第四次 震災ボランティアの報告

 
鴨島兄弟教会牧師 大田健悟
    
 2012年2月6-10日の5日間、皆様のご支援をいただき、岩手県宮古市にある日本基督教団宮古教会に三津教会の広瀬先生と行かせていただきました。宮古教会牧師の森分和基先生は幼馴染みで、神学校時代も親しく過ごした仲であったこともあり、今回宮古教会にボランティアを派遣するにあたり声をかけていただきました。

 宮古教会は現在YMCAのボランティア拠点となっています。ボランティアスタッフは教会の礼拝堂で寝泊まりをしており、私たちも同じように礼拝堂で持参した寝袋で宿泊をしました。お風呂は近くにある銭湯に、食事は毎日教会の求道者の方が作りに来てくださってそれをいただいたり、またスタッフで作ったりとしていました。YMCAボランティアは交通整理と仮設住宅にお住まいの方々の支援を現在中心に行っておられました。交通整理とは朝7時から一時間ほど小学校に向かう子どもたちのために交差点に立って誘導する、いわゆる緑のおばさんのような活動です。この活動は津波のせいで信号機が壊れ、復旧してない頃からはじめ、現在は復旧しているのですが、続けておられます。私たちも2/8,9と参加させていただきました。子どもたちはボランティアスタッフの顔を覚えており、ハイタッチをしながら登校していました。

 以下、今回の行程の報告をいたします。
 2/6(月)は朝、車で新神戸に行き、そこから新幹線で盛岡に、そして盛岡からは下ノ橋教会の牧師であり奥羽教区主事の松浦裕介先生に宮古教会まで送っていただきました。宮古教会には辺りが暗くなった頃に到着しました。盛岡周辺や宮古に向かう途中には雪も積もっていましたが、宮古市は雪は積もってはいませんでした。

 2/7(火)から活動を始めました。具体的には、今まで宮古教会に来られた方の芳名帳や名刺、また教会に送られてきたクリスマスカードや祈りのハガキなどの送り主をパソコンでデータ化をする作業です。持ってきていたパソコンで広瀬先生と手分けし打ち込みをしました。そして、この作業を9日までかけて行いました。

 ただ、滞在期間中、朝から晩までこの作業をしていた、と言うわけではありません。2/8(水)の午後は水曜祈祷会に来られた会員お二人と一緒に津波被害の大きかった田老などに連れて行っていただいたり、2/9(木)は被災地訪問を行っておられた四国教区議長の黒田道郎先生とコーディネイトとして同行されていた八幡浜教会の森分望先生と合流し、YMCAスタッフからお話を伺い、午後は八幡浜教会が中心で行っている宮古の物産販売の卸をしてくださる店のある魚菜市場を見学したり、宮古教会付属のひかり幼稚園を訪問をいたしました。夜には宮古教会の役員からお話を伺うことが出来ました。そして、2/10(金)は森分和基先生の運転で新生釜石教会まで黒田先生たちと同行し、そこで牧師の柳谷雄介先生たちからお話を伺うことが出来ました。そこから黒田先生たちと別れて徳島へと帰ってきました。

 このように、被災地の現場を見せていただき、話を聞く機会をいただいたりと、ずっと作業をしていたわけではありませんでした。また、一日作業していた2/7(火)も朝から夜まで作業、ではありませんでした。先に記しましたように、宮古教会はYMCAボランティアの拠点となっていますので、YMCAボランティアは午前は9時から12時、午後は13時半から16時を基本活動時間としておられましたので、私たちもそのタイムスケジュールに従って行動をいたしました。ボランティアに来られた方の中には、夜暗くなるまで作業をすべきではないか、とおっしゃる人もいたそうです。しかし、短期ボランティアワーカーは長くても一週間しか滞在しないのでそのペースで活動できるかもしれないが、被災に遭われた方、また長期スタッフがそのペースで活動を続けていくとすぐに支障を来すようになるために、このような時間で作業している、とのことを伺いました。「自分が何をしたいか」ではなく、「被災に遭われた方々が何を求めているのか」を中心に置いている、との言葉が印象に残っています。

 名簿データ作成に関してですが、データ打ち込みは現地で行いましたが、それをタックシールなどに印刷できる形にする作業は徳島に戻って行いました。


 今回の派遣では、ボランティア活動と共に被災地の現場を多く見せていただき、また被災者の方々の声を聞く機会を多くいただきました。津波の被害で地域が壊滅状態になった場所に立ったときには、文字通り言葉を失い、祈る言葉さえ失ってしまいました。また被災された教会役員の方々の話、YMCAスタッフの話を伺い、様々なことを教えられました。例えば、津波の被害の故に家を失った方もいれば、住まいには何の被害もない方もいます。しかし、津波被害にあった方でも誰も亡くならずに住んだ方もいれば、住まいの被害はないが親戚を亡くされた方もいます。被災地、という言葉でひとくくりにして考えられがちですが、お一人お一人の置かれている状況の違いがあり、それがまた痛みとなっていることを教えられました。この報告では書ききれない多くの示されたことを、多くの場で伝え続けることも、派遣されたものの大きな役目と自覚させられています。

 また教会役員の方々からお話を伺った折には「多くの方々の祈りに本当に支えられた」とおっしゃって下さった方もいますし、「一日も早い復興をお祈りします、という言葉に、一日も早く復興しなければならないのか、と急かされているように感じた」と赤裸々におっしゃって下さった方もいました。宮古教会はこれから教会を移転するかしないかも含め岐路に立っているとのことです。しかし、移転するしないが決定していなくても、礼拝堂の床下には依然としてヘドロがたまっており夏になればひどいにおいを発することが予想されるため、4月の初めからそのヘドロを取り除くことや津波の被害の応急処置を行っているそうです。そう言った大変な状況の中で、私たちがボランティアに言った次の日曜日に行われた教会総会で、役員が全員が立候補される、という事が起こったことも伺いました。役員一人一人も被災者である中で、教会を支えるために具体的に進まれる姿に心打たれました。

 森分和基先生がある講演の中で「宮古教会のために何か出ることはありませんか、と言われても、まだ教会が移転するかどうかも決まっていない状況で具体的に言うことは出来ないん。ただ、最低5年は共に歩んで欲しい。」とおっしゃった言葉を今思い出しています。今回、宮古教会への派遣は宮古教会と共に歩み始めた小さな一歩と言えると思います。エマオへの道の中で、そして四国教区としても、宮古教会と共に歩み続けていただきたい、と心から願っています。そして、私たちが願う復興のスピードではなく、宮古の方々のペースにあわせてその復興に協力し、祈り続けていきたいと思っています。

 御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上、宮古の上にも。

「エマオへの道・四国」
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