第五次 震災ボランティアの報告

 
清水香菜
松山東雲短期大学 生活科学科 食物栄養専攻 2

(現在は、南予地区の老人ホームに栄養士として勤務)
    
 私は、45日の被災地へのボランティアに行きました。なぜ、ボランティアに参加しようと思ったかは、やはり、まず第一に、同じ日本の中で起こっている現実に目を背けず、復興のために日々頑張っている人達の力に少しでもなれたらいいなと思ったからです。そして第二に、しっかり自分の目で見て耳で聞いて肌で感じたかったからです。

  ワークは、まず自転車で50分くらい移動しました。そして2日間佐藤さんのお宅の畑の土を手作業で掘り返して、異物を取り除くという作業でした。私は与えられた仕事を精一杯しました。津波の影響で海水を含んでしまっていた土は、ヘドロの様にとても重くなっていました。そんな畑には虫たちもいませんでした。この作業はとても地味な作業だと初めは思っていましたが、1日目と2日目とではたくさんの変化が見られ、土の中から爪切りや布切れやお皿がでてきたけど、幼虫を見つけた時、"あ!虫たちが帰ってこれるほど復旧したんだ!やってよかった!"と思いました。とても感動しました。

  2日目はワークの昼休みの時間に、荒浜という、津波の被害がとても酷かったところに行きました。言葉がでませんでした。なんとも言えない風景で、自然と涙が溢れ出しました。いまの海はとても静かで、津波がきたとは思えなかったです。

  3日目は仮設住宅に行き、被災者の方とたくさんお話をしました。みんな明るく元気に過ごしていました。逆に被災者の方々から元気をもらいました。そして「お弁当ワーク」というものにも参加しました。自分達で献立を考えて、被災者のお家に持って行って、一緒にお話しながら食べる、という内容でした。私は短大で食物栄養専攻だったこともあり、献立を考えることになり料理しました。一人暮らしのお宅におじゃまして、たくさん話して笑って体験談などを聞いて胸が熱くなり涙がでました。見るだけでなく、実際に被災された方から話を聞くのは、ぜんぜんちがいました。そしてなにより、いままでボランティアの人達がお弁当を持って行っても一口も食べてもらえなかったと聞いていた方が、食べてもらえないかなーっと思っていましたのに、食べてくれました。びっくりしました。なんか胸が熱くなりました。「お弁当ワーク」に参加できて、普通のワークでは得られないこともたくさん得ることができました。

  私は被災から1年が経ってボランティアに参加しましたが、1年が経ったいまでも、まだまだ復旧の色は見られませんでした。苦労している人はまだまだたくさんいました。ワークをしたのは3日間という短い間でしたが、いま自分にできることを精一杯することができました。

"ありがとう"の言葉が行き交う被災地。私は"ありがとう"の大切さ、重みを感じられることのできた5日間でした。宮城県はとても温かく、私の"第三の家"のように思え、また変わってゆく宮城県を見に行きたいと思います。人間的にもたくさん成長することができ、とてもよい経験になったと思います。

「エマオへの道・四国」
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