨めるようお祈りください。

《第3回報告》
報告日時  2013/07/23 (火) 19:17
報告者  鍋谷仁志
エマオ二日目、ワーク初日のレポートです。

羊子さんと寛仁君には初めてのワークとなります。しかし石巻なので今日も午前中は移動に費やされます。これまたスローワークだなあと思わされつつ、石巻に向かいます。約90分のバス移動です。今日の仙台、石巻はとにかく涼しいです。暑くなく寒くなく快適です。

到着すると、待っていたワークは養殖ではなく、あるお宅の草引きでした。そこは石巻の海近くの家ですが、多少高台にあり、津波の被害は免れた家でした。本来ならあまりエマオのワーク対象ではないのですが(草引き業者と勘違いされて、必要ではないのにやたらと頼んでくる方が多く、ワークの仕方を考えているところだそうです)エマオ石巻でお世話になっている方とのお知り合いで、その方から本当に大変である様子を聞かされ(80才の女性一人でなさっておられ、体をこわされたそう)、話し合った末にワークさせていただくことに決めた、とのことでした。エマオのテーマが、スローワーク=寄り添いであるならば、この地に生きる人々の現状に寄り添いつつ一緒に生きることが大切であり、これも私たちが召された働きなのだなと思わされつつ、草引きをしていました。また、だからこそ、祈りつつの歩み、神様の御心を問いつつの歩みが必要なのだなとも思わされました。

明治学院東村山からのワーカーが大勢来ていました。ちょうど入れ替わりで帰っていきましたが、多くの経験をしてきたようです。

シェアリングの時間、それぞれの今日1日を分かち合いしました。羊子さんは別便で仮設住宅訪問、子どもたちとの交わりをしてきたそうです。寛仁君、羊子さんの感想はまたそれぞれ帰ったあとのレポートをお待ちください。皆元気にしております。

四国の皆様のお祈りに支えられていることを感謝をもって覚えつつ、二日目のレポートといたします。
《第4回報告》
報告日時  2013/07/24 (水) 20:53
報告者  鍋谷仁志
ワーク二日目の報告です。

本日はフィールドワークとなりました。何かの必要に応えることばかりではなく、ここで見たこと、聞いたことを帰ってから伝えることも大切なワークの一つだなと感じます。寛仁君のためにも感謝な時でした。普段のワークでは撮らないでと言われていた写真も、フィールドワークの際には許可を得つつ撮ってもいいとのことでした。

最初に日和山に登り、石巻市の被災した海辺の街を一望しました。よくテレビで見る震災直後の様子がここから映していたのかな、と感じつつ、被災の現場にいることを思わされました。町自体は新しい建物も建ち、ハード面の復興は一応進んでいるような印象を受けました。

続いて女川に向かい、津波で横倒しになったビルを見ました。そのビル自体の姿からも衝撃を受けましたが、震災前の街並みの写真を見て、その変わりようにもっと驚かされました。広い港だったのだろうとしか見えないその場所にかつては賑やかな街並みがあったとはとても思えず、ここの復興はまだ始まっていない、あるいは始まったばかり、という思いになりました。

続いてうみねこハウスに立ち寄り、そこのお母さんたちとの交わりをすることができました。寛仁君が持ち前の明るい人なつこさで皆さんと仲良くなり、いい交わりができたようでした。またお母さんたちも皆さん明るく屈託なく、震災経験を話してくれました。もちろん震災経験者であり、親しい人を何人も亡くしている皆さん、様々な思いをお持ちのことでしょうけれど、前を向いていこう、ゆっくりとでも進んでいこう、との明るさが見られました。この人たちとこれからも寄り添っていきたい、とあらためて思わされることでした。

昼食後、雄勝を経由して大川小学校を見ました。それぞれの場所は、もう本当に何もかもなくなったままで放っておかれていました。がれきや崩壊した建物は取り除かれたけれど、あとは何もしないまま、という状態でした。その中に一つ残されたあの日のままの小学校。とても整理しきれない様々な感情がわいてきました。

続いて北上川を上流へ向かいつつ、石巻駅前に来て、できたばかりの石巻日日新聞の施設で、震災翌日から発行していた壁新聞を見ました。混乱の中、少しでも皆に新しく正しい情報を、との熱意を感じました。自分たちのところに同じことが起こったとき何ができるか、普段からの準備が大切だと思わされました。

最後に復興商店街に寄り、復興のために苦労しつつ頑張っている人たちと触れ合いました。

いろいろと見てきて、復興が進んでいるように見えるところ、見えないところ、あるいは進んでいるように見えるとき、見えないとき、そのモザイク模様が思いを刺激する、ということを感じました。寛仁君、羊子さんもそれぞれに多くのことを感じていることを、シェアリングの時間を通して分かち合いました。

いろいろなことを一度に見て、まだまだ消化し切れません。駆け足の報告になりましたが、皆様の献金と祈りに支えられてこれだけの経験ができていることをあらためて思います。明日、最後のワーク、続けて守られますようお祈りください。

《第5回報告》
報告日時  2013/07/25 (木) 20:16
報告者  鍋谷仁志
ワーク三日の報告です。

本日はスタッフ、ワーカー全員でいしのまきっこ広場に参加しました。と言いますのも、普段はだいたい子ども8人前後なのですが本日は15人も来る予定になっていたからです。しかも朝から小雨模様、外遊びがしにくい状況でした。そのような中、集まって来る子どもたちと少しでもよい時間を過ごそうと、スタッフが準備をし、ワーカーは手伝います。宿題の時間があるのですが、そのための机をいつもより多く並べるために工夫したり、少しでも外で遊べるようにブルーシートを屋根代わりにしたり。こちらの思いを越えて子どもたちも楽しみにしてくれているようで、9時15分からなのに8時30分にはもう集まりはじめ、宿題をしたり遊んだり、すぐに戦場のような状態になりました。子どもたちは本当に屈託なく明るく元気いっぱいでした。初めて会う人にも全く臆することなく一緒に遊び始めます。今日のワークは、自分たちが被災地支援ボランティアに来ていることをうっかり忘れてしまう、そんな1日でした。楽しい時間でしたが、スタッフの子どもたちとの対応のうまさに感心させられました。子どもたちのために!という思いが伝わってきました。

バスで仙台に帰り、前回食べられなかった牛タン定食を食べて満足しました。前回同様、多くのことを教えられた日々でした。皆様の祈りに支えられつつ、明日帰ります。ありがとうございました。明日は無事の帰宅報告をさせていただきます。

《第6回報告》
報告日時  2013/07/26 (金) 17:58
報告者  鍋谷仁志
ただいま、三人ともに無事帰宅いたしました。四国教区諸教会の皆様のお祈りに力強く支えられました。心より感謝いたします。
この一週間の中で与えられた多くの経験を生かして、これからの歩みを主にあってなして行けたらと願っております。現地報告の要請がありましたら感謝をもって駆けつけますから、いつでもお声かけください。

今回、非常に天候に恵まれました。梅雨の明けない東北でしたが、雨も昨日の小雨くらいで、とにかく涼しさを満喫できた申し訳ないくらいの心地よい日々でした。

私たちは一緒のワークはできませんでしたが、仙台では何組か入れ替わりで台湾からのワーカーが大勢来ていました。彼らの他国への献身的思いと働きに感謝でいっぱいです。
反対に日本からのワーカーが前回ほどには次々と来る感じではなく、夏休みでたくさん来ると予想していたのとは違いました。8月に入ってからぐっと増えるそうですが。私たちは忘れていない、とのメッセージを四国からも伝え続けたい、と思わされました。

笹原寛仁君がたくさんのことを感じ取ってくれたようでした。それが今回の大きな収穫の一つです。帰りたくない、また来たい、スタッフになりたい、と言っています。若い彼の今後の歩みに大いに期待します。
益羊子さんもいろいろと感じ取っておられるようです。今回この三人で来れたことが本当に幸いでした。神様の導きと信じ、感謝いたします。
これから行かれることになる召しを受けている皆さん(私もまたそのうちの一人かもしれませんが)の上に、そのときにも大いなる主の恵みと祝福とが豊かにありますよう、お祈りしています。皆様のお支えに感謝して。

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
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