被災地ボランティア報告

 
土佐嶺南教会牧師 鍋谷仁志
    
 2012年11月26日から30日の間、四国教区エマオへの道プロジェクトより派遣され、被災地のボランティアに向かうことが許されましたことを、お送りくださった神様、土佐嶺南教会、四国教区の皆様に心より感謝いたします。以下、私からのボランティア報告です。
 

「寄り添い=スローワーク、祈り」

最初のミーティングで教えられたのがこの言葉でした。これはエマオの一番大切にしていることです。とにかく力任せに慌てて復興しようというのではなく、被災者の生きるペースにあわせて、彼らと共に生きる者として、寄り添いながら歩んでいこうとしているのです。だからこそ、プロを呼べばもっと早く済むことでも、素人によるスローワークを基本としているのです。

四国からボランティアを送る私たちの姿勢も、このことに通じるかもしれません。同じお金を被災地の近くの教区に献金すれば、そこからもっとたくさんの人を送ることができ、復興の効率も上がることでしょう。しかし、本当に被災者のためになることは何なのかを考える時、そうではない、とエマオの人たちは、また私たちは現時点で結論づけているのです。

そして、だからこそ私たちには祈りが不可欠なのです。人間のペースでやろうとすれば、どんなに寄り添いつつゆっくりしようとしても、いつかどこかで焦りが生じてきます。ただ、神様がしてくださるとおりにしていこうと、神様に委ねていく中で、初めて寄り添い=スローワークが成立するのです。ですから「寄り添い=スローワーク、祈り」がエマオのテーマですが、私はむしろ「寄り添い=スローワーク=祈り」こそがエマオの実際の働きではないだろうか、と思うようになりました。
 

シェアリング

ワーク後にボランティア同士のシェアリングという時間があります。互いにその日のワークの中で受け取ったことを話し合い、分かちあうのです。

これは参加した各自が自分で受けたものを分かちあう場である、という説明を最初に受けたときには多少の違和感をもちました。私はボランティアに参加することを、あまり自分のために、自分が何かを受けるためにと考えたくない、という思いをもって臨んでいたからです。結果的にそのような何かを受けることにはなるだろうけれど、何よりも「相手のために」という思いを中心にしたかったがために、あえて自分の受けたことを分かちあう時間が必要なのだろうか、という思いになったのです。

しかしこの時間は本当に大切な時間でした。それは被災者の方々との出会いの中で、自分が受け取るものが想像できていないものだったからです。私が受け取ったものは、とても人のために生きることのできない弱い私、最初に抱いていた「相手のために」という思いが、いかに独りよがりで自分勝手なものであったかを思い知らされる私でした。そして、そのような私を用いて生かしてくださる神の力強い働きでした。人と接することで自分が変わる。また自分と神の関係を深く教えられる。このような人との出会いがもつ力を知り、そうして得たものを分かちあうことの大切さを、自分が語り、また他のワーカーが語るのを聞いて感じたのです。

帰ってからの日常の中で、人と接する際に感じることが変わっていきました。目に見えて人と上手に接することができるようになったわけではありませんが、人の見え方が新しくされたと思います。人との交わりが私を変えていく、そのようにして神が導いておられることを教えられたシェアリングは貴重な体験でした。
 

浜改田の地を思い起こす

私は3日のワークのうち2日、津波によってほぼ全てが流された、荒浜という浜辺の町の住宅跡の雑草抜きと瓦礫拾いをしてきました。初日はやたらと風の強い日で、かなり過酷な作業となりましたが、その中でいろいろと考えさせられる経験でした。

その住宅には、今仮設住宅の自治会長をされている方が住んでおりました。そこは災害危険指定地区とされているところであり、もう人が住める可能性はほぼありません。なぜエマオはこの土地を整備しているのでしょうか。それは、そのことによって自治会長さん、また他のその地を生きてきた人たちを、少しでも励まし元気づけ勇気を与えることができるのではないか、と願ってのことです。結果的にどうなるかは誰にもわかりません。もう住めない土地を整備されても、彼らは喜んでくれず、かえって落ち込むだけかもしれません。しかしそこに意味があるのではないかと信じ、私たちはただ祈りつつ、黙々とその作業に打ち込んでおりました。皆でゆっくりとその作業を進めていく中で、寄り添い=スローワーク、また祈りの意味を実地で体験できました

私はその浜辺の、かつて家が並んでいた、今や家の基礎だけが点々としている町を眺めていると、どうしても私の牧会の場として召された高知の海辺の町、浜改田の地が思い起こされて仕方がありませんでした。いずれ南海大地震が来た時、浜改田が同じようになる可能性がある。いや、同じようになることを覚悟していなければならない。たとえ今建設中の避難タワーによって多くのいのちが助かったとしても、その後のすべてが流された現実を生きることは避けられない。私はその地に生きる牧師として、その地とその地に生きる人々を愛すべく召された者として、今、またそのときに、いったい何ができるだろうか。津波被害の大きさによって差別や格差が生じる、あらがう術のない被災地の現実を垣間見てきた者として、なすべきことが神から与えているのでないだろうか。自分自身の覚悟を強く問われている思いがいたしました。寄り添う姿勢をもって祈り続けていきたいと思っています。
 

仮設住宅のクリスマス

エマオの働きのうちの一つに、毎日仮設住宅に行き、そこの住民と一緒にラジオ体操をし、向こうの言葉で「お茶っこ」と呼ぶお茶会をする、という働きがあります。仮設住宅におられる高齢者の皆さんは、ほとんど外に出ることがありませんので、そうした機会を作って元気になってもらえれば、との願いをもってやっておりました。

ちょうど私たちが行ったとき、その会場となる仮設住宅の中にある集会所が、その出入り口も部屋の中も、クリスマスの電飾や人形やクリスマスツリーで飾り付けられていました。もちろんそこは公の建てた仮設住宅であってキリスト教の施設ではありません。ボランティアに入るのも私たちだけではなく、他の社会福祉法人もかかわっているようです。その集会所の中で皆嬉しそうに、クリスマスの飾り付けを楽しんでいるのです。クリスマス会もされるようで、そのプレゼントのラッピングなどもしておりました。

毎度のこの季節、私は説教の中で世俗のクリスマスを批判することがしばしばありました。しかし、ではクリスマスは教会にしかやって来ないのか。決してそうではない。この仮設でのクリスマスの準備を見たとき、ああ、ここにもクリスマスはやって来るのだなあ、ということを教えられました。神がこの一人一人を本当に愛してくださっている、神がこの一人一人のために神の子、救い主、イエス・キリストを送ってくださった。そのことをあらためて教えられた感謝の時でした。
 

ボランティアの働き

ボランティアの働き方はさまざまでした。実際にワークに出る場合も、力仕事の必要なことから、根気よく続けることだけが必要なことまでさまざまですし、老若男女どんな方にも必ずできることがありました。またワークに出る以外でも、エマオ事務所での食事準備ボランティアの方々がおられました。通常は近隣諸教会の婦人会の方が来られているのですが、その方々の負担も大変ですから、ときに他の地方からの食堂ボランティアが送られているのです。東京、愛知、京都などの教会から、また四国を飛び越して沖縄からも来られていました。四国からも食堂ボランティアを送れたらいいなと思いました。

また、ボランティアにはあらゆる方が来られます。私たちがいる間には北海道から来られた方もあり、またあるキリスト教福祉施設から定期的に送られてきている方々があり、クリスチャン、求道者、全く教会と縁のない方、本当にさまざまでした。エマオは志をもつ者は誰でも喜んで迎えてくれる場所でした。行きたいとの思いをもっておられる方、またそのための事情を整えることが可能である方は、ぜひ行くことを祈りに覚えていただいたらと思います。

熱心にボランティアを送っている西東京教区の方々と一緒になりましたが、彼らや先に触れた埼玉県にある施設の方々との食後の歓談の中で、交通手段のシェアリングができるかもね、ということを話したりもしました。東京まで飛行機で行き、そこから彼らの自動車に乗せてもらってガソリン代を分担する、ということができればお互いに交通費の節約になるね、ということです。日にちと人数の情報交換が密にできれば可能なときもありそうです。そのようにしてより多くを送れる体制ができればと思います。被災地支援のために教区や団体同士のネットワークが密になり、その後のあらゆる伝道牧会の働きに生きるようになれば、それは素晴らしいことだなと、いろいろな可能性を感じられる話でした。
 

出会い

この5日間を通してさまざまな出会いがありました。一番ビックリしたのは、私の母教会である根津教会のCSに通っていた、当時中学生だった女の子が、西東京教区からのボランティアの一員として参加していたのです。その後引っ越してしまって、連絡を取れていなかった彼女は大学生になり、他の教会で洗礼を受け、とても立派な大人に成長していました。

この出会いがあっただけでも本当に感謝なことでしたが、他にもさまざまな素晴らしい出会いがありました。

先の内容にあったとおり、さまざまなところからボランティアが送られていましたが、彼らとの出会いも感謝でした。同じく西東京教区から、7回も来ていて真剣に自分のこれからの役割を問い続けている信仰者の青年。また弁護士を目指す中で、苦しんでいる人のために何ができるのかを模索している求道中の青年。あるいはその他の団体を通して、あるいは個人で参加していた人たちは皆、信徒未信徒にかかわらず、それぞれに魅力的で生き生きとしていました。

そしてエマオのスタッフの方々も、同じようにそれぞれの思いをもって献身的に被災者に寄り添いながら生きている人たちでした。宿泊先のアパートの一室で寝起きを共にした三人のボランティアと二人のスタッフと、最終日前夜に慰労会をして話をすることができました。年若いのにもかかわらず考え方がしっかりしており、また若いがゆえに豊かな感性を十分に発揮して、悩みながら迷いながら一生懸命歩む姿に、本当に心から尊敬の念を抱きました。

今政治や経済が閉塞感でどうしようもない中、このスローワークの中を生きている若者たちこそが、これからの日本を支えていくのではないかと本気で思ったことでした。

そして、出会いと言えば被災者の方々との出会いを忘れることができません。仮設住宅ではご主人を津波で流された方や、荒浜でほぼ唯一残った小学校の屋上に避難して助かった方と出会い、話を聞くことができました。とはいえ、ボランティアの面々は彼らの会話になかなか積極的に入れないでいましたが、そのようにモジモジしていた私たちに、別れ際に「ありがとう、がんばってね」と声をかけられたのが嬉しく感じられました。

また三日間のワークのうち最終日には、瓦礫は家の周りを埋め尽くすほどの被災にあわれた方の家の作業のお手伝いをしました。この方との交わりは本当にいろいろと考えさせるものでした。冗談を交えながら多くの話しをされ、ボランティアとして来ている私たちを一生懸命もてなそうとしておられました。そしていろいろな話の中で、被災当日の状況も語ってくださったのですが、冗談を言う場合と違い、そのときだけは目が真剣であることに気がつかされました。その姿に、自分たちのことを、自分たちが今ここで生きていることを、忘れてほしくないという思いがあることを強く感じました(この方から年賀状が送られてきました。この小さなつながりの大きな意味を教えられました)。

このように、出会った一人一人が、愛すべきかけがえのない存在となり、それは本当に感謝なことでした。
 

神の召しについて

私自身は現地に行って、四国にいてはわからなかったことを数多く教えられた、目の開かれた貴重な経験をさせていただきました。けれども、誰もがボランティアに行くべきだ、行かなければわからないことがある、とは考えません。それぞれの事情があり、何よりそれぞれの召しがあります。それぞれの召しに従って信仰生活があります。四国の信徒すべてに被災地へ実際に行くとの召しがあるわけではないと思いますし、ここに残ってこそわかることもある、と思うのです。

しかし、被災地に行くことの召しがなくても、被災地の人たちのために生きることへの召しは、それぞれにあるはずです。今生きる場に生き続ける人たちにも、そこで被災地のためにすることがあります。いくらでもあります。

まずは祈ることです。最初に「寄り添い=スローワーク=祈り」ということを書きましたが、そのことからも、被災地に行かない、行けない者でもできる何よりのこと、それこそが祈ることである、祈り続けることである、との思いを与えられました。彼らの苦しみを忘れることなく共にしながら、遠くからでも祈り続けていきたいと私自身も思います。祈りの中で、それぞれになすべきことが神様から示されるでしょう。

しかし私が現地に赴いて何より大切だと感じたのは、私たちはあなたたちを忘れていないよ、とのメッセージを送り続けることでした。「愛の反対は憎しみではなく無関心である」とのマザーテレサの言葉があります。被災のことがらが風化していく痛み、悲しみ、苦しみを、彼らは如実に受けています。彼らに向かって、私たちは忘れていないとのメッセージを投げ続けることが大切なのです。不経済であっても四国からボランティアを送ることの意味もそこにあります。そのために献げることにも大切な意味があるのです。祈り、そして、祈っていることを伝えていく、寄り添っていることを伝えていく、それが彼らの生きる力につながるのです。そのメッセージを送る気持ちが、そのために現実に何かのアクションを起こしていく動機にもつながるのでしょう。
 

最後に

私のあそこに行きたいという思いも、ただ上より示された思い、神の召しでした。もともとの私は、面倒くさがり屋で無責任な人間に過ぎません。決して自分の思いで被災地にボランティアに行こうなどと考えもしない私なのです。その私が、強く行きたいと願った。それはただ神様の召しがあったからです。

その召しは私個人への召しではなく、土佐嶺南教会牧師としての私への召しでした。そしてそれが実現されたのは、エマオへの道四国というプロジェクトに支えられたことによってでした。ですから私は、教会によって、教区によって遣わされたのであると信じていますし、そのようにしてくださった皆様に心から感謝しています。この経験は私個人のものではなく教会の経験であり教区の経験です。これからそのように分かち合えていけたらと願いますし、またそうなることを信じています。私たちは愛する者へと召し出されているのです。

「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコによる福音書12章29~31節)

神の愛の絶えない四国教区の諸教会、神の愛の絶えないこの世界であり続けますように。

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
emaoshikoku@gmail.com