第二次 震災ボランティアの報告

 
丸亀教会主任担任教師 岡田真希
  
  皆様のご支援をいただき、2011101721日の5日間、仙台・石巻に行かせていただきました。参加メンバーは、岡田真希(丸亀教会主任担任教師)、北村誠(宍喰教会主任担任教師)、三浦永悟(高知教会主任担任教師)、西村大吉(久万教会信徒)の4名です。
  岡田・西村が石巻で、北村・三浦が仙台でワークしました。以下、石巻での様子をご報告させていただきます(仙台組の報告は三浦牧師にしていただきます)。


  10月17日

  丸亀より仙台へと新幹線で移動。東北教区センター「エマオ」に到着後、ボランティアとしての一日の流れの説明をスタッフより受ける。この日は16時ごろに仙台に着いたので、実働は翌日からになる。

  この日に、組織の説明をしていただいた。



  現地の組織

「エマオ」の2階の一室を東北教区が間借りし、「東北教区被災者支援センター」を設置している(四国教区でいえば、松山にある済美会館の一室を四国教区が間借りして活動しているようなかたち)。このセンターにスタッフが詰め、全国からのボランティアワーカーの受入れ・派遣・宿泊をコーディネートしている。組織と役割分担は以下の通り。

トップに仙台川平教会主任担任教師、高田恵嗣牧師(センター長・東北教区常置委員)・・・週に4日センターに詰め、センターの統括、対外的な文書作成・応対などを担当。
  その補佐として代田教会担任教師の小川洋二伝道師(日本キリスト教団救援対策本部 担当幹事補佐、教団派遣)・・・ボランティアの受入れ・会計などを担当。
  エマオ内勤2名(週3と週5の2名)・・・ボランティアの受入れ、メール対応、館内掃除、雑務を担当。
  七郷現地スタッフ4名・・・現地のお宅回り、現地でのボランティアの割り振りを担当。
  料理スタッフ・・・近隣の教会の婦人会の方々の奉仕
    ※料理の実費は教区負担 

以上が仙台の東北教区被災者支援センターの組織。

もう一箇所、石巻にも拠点があり、そこにもスタッフが詰めて、仙台の拠点と連携をとりながらボランティアの受入れ・派遣・宿泊をコーディネートしている。

石巻現地スタッフ3名・・・内勤・料理スタッフがいないため、3人で全てを兼務状態

  この日は仙台にある仙台ホサナ教会に宿泊。


  10月18日

  仙台から車に乗り、岡田・西村は石巻へ向かう。石巻の大通り(大街道)を西から東に走る。この通りにあった瓦礫はすっかり片付けられており、通り沿いにどんどん新しい店が出来つつあった。スタッフによると、「ここに来るたびに新しい店が出来ている」とのこと。
  その通りから南に少し下ると、我々の拠点となる家(一軒家を買い取り、リフォームしたもの)がある。石巻は南に海がある。拠点は海から1キロ弱のところにあるため、当然津波が押し寄せた場所の真ん中であり、家だけは残っているがほとんど誰も住んでいない住宅街の中にある。
  拠点となる家は二階建てで、女性が二階に、男性が一階に宿泊する。ワークを終え、戻ってきたらスタッフが食事を作り、皆で食べるようになっている。風呂は家の中にあり、また近くに温泉施設もあるので、どちらを利用してもよい。

 一度拠点に寄り、宿泊の荷物を下ろしてワークへ。 

一軒目のお宅は、ゴミ出しの手伝い。水をかぶった家電製品や鶏小屋など、様々。「ゴミ捨ては市がやってくれないのか」と尋ねると、「市に頼んでも、一ヶ月先になったりする」とのことであった。このお宅も、津波から半年以上壊れた家電やゴミを捨てられず家の中に置いておかなければならなかったのだろう。
  車にゴミを乗せ、お宅と石巻の海岸近くに設けられたゴミ集積所を往復する。ゴミ集積所にはダンプが列をなしていた。車でどんどん運ばれてくるゴミを、ユンボがピラミッドのように積み上げている。4~5階建てのビルの高さのほどの瓦礫が何十メートルも続いていた。 

午後から二件目のお宅へ。「お宅」といっても、お宅が流された跡地。土台が残されているのみ。その場所の石・ガラス・材木を拾う。人の手で拾えるものだけ拾い、集めておく。後は市の収集に委ねる。
  二件目のお宅の作業をしている間、別のお宅の庭に車を置かせていただいていた。津波が到達したところなので、一見しただけではわからなかったが、土が半分泥のような状態になっており、作業している間にズブズブとタイヤが沈んでしまっていた。タイヤの下を掘り返し、そこにコンクリートの塊を敷いてなんとか出せた。しかし、一度出せたと思ったらまた沈んでタイヤが空回りする、ということを繰り返した。津波が来たところは、全体的にこのような状態であった。

ワークを終えて、夜に石巻の天然温泉に行くが、「温泉」は現在(1018日)出ていなかった。「来月、温泉が復旧します」と張り紙がされていた。


  10月19日

  渡波地区・祝田というところにあるお宅へ。
  海に面している地区。石巻の海岸に近いところは地盤沈下しており、このお宅の目の前が海であったが、海抜がほとんどないような感じであった。海に接しているところには土嚢袋が積まれていた。
  このお宅での作業は、畑と家の間にブロックを並べ、雨水の浸入を防ぐ、というものであった。更に、家の際にある畑の土を掘り出し、泥水が入らないようにした。
  地盤沈下しているため、山に降った雨水が全部、畑を通って家に流れ込んでくるようになったらしい。台風15号の時には床上浸水(80センチ)したそう。この日は岡田・西村の二人で、このお宅を担当。 

休憩中、近所の方々のお話を聞かせていただいた。
  「地震が起こったときには、何分も揺れてね、これだけ揺れたら津波が来ないわけがないと思ってみんな山の上のお寺まで逃げたの。自分の身は自分で守れ、と言われていたけど、やっぱり人のことを心配してたら駄目だね。それぞれがまず避難しないと。ここでは、その高さまで水が来たんだ。」
  指差された方をみると、目の前の家の壁に水の跡がくっきりと残っていた。高さ約3メートル。一階は完全に浸かっていた。その家の方は、今二階だけを使って生活されている、とのことだった。早く大工を入れたいが、皆、大工を必要としているので、いつ一階で暮らせるようになるかわからない、とのこと。
  「私の家では、孫が幼稚園のバスに乗っていて、津波に流されたんだけど、ちょうど木があって、バスがそれに引っかかったんだ。あそこに木がなかったら、孫も死んでたな、って思うよ。」


  10月20日

  同じく祝田。前日作業をしたお宅のお向かいの家。
  津波は一階を飲み込んだので細かい砂が窓の桟に入り込んでおり、今でも開け閉めするたびにそれが落ちてくる。一枚一枚はずして、高圧洗浄機で桟を洗う作業をした。昼前に新しいボランティアワーカーが合流し、6人での作業。
  午後から別のお宅に移動し、敷地の草抜きをする。ここにも津波が届いているので、道具を使いながら掘り返していると土の中からいろんなものが出てきた。オーディオ、車のミラーなど・・・。

被災地の家々は、一見何事もなかったかのように見えるが、外から見ただけではわからない様々な問題を抱えている(例えば、雨が降ったら泥が入ってきたり、窓を開け閉めしたら砂が落ちてきたり)。エマオから派遣されるボランティアたちは、そういうお宅の日常の回復のための小さなお手伝いをさせていただいている。華々しい活動ではないが、そのお宅にとっては非常に大きな意味を持っているはずである。


  二度目のボランティアを終えて

今、仙台の諸教会は援助される側から、援助する側にまわって活動している。しかも、個教会がそれぞれ何かをしているのではなく、仙台の諸教会が少しずつ力を出し合い、協力しあって「東北教区被災者支援センター」を組織・運営している。教会がもっている力は小さいかもしれない。人がたくさんいるわけでもなく、お金がたくさんあるわけでもない。しかし、全国からのボランティアの受入れ・派遣・宿泊のコーディネートを担う、ということによって教会は被災地で大きな役割を果たしているのを見ることができた。現地での受け入れ態勢がしっかりしているからこそ、エマオに何度もやってくるワーカーが多くいるのだろう。
  センターの小川伝道師に、「四国に帰って報告をしますが、何か四国の人たちにメッセージはありますか」と聞いた。「だんだん忘れられていることを感じています。とにかく人を送って欲しい。四国は忘れていない、というメッセージを送って欲しい」とのことであった。
  また、小川伝道師の前々任の日本キリスト教団救援対策本部担当幹事補佐であった野田沢牧師(現「学生キリスト教友愛会」主事)にも同じ質問をした。「四国から人を送る、ということに尽きる。『何かをしてあげよう』ということよりも、何より四国のためになるはず。センターの活動を通して、クリスチャンとして信仰的な成長を得ることができるはず。それを分かち合って欲しい」とのこと。
  センターに集まるボランティアは祈りで送り出され、ワークから戻ってきて一日を祈りで終える。その後にシェアリング(分かち合い)の時を持つ。センターの活動は、単なるワークではなく、信仰者としての働きであることを実感することができた。

「エマオへの道・四国」に集められた尊い献金により、(岡田は)二度も被災地に行かせていただいた。上記のように、あちらで何か大きな仕事をしてきたわけではない。しかし、そこで以前の街の日常を回復させるために継続して労しているセンターのスタッフや、里帰りするように「また来ました」とエマオを訪れるボランティアワーカーの姿を見て、「小さな働きでも、ずっと続いている」と、励まされ、得がたい体験をさせていただいた。
  センターでは様々なワークが用意されている。「若くないとボランティアは出来ないのでは」「私にはあまり力がない」と心配する必要はない。もちろん力仕事もあるが、草抜き、ゴミ拾い、調理補助やセンター内の掃除、幼稚園に行けていない子供たちと遊ぶことだって大切なワークとなる。是非、「エマオへの道・四国」から一人でも多くの方が被災地に行き、この震災を少しでも自分のものとしていただきたい。そのことがこれからの四国の備えになるはずである。


「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
emaoshikoku@gmail.com