「エマオへの道・四国」第6次ボランティア派遣報告

報告:宇賀 充(三島真光教会牧師)
      
 一日を終えての感想を書き出してみました。
   
5月28日(月)
一時過ぎにエマオ着。野菜チャンプルーを頂く。大越さんに久しぶりの再会。仙台JOCSの荒井ななえさんに挨拶。教区議長の高橋和人氏、片岡謁也氏にも再会。四国から来てくれたと歓迎の言葉を貰う。29日30日と東北教区総会が隣の教会であるので、裏口の掃除(泥出し)を行う。宿泊は隣のマンションの105号室(マルゴの部屋)。徳田氏、西川氏、鳥井氏、私の4人
   
5月29日(火)
6時起床。朝食。朝のミーチングの後エマオ12号で出発(電動自転車に初乗り!)「エマオ笹屋敷」集合。伊藤さんという一人暮らしのお婆さんさん宅の庭の草取りを朝5人昼3人でする。「民生委員の伊藤です 」と訪問者がいたが、作業に熱中し「エマオから来たボランテイア」と名乗れなかった。タイミングが大事と反省する。被災者とのコミュニケーションの難しさを痛感する。草取りは黙々と気持ちよく出来た。綺麗になった庭に塩害で枯れた松等の木が印象的だった。住人にとり枯れても大切な木なのだろう。住人にはお会いできなかったが、エマオの仲間が信頼されていることを実感した。
 
5月30日(水)
5時30分起床。朝食はミルク。自動車で仮設のラジオ体操とお茶この輪に加わる。運転手は笠原けんた氏。通いボランチアのカコ氏も一緒。気づくのが遅れたがジェフリー氏のパートナー。愛媛から来たと言うと、とたんにローカルな話となり、楽しかった。ワークは朝庄子氏の畑の草取り。会話を楽し みながら作業した。昼も場所は本宅わきのハウスの骨だけが残った畑の草取り。
 
5月31日(木)
5時起床。センター開館が遅れ、朝食を流し込み、仮設に寄るもラジオ体操は終わってお茶をしていた。自分たちでラジオ体操をし、皆の輪の中に入る。大学さんはじめ皆の素敵な顔に元気を貰う。庄司宣充氏に「四国から来ました。翼氏と同じ愛媛県にいます」と挨拶。ワークは中林さん宅に朝4人昼3人。朝は庭石を除去し、駐車場横に移した。主に一輪車での運び役。老ワーカーを気遣ってくれるのが有り難い。昼食は中林さん宅で冷やし中華を頂く。4ヶ月の「るか」ちゃんが可愛い。午後は塩害で枯れた植木を抜き取り、菊を植えた。
 
6月1日(金)
6時30分起床。ワークは前日と同じく中林さん宅 の庭園の整備を午前中にする。午後は畑の改良(石、プラスチック等の除去)。ハウス内に朝顔の蔓が伸びていた。「種を播いたつもりは無い」とのこと。津波によって種が運ばれてきたようだ。
 
 
 以上時系列でメモを記してみたが、ボランテイアは圧倒的に大学生が多かった。桜美林大学と桃山学院大学、高知工科大学4年生も。スタッフも広島大学を休学したりして来ていた。「エマオ」のワークは「スローワークと祈り」を大切にしていることを教えられた。片道十数㎞の自転車行軍と聞いていたので、病院訪問を自転車で行ってみたりして訓練(?)したが、気負う必要は無かった。神様は60代の人間にはそれなりの働きを与えてくださっていると、なによりもワーカー、スタッフ、被災地の人たちと の出会い。それらはマスコミでは伝わらないミニコミとして一人一人の心に植え付けられ、育ってゆくと感じた。
 
 私は中越地震の時は土佐の山奥から長靴を履いてボラに出かけ、十日町教会に宿泊した。全国の教会学校、教会からの励ましの便りが張り出されていたのを覚えているが、エマオのセンターでもいくつかあり、その中に四国教区青年集会での寄せ書きがあった。四国からのメッセージに励まされて今、遣わされていると感謝した次第です。
 
 まだまだ、復興は時間がかかるだろう。まだ歩道の浮いたブロックもそのままで、自転車の籠に入れた弁当がひっくり返って悲惨な状態になったり、集団移転予定地の造成風景を見たり、仙台東道路が防波堤の役目をしたり、瓦礫処理のプラントからの 絶えることない煙突の煙(四国中央にいるものは製紙会社の煙突の煙に慣れているが)を見ながら、その光景が地域限定でなく日本の3分の1の広がりであることを覚えるとき、絶望的になるが、もう一度聖書の言葉に立って歩ませて頂きたいと願った。詩編119編「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました」

「エマオへの道・四国」
〒791-8031 松山市北斎院町58-3 日本キリスト教団さや教会内
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