出会い
この5日間を通してさまざまな出会いがありました。一番ビックリしたのは、私の母教会である根津教会のCSに通っていた、当時中学生だった女の子が、西東京教区からのボランティアの一員として参加していたのです。その後引っ越してしまって、連絡を取れていなかった彼女は大学生になり、他の教会で洗礼を受け、とても立派な大人に成長していました。
この出会いがあっただけでも本当に感謝なことでしたが、他にもさまざまな素晴らしい出会いがありました。
先の内容にあったとおり、さまざまなところからボランティアが送られていましたが、彼らとの出会いも感謝でした。同じく西東京教区から、7回も来ていて真剣に自分のこれからの役割を問い続けている信仰者の青年。また弁護士を目指す中で、苦しんでいる人のために何ができるのかを模索している求道中の青年。あるいはその他の団体を通して、あるいは個人で参加していた人たちは皆、信徒未信徒にかかわらず、それぞれに魅力的で生き生きとしていました。
そしてエマオのスタッフの方々も、同じようにそれぞれの思いをもって献身的に被災者に寄り添いながら生きている人たちでした。宿泊先のアパートの一室で寝起きを共にした三人のボランティアと二人のスタッフと、最終日前夜に慰労会をして話をすることができました。年若いのにもかかわらず考え方がしっかりしており、また若いがゆえに豊かな感性を十分に発揮して、悩みながら迷いながら一生懸命歩む姿に、本当に心から尊敬の念を抱きました。
今政治や経済が閉塞感でどうしようもない中、このスローワークの中を生きている若者たちこそが、これからの日本を支えていくのではないかと本気で思ったことでした。
そして、出会いと言えば被災者の方々との出会いを忘れることができません。仮設住宅ではご主人を津波で流された方や、荒浜でほぼ唯一残った小学校の屋上に避難して助かった方と出会い、話を聞くことができました。とはいえ、ボランティアの面々は彼らの会話になかなか積極的に入れないでいましたが、そのようにモジモジしていた私たちに、別れ際に「ありがとう、がんばってね」と声をかけられたのが嬉しく感じられました。
また三日間のワークのうち最終日には、瓦礫は家の周りを埋め尽くすほどの被災にあわれた方の家の作業のお手伝いをしました。この方との交わりは本当にいろいろと考えさせるものでした。冗談を交えながら多くの話しをされ、ボランティアとして来ている私たちを一生懸命もてなそうとしておられました。そしていろいろな話の中で、被災当日の状況も語ってくださったのですが、冗談を言う場合と違い、そのときだけは目が真剣であることに気がつかされました。その姿に、自分たちのことを、自分たちが今ここで生きていることを、忘れてほしくないという思いがあることを強く感じました(この方から年賀状が送られてきました。この小さなつながりの大きな意味を教えられました)。
このように、出会った一人一人が、愛すべきかけがえのない存在となり、それは本当に感謝なことでした。 |