第18次派遣速報

 
日 時 : 2014年3月3日(月)~26日(水)
派遣先 : 東北教区被災者支援センターエマオ
笹原寛仁(高知教会)
*このレポートは、現地より日々メールで送られてきたものです。

★ワーク一日目(3/4)★
 今日は12人が3つの班に別れました。私の班は午前中フィールドワーク、午後はキッズ広場の整備をしました。フィールドワークと言うのは、宮城の今の現状を知って貰うために被災地をまわるというものです。
 まず荒浜地区の海岸沿いに向かいました。写真は海岸沿いから撮ったものですが、3年経つ今でも街が根こそぎないと言う状態でスタッフの方も「壊滅的な被害とはこのことだと思った」と言っていました。写真に写ってる観音像の高さはちょうど当時の津波の高さだそうです。(7m)
 この黄色いハンカチは住民たちのここに住みたいと言う意思表示だそうで、何もない土地にいくつもありました。ですがこの地域は津波危険区域に指定されてしまい、誰も住むことが出来なくなってしまったそうです。被害を受けてもここに住み続けたい住民と、もう引っ越したいという住民の意見が別れて行政も動きようがなくそれで復興自体が遅れているのが現状です。
 その後仙台市閖上区移動し、閖上中学校や元々デイサービスセンターだった場所場所をまわりました。閖上中学校では10数人の生徒が亡くなりました。でもそれは地震後自分の家族を心配して家に帰った生徒が亡くなっており、生き残った生徒と亡くなった生徒は行動1つで紙一重の差なんだなと感じました。
 被災地でのもう1つの問題は最近オリンピックが決まりましたが、それによって工事の従業員が東京オリンピックの建設にまわされて作業が遅れるということです。
 お昼ご飯は地元の復興商店街で済ませて、午後のワークに移りました。
 午後はボランティアセンターが管理するちびっこ広場の整地です。ここは地元の農家の方が提供して下さった土地で地元の子供たちの遊ぶ場所を作っているのですが、まだ地面がボコボコで子供たちが遊ぶと転んだりして危ないと言うことで、土地全体を平にする作業をしました。重機は使わずスコップや一輪車で作業しとても地道な作業でした。残念ながら今日一日では終わりませんでしたが、みんなチームワークがよくとても楽しみなが作業することが出来ました。
 明日は仮設住宅を訪問し住民たちとラジオ体操して、ワーク終了後に石巻に移動します。

★ワーク二日目(3/5)★
今日は、
 一、仮設住宅に訪問しラジオ体操
 ニ、仙台市若林地区の農家の方のお手伝い
 
 まずは仮設住宅にラジオ体操にいきました。この取り組みは仮設住宅に住んでいるお年寄りの方が家に引き込んでしまわないように毎朝仮設住宅に訪問してラジオ体操し、「お茶っ子」と言って実際に住民の方たちとお茶を飲みながら交流をすると言うものです。
 仮設住宅に入るとみなさん笑顔で出迎えてくれました。ラジオ体操も久々にしたので曖昧なところもありましたが、逆に斬新で楽しかったです。
 お茶っ子ではルールとして自分から話すというよりも相手が話して下さるのを聞いて相手に寄り添うというのがあります。
 私は昨日のフィールドワークで「壊滅した街」を見ていたのでお年寄りの方と何を話して良いのか分からずとても苦労しました…。自然に話そうと心掛けました。ですが不意に「家族が津波にのまれてねえ」と言われ昨日の街の光景と重なり言葉がでなくなりました。それでも、最後は仲良くなれておばあちゃんに「ばいばい、トマトちゃん♪」と名前も覚えてくれてとてもよかったです。
 その後は班に別れそれぞれ別の作業をしました。私の班は仙台市若林区に移動し、農家の方の依頼を受けてワークしました。内容は次植える野菜の準備をするための畑の雑草処理と農具の片付けをしました。雑草は結構生えていましたが、意外と疲れることもなく順調に作業を進めることができました。その日のお昼御飯はその農家の方が野菜たっぷりのラーメンを作ってくださいました。愛情がこもっていてとてもおいしかったです。午後も同じ作業をしました。
 最後にコーヒーとかりんとうでワイワイしながら休憩していると私の将来の話になり自分が学費と生活費を払いながら進学することを伝えると「最初は辛れえかも知れねえが人と比べたらいかん、自分信じなきゃだめだ」と親心になってアドバイスして下さいました。ありきたりの言葉ですがこの方の言葉はすごく心に響きました。他にも「政治の事」「社会貢献の事」「今の社会の事」…いろいろなお話をすることができました。
 ワーク終了後に、この事を全体ミーティングで発表した後、ボランティアセンターの婦人会の方が作ってくれた夕飯(今日は麻婆豆腐)を食べ、荷物をまとめ高速バスで石巻に移動しました。明日から土曜日まで石巻でワークします。
★ワーク三日目★(3/6)
 石巻にてワークです。内容は十三浜のワカメ漁師の方のところで取り立てのワカメを茎と葉の部に分ける作業しました。その方は津波で家と仕事場が流され身近な人も津波の犠牲になったそうです。そして御自身、地震の時は揺れの中なんとかハンドルを取られまいと必死に運転し、なんとか避難できたとおっしゃってました。なんとか営業を再開しましたが、 震災の後に従業員の半分が町からでてしまい営業が困難になったので手伝ってほしいと依頼がありました。作業は全て手作業で素手とカッターで作業します。細かい作業でおまけに不器用なためすごく苦労しましたが慣れてくるとすんなりできるようになりました。破れると商品にならないためそこはすごく苦労しました。
 お昼にワカメ料理を作って下さいました。ワカメの茎というものを私は食べたことなかったのですが、食べごたえがあってすごくおいしかったです。もう片方はワカメに胡麻油をかけたシンプルな料理ですがワカメがしゃきしゃきした食感ですごく不思議な料理でした♪(*´ω`*)
 最近はあまりなくなったそうですが、当時は震災で放射能が問題になりましたが、十三浜は基準値以下にも関わらずメディアなどの影響で評判が落ち、出荷量が低下してしまうっていう問題もあったそうです。ですが、今はボランティアのワーカーさんにも手伝ってもらって出荷量も伸び味も鮮度も地元のみならず全国からも注文があるすこく評判のワカメです*すごくおいしいです*
 夕食後にエマオの近くのボランティア団体にお邪魔させて頂きました。そこの団体ではまだ瓦礫処理の活動をしていると聞いてまだ残ってるんだと正直驚きました。中に歌手のワーカーさんもいて急遽歌っていただく事となりその歌声にすごくすごくすごく感動しました! 最近はワーカーさん同士の繋がりも段々出来てきてやりがいを感じます。写真も取らせていただき素敵な出会いとなりました。
★ワーク四日目★(3/7)
 今日は石巻のフィールドワークにいきました。昨年の夏にも周りましたが、復興がどれだけ進んでいるか見るいい機会なので参加させていただきました。石巻は道路の鋪装は進んでいますが、ちょっと大通りをぬけるとまだヒビが入っているところが多々あり、走行が困難な場所がありました。
 最初はテレビでもよくでる「がんばろう石巻」のモニュメントで、これは震災の1ヶ月後に復興を願い作成され、3年たった今でも被災地の象徴として残されています。
 その後日和山という高台から石巻全体を見ましたが、半年前とあまり変わってない…と感じました。しかし、見た目は変わっていなくても「あそこの小学校は4月からまた開校するんだよ」と言った明るいニュースも聞くことができました。
 次に「さんまnaたいやき」うみねこハウスにお邪魔させて頂きました♪あの時のおばあちゃん、僕のこと覚えて下さって、相変わらずお元気で「あ、トマトちゃんじゃん!!久しぶりー!」と、声をかけて下さってとても感動して胸がいっぱいになりました。今回もすごく仲良くなって優しい幸せな時間を過ごしました♪
 昼食は石巻市内の漁業市場でいただきました。タラのチャンチャン焼きとカニのお味噌汁、ご飯がついて310円。量も多くて、味もすごくおいしくて一日1000円生活の私にとって言うことがないくらいの昼食でした。
 大川小学校にいきました。夏来た時はあまりの衝撃でショックが大きくあまり冷静に見ることが出来なかったのですが、今回は2回目ということもあり落ち着いて見ることができました。まだ、瓦礫が残っていて子供の運動靴とかが転がってたりします。ここでは教諭が一人生き残り、震災の判断の責任を問われて起訴されています。山に逃げればよかったんじゃないかと言われていますが、山は思ったより急な坂で足が弱い幼い子供やお年寄りがいることを考えると判断は間違いではなかったのではないかと僕は感じます。
 今回のワークの途中民家にこんな看板がありました。「ボランティアのみなさん 本当にありがとう!」私は継続してこの活動をしていますが、被災地の方は私達ボランティア、また支援していただいた方々への感謝は忘れていません。あれから3年、私達自身も、東北のことを忘れず支援してを続ける必要があります。
★ワーク五日目★(3/8)
 今日のワーク、3.11のセレモニーで使う竹の灯籠作り
 3月11日が近くなってきました。もうすぐあれから3年です。
 今日は「人と人のつながり」プロジェクトで、神奈川県から来た坂本さんのお手伝いをさせていただきました。プロジェクトの内容はお寺から荻浜までを竹の灯籠で照らすと言うもので、今日は山から竹を切って運ぶ作業とそれを加工する作業をしました。こちらはこの時期でもすごく雪が降っており今日も雪の中でも作業となりました。まず竹を調達するためにボランティアセンターから車で一時間、石巻市内の竹林に到着しました。崖のような斜面を登り丈夫な竹を選んで切ってふもとに運びました。竹は思ったよりも重く運ぶときもいろんなところに引っかかり苦労しました。途中竹を切るためのノコギリが破損するなどのハプニングがありましたが、チームワークですごくスムーズに作業できました。それを運んだあとそれをノコギリで竹の長さを合わせていきます。
 午前中はこれで終わり午後からは切った竹を車で40分くらい運びこれを加工する作業をしました。穴を開けて中にロウソクをいれたときに綺麗に見えるように文字や絵を描いて穴を開けて行きます。私の班はみやぎや伊達政宗の月の模様を書いて復興への願いを込めました。
 ワークが終わると、みんなで報告ミーティングをして高速バスで仙台にもどってきました。明日は一日休んで、明後日朝早くにバスで石巻市にもどります。
★ワーク六日目★(3/10)
 朝七時に起きて仙台でミーティングをした後、高速バスで石巻に移動しました。内容は金曜日に引き続き「人と人プロジェクト 荻浜竹道路プロジェクト」のサポートをするため坂本さんのもとを訪ねました。現場には他のボランティア団体の方も来ていて一緒に作業することができました。
 まず金曜日に用意した竹600本を石碑の周りに並べる作業をしました。雪も降っていて怪我しやすい環境だったので細心の注意をはらっての作業でした。他にも見栄えや見物者の視点を気にして工夫しながら並べていきました。竹の長さも配慮しなければならなかったのでとても苦労しました。600本を並べ終えて次に明日並べる竹の準備をしました。灯籠が2000本も必要でみんなで力を会わせながら作業しました。地道な作業で外のワークだったので寒くてどうにかなりそうでしたが、地元の方は普通の様子で黙々と作業していました。
 その作業がおわった後、試しに石碑の灯籠に火を灯して見ることにしました。雪も強くなって風も吹いていて心配でしたがなんとか成功し幻想的な世界でした。しばらくすると近所の住民の方々が集まってきて仲良くなることができて交流することができました。また子供たちも集まってきてすぐなついてくれてしばらく遊びまくっていました♪おかげで寒さも吹っ飛ぶくらいでした!その後暗くなったのでみんなで黙祷をし解散となりました。
 今日は3.11。テレビでは亡くなった方々や津波の映像が流れて暗くなりがちな一日ですが、こんな日だからこそ前向きになれるようにボランティアががんばります♪今日もたくさんの人と出会えますように。
★ワーク七日目★(3/11)
 今日も「人と人プロジェクト 荻浜竹道路プロジェクト」のお手伝いをさせて頂きました。神社から浜までを竹の灯籠で繋ぐというものです。今日も相変わらずの雪、まずは落ち葉で散らかっている神社の参道のお掃除から始めました。崖のような階段を上り頂上からお掃除しました。落ち葉だけでなく砂や砂利も混ざっていてすごくやりづらかったです。なんとか綺麗になりました。その後並べる竹を取るために下と往復しなきゃいけなかったのですが、これがまた重労働で苦労しました。竹を並べたところで午前中は終了。
 午後は私は灯籠で使うロウロクの準備をしましたがなんせ2000本分、四人がかりで二時間半作業しました。その作業の途中で、町中に響く午後2時46分サイレンを合図に黙祷しました。作業している人の中では被災されたかたもいらっしゃって「サイレンがなるとこをおこしてしまう。」と話してくれました。その後作業に戻ると「トマト*」って呼ぶ声が聞こえて見ると昨日の子供たちが来てくれました♪ロウロクの準備を終え灯籠にロウロクを設置する作業を子供たちに手伝ってもらって準備は完了です。
 午後5時半になり点火しました。風が強くて苦労しましたが、すごく幻想的な光景で本当にたくさんの方たちが来てくだりとてもやりがいを感じました。子供たちとも記念写時に話してくれたことは、「僕の家は毎月11日は電気使わないんだー、夕飯とかはロウロクで生活してるよ♪」と話してくれて「なんでそうしてるも思う?」と聞くと「わかんなーい」と答えました。きっと両親が子供たちにこの日の事をわすれないでほしいという願いが込められてると思います。
夜は石巻のモニュメントに 3.11のキャンドルを見に行きました。花束もあり、涙が出そうでした。
 震災から3年が経ちました。震災を経験してない私たちにできる簡単な事は震災を風化させないということです。あの日の事を忘れずに語り継ぐことがこれから大切なことです。
★ワーク八日目★(3/12)
 今日は昨日の竹灯籠の片付けです。2600本の竹灯籠を引き取ってもらうために一ヵ所にまとめる作業をしました。今日はスタディステイで来ていたアメリカの大学生が手伝ってくれました♪今回初めての外国の方、仲良くなりたいと思い単語をテキトーに組み合わせた英語でしたが思いが伝わったのか仲良くなることができ、ギビーさん、フォックスさん、オリビアさん(全てニックネーム)みんなと交流できました♪言葉も教え会ったりしてすごく楽しかった♪「Tomato is my best friend!」って笑顔で言ってもらえて嬉しかったです*やっぱすごい量で、さらに使えるロウソク使えないロウソクの仕分けもして、全ての作業は午前中に終わりました。
 午後はキクチさんというおばあちゃんのご自宅に訪問させていただきました。ボランティアのスタッフも何年も前から訪問していて僕ははじめて会う方でしたが、すごく明るくておしゃべり上手なおばあちゃんでした♪ひ孫さんも一緒に住んでいてすごく人懐っこい子でした*時間が足りずもっと仲良くなりたかった…。
 ワーク終了後、全員でミーティングをするのですが今日会った東京の大島から来たワーカーさんは「あの雨の災害の時は宮城の石巻からボランティアに来てくれて恩返しにきました」という人がいて繋がりの強さに感動しました。今日の夕飯は婦人会の方が作ってくれたビーフシチュー♪
(*´ω`*)
★ワーク九日目★(3/13)
 今日は石巻は土砂降りの大雨でした。まずボランティアセンターの大掃除をみんなでしました。僕が寝泊まりしている「被災者支援センター エマオ石巻」は割と海に近いところにあります。ここは元々地震の津波で被災した一軒家を買い取ってリフォームして拠点としています。今は徐々に家が建ってますが夏来た頃は周りになにもないところにただの家があるような状態でした。見た目は普通の一軒家です。週に一回はワーカーが手分けして大掃除をしています。砂でいっぱいになった車も掃除しました。
 その後は今後の催し事のチラシを近所の方々に配るための準備をしました。昨日までのハードワークに比べると比較的簡単な作業でのんびりマイペースで 500部 準備しました。
 午後は市内のおばあちゃんのお宅を訪問しました。この方のお孫さんがプロのラグビー選手でパナソニックに所属してる事を知り、ポジションも現役時代の頃の僕と一緒だったのでたくさんお話をすることができました♪ラグビー選手には会えませんでしたが、思い出話をよく聞かせてくれてすごく面白いおばあちゃんでした♪
 夜は仮設住宅に住む親子が遊びに来てくれました。最初はすごく緊張していましたが、夕食を食べるとすぐなついてくれて遊びました♪気がついたら二時間半くらいは「お医者さんごっこ」や、「おえかき」などで遊んで、現地の子供との交流を楽しみました♪
★ワーク十日目★(3/14)
 今日は昨日作ったビラを一件一件訪問して配っていきました。11年の地図をみながらくばったのですがショックだったのは震災の家がそのまま残っていたり、地図ではあるはずの家が津波で流されてなかったり、もう引っ越していたりして配れないような状況が全体の4割くらいだったでしょうか…すごく胸が苦しくなりました。
 拠点がある町自体、もともと1100人いたのですが今では300人ほどにへっていて町内会もない状況です。ただ偶然通りすがりの方が声をかけてくれて話をするとここに町内会を作ろうと努力している方で地域コミュニティの大切さを住民に訴えてました。また配ったお家の中に、出身を聞かれ四国と答えると「昨日の地震たいへんだったね…ご家族は大丈夫?」と心配してくださった方もいて東北の方の優しさに触れました。
 その後は明後日の女川中学校で行われる復幸祭で使う道具を借りにいきました。そのなかでお醤油屋さんに醤油を買いにいったのですがそこが創業103年の老舗で昔ながらの機械でお醤油を作っているというので急遽中を見学させていただくことになりました。古い木造ですが震災にも耐えてすごく立派な建物でした。中身はまだ震災からなにも変わってなく放置している箇所もありましたが、ボランティアにすごく助けられて感謝していると教えてくれました。
 もう滞在も半分を越えました。もうちょいがんばります♪
★ワーク十一日目★(3/15)
 今日は午前中、昨日と同じようにビラ配りをしました。近所の方の家の訪問するのは様々な出会いや、共通点とかも発見できてすごく楽しいです♪「まだボランティアいたんだ~。ごくろうさま♪」と励ましの言葉もかけていただいていつもがんばれます♪
 午後は女川中学校で行われる女川復幸祭の準備をしに女川中学校にいきました♪テントに土嚢を積んだり、フラッグの準備をしました♪私達だけでなく全国からたくさんのボランティアが参加していて出会いがありました。その後はボランティアさんと参加者を対象に女川の食材を使った料理の試食会がありました。個人的には蛸がプリプリしてておいしたったです。その後は明日使う焼きそばの買い出しを行いました。買いにいった場所がGoogleマップには道があるが、実際は道がないというような状態でとても苦労しました。
 全ての作業が終わると三月で卒業するスタッフの送別会に参加させていただきました。ワーカーとスタッフはもう家族同然で仲が良く自分にとってもすごく思い出に残る日となりました。
★ワークが休みだった日★(3/16、3/17)
 昨日、今日はボランティアのワークは休みでした♪なので昨日は女川復幸祭のサンマを焼くボランティアを個人的にしてきました♪
 炭火で丸焼きというシンプルな作業でした。さんま日本一なだけあって焼き方とか厳しい人ばかりでしたが、すごくすごく楽しかったです*途中土砂降りが降って来るという雨男振りも発揮しましたがみなさんサンマのためにわざわざ並んでくれて嬉かったです♪
 午後は復幸祭の目玉である樋口了一のライブと私が大ファンの「水曜どうでしょう」の藤村Dとうれしーのトークショーをみました♪サプライズでミスターの登場もあってすごく盛り上がりました!!(*≧∀≦*)
 今日は久々の休みだったので久々に9時くらいまで寝ることができて疲れも取れました♪(*´ω`*)今日は二時間半くらいのんびり散歩してました。ゆっくり歩いてみると、歩道橋がゆがんでいたりして普段気付かないものもみることができました。そして、昨日今日はこの前の「防災会議」で知り合った友達の家でお世話にになってます♪久々の再会で盛り上がったり、当時のお話を聞かせて貰ったり…。
 明日からボランティアセンターに移動してワークです。
★ワーク十二日目★(3/18)
 今日は今までの引き続きビラ配りです。今のボランティアの内容を地元の方に知ってもらうためにもこの活動はする必要があります。途中近所の子供たちが近寄ってきて一緒にまわってました*今日は50件くらいかな?スローワークでがんばってます。
 さて話は変わって昨日チラッと書いたのですが、昨日は一月に行われた国際防災会議で知り合った人の家に泊まらせて頂きました。トミーって呼んでます。トミーもあの大地震で被災して半年前まで仮設住宅に住んでいました。この前の3月11日のトミーのタイムラインをコピーします。(許可済)

「あの東日本大震災から三年が経った…。三年前、中2だった自分は島で被災した。色んなものを失った。思い出が詰まった家…仕事の手伝いで乗った家の船…家族の歴史を写したアルバム、親しかったおばちゃん。みんな流された。今こうして考えると震災前がどれだけ楽しかった事か。最初変わり果てた島を見た時は悲惨で地獄のようだった。自衛隊のヘリから見た女川も悲惨だった。終わった…って思った。でも人は凄い。今では瓦礫があまり無い。これからも復興事業に携わっている人には頑張ってもらいたいと思います。海の輝きは変わらないなぁ。」

 トミーのいた避難所は学校の校舎で震災直後は一日の食料は賞味期限切れのおにぎり3つとバナナ。10リットルの水を20人で分けて飲んだそうです。その後仮設住宅に移り3つの部屋を5人家族で住みました。仮設住宅は雨の音や風邪の音、隣の部屋の音などの音漏れが気になったと言います。そこで二年近く住みました。トミーが震災で学んだことは、コミュニケーションの大切さだそうです。友達、特に近所の住民との助け合いは避難生活のうえですごく役たったと言います。それは慣れない避難生活でもみんな知り合いだから助け会えたからです。
 今日は私の身近な友達が震災を経験してこのようなことを体験したというのを色んな人に知ってほしくて書きました。私達ともっと身近な人との繋がりを大切にしなければならないと感じました。
★ワーク十三日目★(3/19)
 今日は近所の方たちと拠点でお茶っこをしました。午前中はその準備。拠点の掃除したり、看板作ったり。お茶っこするとは方言で「一緒にお茶を飲みましょう」という意味で、みんなでお茶でも飲みながらコミュニケーションを取ろうというものです。今まで配ってきたビラを見て近所の方達が何人か集まってくれました。
今日は地元の小学校が休みだったみたいで子供たちも参加して、気付いたら大人より子供たちのほうが多いという状況でした。夏休みにあった子も何人かいて感動の再会をするができました!!当然やんちゃ坊主もいまして、子供たちは別で遊ぼうという事になり外で遊んでました♪「何して遊ぼうか?」「3DS!」もっと外で遊べよー(笑)。結局男子は小学校中学年から幼稚園までだったのでおもいっきり遊べる鬼ごっこしたり、女の子はおえかき書いてたりしました♪(*´ω`*)鬼ごっこは拠点のまわりでしたため車通少なく安全でしたが、空き地には木の破片や小石が転がっていたため注意しました。また小学校中学年から幼稚園までいたので範囲を狭くしてなるべく体力差がでないようにしました。みんな疲れて帰って女の子の様子を見てみるとダジャレを書いた紙と大量のトマトと書いた紙を渡されました(笑)。その後は男女みんな揃って「大なわとび」をしました。女の子がふと空き地に咲いている花を見て「もうすぐ春だね♪」と言って来てくれてなんかとてもほっこりしました。おんぶをせがまれて男の子を背負ってなわとびしてます。その後は幼稚園の子もいたので一人一人家まで見送って最後までみんな怪我することなくとても楽しむことができました。近所の大人の方にとっても普段子供と接することはないので良い「世代間交流」にもなったのではないでしょうか?
 明日もがんばっぺ♪(*´ω`*)
★ワーク十四日目★(3/20)
 今日は土曜日に公民館で行われるコンサートのチラシを配る予定でしたが、石巻は大雨でしてチラシを配る事ができませんでした。なので今日はチラシの手直しと作成して、午後に昨日のお茶っこで使った座布団を返しに仮設住宅に行きました。
 その後近所の方に「駅まで送って行ってほしい」と依頼があり、その方をスタッフと一緒に送りにいきました。途中何気ない会話でも自然と震災の話になり、当時は一階まで津波が来て二階に避難し水が引くまでの三日間は何も食べ物がなかった事や、それで仕事も失い、今度行政の方針で道路拡張のために家を立ち退きになる、せっかく助かったのに…という話をしてくださって、改めてそうした人の傷を癒す難しさを感じました…。
 テレビでは写りませんが、普段笑顔でもこのような悩みを持った方はたくさんいます。でも今日も貴重な出会いをする事ができました。ビラ配りのおかげで地域の方とも段々馴染めて来て日頃「トマト」と書いた名札も着けているのでその名前で覚えてくれたり。明日からも出会いを大切にしてワークしていきます。
★ワーク十五日目★(3/21)
 今日はビラ配り最終日です。近所を一件一件まわってなるべく手渡しで配っています。近所の方のほとんどは活動に理解して下さり、応援の言葉をかけて下さります。それがすごく励みにもなるのですが、住民の方全員がボランティアに好意的な訳ではありません。訪問し復興ボランティアだと名乗るだけで追い返される事もあります。それはあまり世間に知られていないこんな事があったからです。 震災当時、瓦礫処理のボランティアを名乗って物を盗む泥棒や、ボランティアと言いながら高額なお金を請求する詐欺がいたそうです。そんな事があり今でもボランティアという言葉に拒否反応があるそうです。ですから今お世話になっているボランティアセンター「エマオ石巻」も最初は活動に苦労したと言います。それでも地道な活動を続けて信頼を掴み「口コミ」と言う形で地域の方に広まりました。 今日まわった方の中でとある料理屋さんを訪ねたのですが、この方も行政から立ち退きを迫られ7月に移転せざるをえないという悩みを聞きました。せっかく改築してやっと近隣の方が戻って来はじめたのにと言う話でした。今日知ったのですが、堤防や地盤高をあげるための土をトラックで運ぶために道を大きく広げるための立ち退きだそうで地域に戻ってきた方にとっては新たな問題となっています。そして今度立ち退きするために店の荷物を運ぶので手伝ってほしいと言われました。依頼を受ければ喜んで受けますが 地域に寄り添う活動をしてきた私達ボランティアにとって帰ってきてくれた地域の方の立ち退きのお手伝いをすることになるとは…辛いものがあります。ここは現在も震災の影響でまだ町内会がないので誰も行政に意見を言えません。今日はメディアに乗らない現実を知ることができました。 ビラ配り今日までで合計500件配るのが目標でしたが650件まわることができたくさんの方と出会えました。明日は復興支援コンサートのスタッフします。
★ワーク十六日目★(3/22)
 今日はソプラノ歌手 松井智恵とLa萠Mie(ラ・モエミ)さんをお招きして復興支援コンサートを開催しました。私はそのスタッフをさせていただきました。簡単に紹介しますと、フランス誌で「妖精の歌声」と絶賛され、日本国内やフランスを中心にヨーロッパでも活躍している松井 智惠が主宰する女声アンサンブルです。コンサートは小竹浜仮設住宅の集会所と拠点から近い上大二会館の二ヶ所で行いました。 まずは小竹浜仮設住宅の集会所でコンサートでした。仮設住宅や近所の方々が集まってくれました。お客さんは主にご高齢の方が多くそれに会わせた選曲をして下さりとてもお客さんも喜んで下さいました! 私は裏でみなさんに配るおいなりさんを作っていてコンサート自体はあまり見ることができませんでしたが、お客さん参加型のコーナーで保育園のときよくやった「とうりゃんせ」をしていて自分も懐かしみました。他にも、あまちゃんやふるさとなど披露してくださりとても良いコンサートでした。その後はみんなでお茶っこして地元の方々と交流することができました♪(*´ω`*) 午後は上大二会館に移動してコンサートしました♪ビラ配りの効果もあって多く集まって下さり自分もコンサートを楽しむ事ができました。 この時は幼児の方もいらっしゃって少し子供向けのプログラムをしたりして子供から大人までみんな楽しめました♪最後に復興支援ソングの「花は咲く」を歌って下さって、その時はお客さんやLa萠Mieさんも泣いていました。私は震災は体験していませんが、今まで出会った農家の方や、わかめ漁師の方、復興セレモニーの方や、近所の子供さん、地元の方々や、エマオスタッフ、一緒に活動したワーカーさんとの思い出が頭をめぐって号泣してしまいました。自分は被災者の方と心の本当の共有はできませんが、この時は一緒の時を過ごせてとてもとても優しい時間でした。ここでもお茶っこをして最後にLa萠Mieさんと記念写真を撮りました。 東北の被災者支援ボランティアももう少しです。明日もワークで朝石巻に戻ります。
★ワーク十七日目★(3/23)
 今日は朝から高速バスにて石巻に移動しました。今日の予定は仮設住宅にてお茶っこです。午前中はその準備してました、そして午後からお茶っこしましたが、今日はお彼岸だったという事でなかなか集まって頂けませんでした。
 ここの仮設も引っ越しの期限が迫っており問題をかかえていました。なので、今回は被災された方の家に直接訪問することにしました。最初の家はお婆ちゃんとお孫さんがでてきてくださりとても仲良くなれました。二件目はお婆ちゃんがでてきてお孫さんが私と同い年でしかもラグビー部に所属していたという共通点もあって親しくなれました。どちらもボランティア活動させてもらってからの繋がりなので、本当に繋がりの素晴らしさを実感しました。
 繋がりといえば、最近ワーカーさんに外国人の方が目立ちはじめました。カンボジアから留学しに来たついでに、と言うかた、スペインから支援しに来たという方、国籍も状況もバラバラですが、この多国籍間の交流もボランティアの繋がりの醍醐味だと思いました。
 夜は少し早めにスタッフの方が私の送別会を開いて下さり、焼肉でした。いよいよあと二日、ラストは教育支援です。
★ワーク十八日目★(3/24)
 今日は「いしのまきっ子広場」です。いしのまきっ子広場とは、地域の普段遊ぶ場所がない子におもいっきり遊べる場所を提供する教育支援です。夏休みの時にもこの活動をさせて頂いてせっかく仲良くなったのにすぐ高知に帰ってしまい少し後悔もありました。
 今日は近所の公民館 借りて1日やる予定でしたが、今日は小学校は終業式で午前中は来ることなく、その間に部屋の装飾やプログラムについてスタッフ、ワーカーで念入りな打ち合わせをしました。少ししか来ない予定でしたが、10人以上の子供たちが遊びに来てくれました。夏休みあった子もたくさんいてみんな私の事を覚えていてくれて本当に嬉しかった。その子たちと一緒に汗を流したりきて今回七か月ぶりに再会できてよかったです。子供は小学校低学年がほとんどでカルタや折り紙で遊びました。今日は怪我人もでることなく全員家まで送り届けて無事成功しました。子供たちは皆震災を経験していて傷ついてしまった幼い命です。今回も寄り添う機会がえられてとても良かったです。
 明日がラストです。高速バスの予定もあるので午前中ワークして四国帰ります。それまで子供たちとたくさん関われたらと思います。
★ワーク最終日★(3/25)
 今日も教育支援でした。まず子供たちを迎えに行く予定でしたが、「トマトー!!」と言う声が聞こえて外を見ると逆に子供が拠点まで迎えに来てくれてました。すごく楽しい子達で勇者ごっこしている時も「お前は王子様だから俺に命令しろ!!」っていう命令する子供がいたり、自分で「私いじめっこだから」っていってやんちゃする子供がいたりジャイアンみたいな子や、甘えたな子もいます。そんな子供達と今日は「プチ運動会」をして、みんなで身体を動かしました。みんなでキャタピラを作ったり玉入れの玉を自分達で作ったりしました。自分は班付きではなく全体を見るスタッフをしていたし、午後のプログラムの事を考えると自分は目立たない方が良いと考えたのですが、最後なので全力ではっちゃけてしまいました…。
 お昼休みになり自分は松山に向かうためにバスに乗らなくちゃいけない時間になり、午前中で私は撤収しました。今回は夏休みとは違って泣いてません。また会えると信じてるので。みんな素直で素敵な子供達です。震災によって傷ついた幼い命に寄り添うための活動でしたが、命令する子に「お前は親友だからな!!」と言ってくれたし、子供達とも「また遊ぼ」とお互い言える仲になれたので反省点はたくさんあるけどその目的はほんの少し達成できたのかなと思ってます。
 
ワーク報告は以上です。瓦礫処理も終わり、もうボランティアは必要ないと言ってる人もいますがこれを読んで今のボランティアの活動とかその必要性とか個人的主観ですが少しでも伝われば幸いです。コメントくれた方々読んでくださった方々ありがとうございました。しんどいことも乗り越える事ができました。この3月バイトしても、遊んでもよかったのですが、私はこの復興ボランティアという道を選んで間違いはなかったです。この四週間百人以上の方と繋がれて何倍も成長できました。感じた事とかはまた後日落ち着いてから書きます。派遣してくださってありがとうございました。

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
emaoshikoku@gmail.com