「エマオへの道・四国」ボランティア派遣報告

報告:信太聖吾(坂出教会牧師)
      
〈はじめに〉
 
3月11日に発生した東日本大震災以降、わたくしども坂出教会はある祈りを祈り続けてきました。それは、「被災された方々が、肉においても、魂においても平安を得ることが出来ますように。」ということでありました。同時に「わたくしどもの教会から牧師を派遣することが出来ますように。」という祈りも続けられました。平安を告げ知らせる主の御言葉を語る働きへと召し出してくださいという祈りです。
 2012年2月、わたくしどもの祈りは聞き届けられました。エマオへの道・四国の代表である篠浦千史先生より「ボランティアに参加しませんか。」というお声掛けを頂き、2月6日(月)から10日(金)までの間ボランティアに参加することとなったからです。わたくしどもはこのことを心から喜び、感謝をもって牧師を派遣することにいたしました。
   
〈ボランティアに参加するにあたって〉
 「エマオへの道・四国」とは何かということについて、より確かな理解を得るための丁寧な解説があっても良かったかと思います。これが教区の組織ではなく有志の組織であることへの驚きがありました。どのようなプロセスで発足するに至ったかの経緯についてより具体的な解説を求める声や、なぜ教区がこれを組織出来なかったのかについてもより具体的に知りたいという声がありました。ですので、派遣要請は、教会宛てに文章でなされた方が良いように思いました。ボランティアへの派遣は、個人の事柄ではなく教会的な業であることの筋立てには以上のようなことが必要であろうと思います。
 ボランティアに参加するためには、教会の承認と日程の調整が必要になります。わたくしどもの教会では、まず臨時役員会を開き、「エマオへの道・四国」とは何かについて解説し、日程の調整をいたしました。その後、信徒向けに「牧師をボランティアに派遣することについての説明会」を開催いたしました。祈りが聞き届けられたことを覚え、喜びをもって備えることが出来ました。
   
〈被災地にて〉
 日本基督教団の四国教区内にある有志の組織ではあるが「エマオへの道・四国」という組織から「東北教区被災地支援センター」へと派遣されたのは、伝道や牧会のためではなく「一ボランティア」としてということが言われている。被災された方々に接する際は、そういう働きをなさらないようにというお達しもあった。エマオへボランティアを求める方々は、ここがキリスト教関係の組織であることを知っておられるので、その方々がキリスト者であろうとなかろうと、その方々はキリスト者としてわたくしたちを見ているということであった。また、ボランティアに参加している学生たちも、必ずしもキリスト者ではなく、ただボランティア活動のために来ている者たちがいることも告げられていた。
 けれども、朝夕のミーティングの際には、祈りが献げられていました。つまり、間違いなく、この活動は祈りによって支えられているし、祈りによってなされている活動であるということです。ですから、ボランティアに参加する方々は、そこで祈る祈りについても十分に配慮なさったら良いと思いました。他のボランティアの方々と出来る限り互いを知り合い、対話をすることが大切です。被災地の方々に福音伝道は出来なくとも、ボランティアに参加している方々に信仰の証しをすることは出来るでしょう!
   


ボランティア日記
2月6日() 坂出(くもり)→仙台(くもり)→石巻(雨)
6:59 坂出駅からマリンライナーで岡山へ
7:56 岡山駅から新幹線で東京へ
11:40 東京駅から新幹線で仙台へ
13:33 仙台駅着→徒歩で「東北教区センターエマオ」へ
14:00 ボランティアの説明(資料)
ボランティア保険(670円)、(宮城県自治会館、徒歩10分、)
スタッフと、放射能汚染や瓦礫撤去、生活全般などについてお話しした
16:30 エマオスタッフミーティング参加
17:25 仙台駅前バス停(33番)より石巻駅へ
19:00 石巻駅前下車、エマオ石巻のスタッフのお迎えを待つ
19:25 エマオ石巻へ
19:40 エマオ石巻着、スタッフ、ボランティアの方々と挨拶
20:00 夕食(エマオにて、豆とパスタのトマト煮)
24:00 就寝
〈感 想〉
 四国から東北への6時間半の長距離移動。仙台駅に降り立った時には、四国との気温の差を感じながら、数日間この寒い中でワークをするのかと思いを巡らせていました。ワークの内容についてはこの時点では何も知らされていないので多少の不安がありました。
 「東北教区被災地支援センター」にて、スタッフの方々と震災以来のことについてあれこれとお話しをお伺いをしました。特に放射能汚染やそれに伴う風評被害についてお聞きしましたところ、福島以北では放射能汚染については意外と楽観的であるけれども、風評被害については、放射能汚染に関する様々な情報が飛び交っていることは仕方がないとしながらも、「『福島』あるいは『被災地』差別」が生じるような状況は耐え難いということでありました。「人」を死に追いやるのは、確かに「地震」や「津波」や「放射能」もそうだけれども、何よりも恐ろしいのは「人」そのものなのだと感じました。けれども、同時に、助け手となり、支えられるのもまた「人」なのだから、被災地に留まらざるを得ない方々の心に思いを寄せて、助け手となる者でありたいと強く思いました。
 


2月7日() 石巻(雨のち晴れ)
6:30 起床
6:45 朝食(トースト、紅茶)
8:20 スタッフミーティング
9:00 石巻市内視察(ボランティア6名+スタッフ2名)
日和山公園→市内→サンファンパーク→女川地区
11:30 昼食「プロショップまるか」(さしみ定食、うに、かにみそなど)
12:30 エマオ石巻施設内にてワーク「ふすま張り3名」、「食器洗い5名」
14:50 休憩 → 15:15 作業再開
16:25 終了、スタッフミーティング
17:00 シェアリング ※ボランティアで感じた事や考えたことを分かち合う時
19:00 夕食(カレー、サラダ)
20:00 風呂屋へ行く(エマオの車借、6名)、その後、コインランドリー
22:30 エマオ石巻帰
23:00 就寝
〈感 想〉
 ワーク初日。朝のミーティングの時に当日のワークの説明がありました。この日は、午前中のワークはなく、石巻市内を視察することになりました。視察に出掛けて見た景色は想像以上に衝撃的でした。震災後間もなく1年が経とうとしているにも関わらず全ての瓦礫が撤去されたわけではなく、未だに解体作業中の民家があったり、解体を待つ建物があちこちに点在していたからです。率直な感想は、復興などというのはまだまだこれから先の話で、まだ復興のスタートラインにも立てていない。今は復興のスタートラインに立つまでの準備期間だということでした。
 被災地ならではのジレンマもあるようで、国の失業者に対する補償が十分以上であるために、わざわざ就職せずに、補償金をもらえるギリギリまで失業者でいた方が収入が多くなるという状況があるそうで、パチンコ店が繁盛しているのはその為だということをお聞きしました。仕事を請け負って働いているのはほとんどが県外から来た方々だそうで、地元の方々は、そもそも仕事をするための道具が流されてしまっていて、どうしようもないという状況もあるようでした。
 ワークは、午後から「ふすま張り」をしました。古いものをはがす作業もさることながら、新しいものをピンと張りつけるのにてこずりました。屋内でのワークでしたので、寒さを感じることもなく、むしろ、これでボランティア活動になっているのだろうかと思ってしまうほど、想像していたよりも快適な一日でした。同時期にボランティアに参加していた大学生とも打ち解けて楽しい一日となりました。
   


2月8日() 石巻(晴れ)
7:00 起床
7:50 朝食(カレー、トースト)
8:20 スタッフミーティング
1.パン屋の店舗片付け、午後から住宅ペンキ塗り→4名
2.民家の解体の準備(個人宅)→1名
3.民家の荷物の整理(個人宅)→1名
8:50 出発
9:30 パン屋(萬楽堂)にてワーク
10:30 休憩 → 10:50 再開
11:40 昼食「プロショップまるか」(水曜日限定:ボランティア定食※無料!)
12:40 ペンキ塗りワークへ出発
13:00 ワーク開始
14:00 休憩 → 14:15 再開
15:00 ワーク終了 → エマオ石巻帰
15:20 エマオの車の洗車、周辺の清掃
16:00 スタッフミーティング
17:00 シェアリング
19:00 夕食(豚肉丼、鳥肉スープ、サラダ)
21:00 エマオのお風呂に入る
23:00 就寝
〈感 想〉
 ワーク2日目。午前中は市内の「萬楽堂」というパン屋さんの店舗の片付けと移動をした。店内には浸水の後が見られ、まだ片付けられておらず、めちゃくちゃになっていた。当時ヘドロで一杯であったであろうことも見受けられた。商店街の他の場所に仮店舗を構えるということで、必要な物をそちらに移動し、必要ない物を倉庫へ運んだ。今思えば、被災された方と直接お話しをしたのはこの時だけであった。
 午後は、商店街から移動し、民家のペンキ塗りをした。サビ付いた壁のペンキ塗り…。日は出ているが寒い…。ただひたすら、黙々とペンキを塗り続けた。それほど長い時間のワークではなかったものの、やはり東北。体の芯まで冷えました。
  


2月9日() 石巻(晴れ)
7:00 起床
7:35 朝食
8:20 スタッフミーティング
1.ふすま張り
2.ペンキ塗り
8:40 ペンキ塗り
10:30 休憩 → 11:00 再開
12:00 昼食 イオン石巻(ファミリーレストラン)
13:10 ワーク再開
14:30 休憩
15:00 終了 → 15:30 エマオ石巻帰
16:20 スタッフミーティング
17:00 シェアリング
19:00 スタッフミーティング
20:00 お風呂
23:00 就寝
〈感 想〉
 ワーク3日目。今日は、一日ペンキ塗り。前日同様、日は出ているがなにしろ寒い。仲良くなった学生ボランティアとテンションを上げながらペンキを塗り続ける。その家の男の子が楽しげな雰囲気に誘われてか、家の中から時おり顔を出して笑顔を見せてくれた。その笑顔が何よりも、わたくしたちの心を温かくしてくれた。
 前日までは壁のペンキ塗りをしていたが、屋根に取りかかることになった。屋根の上は一層寒い…。寒風に吹きさらされて大変であった。屋根の上では口も開けられず、黙々とペンキを塗った。
 この日、印象に残ったのは、男の子の顔だけではなかった。ワークに行く際に乗っている車をご厚意で置かせてくださっている家の老夫婦が、ワークを終えて帰るわたくしたちを家の中からじぃーっと眺めておられた。「また明日も来てね」か「今日はもう帰ってしまうのね」か、なにやら寂しげな表情に見えた。そのお宅の一角だけが奇跡的に被害が少なかったようだが、周りからは家がなくなり、人がいなくなってしまった今となっては、ボランティアで来るわたくしたちのような存在が、そこにいるということも含めて求められているように感じた。
   


2月10日() 石巻(曇り)
7:00 起床
7:45 朝食(トースト、シリアル、サラダ)
8:20 スタッフミーティング
1.ふすま張り、納品
2.ペンキ塗り
8:30 ふすま張り
11:00 ふすまの納品
12:00 昼食「プロショップまるか」(ラーメン)
13:00 ペンキ塗り
14:30 休憩 → 14:45 再開
15:15 ワーク終了 → エマオ石巻帰
16:10 スタッフミーティング
16:50 イオン石巻からバスで仙台へ
19:00 仙台駅前にて解散
〈感 想〉
 ボランティア最終日。朝ふすまの張り替えをしたが、初日の手際で素早く終了。その後、ペンキ塗りへ移動。最終日も屋根のペンキ塗り。寒い…。
 昨日は、手際が分からず少し時間がかかったが、今日はばっちり!今日中に2棟の屋根を塗り終え、合計3棟の屋根を塗り終えることを目標にして作業開始。寒い中、皆でワイワイ楽しくペンキ塗りを進めて行く。終了時間内に目標の2棟を塗り終え、遣り遂げた感を味わいながらエマオ石巻へと帰った。
 最終日ということもあり、それぞれ胸にある思いが溢れ出て来るように、ミーティングでは感謝と喜びが語られた。
 帰りのバスの中でもおしゃべりをしながらワイワイ仙台へ向かったが、しばらくすると皆疲れが出たのか、ぐっすり眠っていた。わたくしは、暗くなっていく仙台への道を眺めながら、改めてとんでもない災害がこの地を襲ったのだなぁという思いをかみしめました。一緒にワークをした学生のみなさん、エマオスタッフの方々、送り出してくださった全ての方々に、心からの感謝が湧きあがっていました。
   


〈総 括〉
 ボランティアに行く前に、ある先生から「先生、行かなきゃわからないです。あそこには行くべきです。」そう聞いていました。行ってみてわたくしも同じ思いを抱きました。そう、行かなきゃわかりません!そして、行くべきです!今からでも遅くはありません。見て欲しい。感じて欲しい。そういう思いが強く大きくなりました。

 わたしに何が出来るかということを問うことは大切なことです。けれども、おそらく、何が出来るかという問いの答えは「行く」ということであろうと思います。ボランティアでなくともいいのです。ただ行くだけで十分にその経験に価値があります。けれども、行くなら経験もしたらよいと思います。そのためのボランティアでも良いのではないでしょうか。何も分からずに主イエスの招きに従った弟子たちのように、何が出来るか、何があるのかを考えなくとも、従ったその先に備えられている恵みがあるのです。

 地震というのは地殻活動によって引き起こされるものですから、「地震」についてあるいは「津波」について、神さまに向かって「なぜ?」と問うのは今でもナンセンスだと思っています。また、原子力発電所の事故についても「なぜ?」とばかり問うのは控えた方がよいと思います。わたくしは「死」についてさえも「なぜ?」と問うことはしないでおこうと思いました。

 「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業です」ヨハネ6章29節
 わたくしたちがここでもなお見るべき神さまの御業、あるいは問うべき神さまの御業は、これらの出来事を引き起こされた神さまが、この世に救い主として御子イエス・キリストをお遣わし下さったことを信じることにあるからです。

 しかし、わたくしたちの心の内には「なぜ?」があります。その「なぜ?」は痛みに満ちたあの場所に立って、神さまの御心に聞くことでこそわかることがあると思います。そこでわかるのは決して問いの答えではありませんけれども。本当に問うべき「なぜ?」であるように思います。それは、主イエス・キリストが世に遣わされたことの意味です。わたくしたちが神さまに愛されていることの意味です。わたくしたちが主イエス・キリストによって救われたことの意味です。これらを受け取って生きる意味です。

 ボランティアに行って、歩いた場所、見た場所、どこもかしこも、誰かが津波に飲まれて、あるいは瓦礫の下敷きになって命を落とした場所かもしれない。否が応でも死の闇が満ちている。そのような陰府を思わせる場所に立って、その死の闇から復活なさった命なる方のことを思わないわけにはいかないのです。その場所に「行く」ことの意味はそういうところにもあるように思いました。

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
emaoshikoku@gmail.com