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初めてその瞳に出会ったとき、その瞬間に恋に落ちた――。
あれは、まだ6歳の頃だったと思う。
その日、父に手を引かれて、初めて足を踏み込んだ。
その場所は、ガリル王国歴代の王たちが眠る霊廟だった。
異様な冷気が漂う霊廟の、最も奥にそれはあった。
壁に描かれた1枚の絵――。その絵は、千年以上の時を越え今も朽ちることなく、その場所を飾っていた。
描かれていたのは、2人の人物の姿だった。
ガリル王国建国王である、サイガ=イ=コウ王と、その隣で微笑む人。
ガリル王国人ではない、白金の長い髪、陶器のような白い肌。そして――、
その時、初めて、その瞳を見た。
ほんの少し翠がかった灰色のその瞳は、儚げな笑みを浮かべていた。
描いた画家は、余程気が利かぬ人物だったのだろうか。
いや、類稀な才能の持ち主だったと言えるのかも知れない。
それでも、たかが絵に、ここまで憂いを映し出さなくてもいいのではないか。
微笑むその瞳からは、何とも言えぬ憂いが伝わってきた。
何とか出来るものなら何とかしたい、そう思わずにはいられなかった。
「父上。このお方は……?」
「ハク=リ=スイ様という。我が国の建国を影で支えたお方であり、生涯コウ王に愛され、コウ王を愛したお方だ。どうした? トウ」
見上げてそう尋ねると、父はそう説明を加えてくれた。
「私は、この方の笑顔を見たいと思います」
そう答えると、大きな父の手が頭を撫でてきた。
「わしもそう思った。だが、彼が待つ人物はわしではなかった。そうして残念だが、トウ、お前でもないようだな」
父の謎の言葉は、その直後に明らかにされた。
コウ王の遺体が安置された柩の隣、父の手によって開かれた柩の中に、スイはいた。遺体ではなかった。透けるような白さを持つ肌ではあったが、確かな生気を宿していた。
「コウ王が亡くなった時、彼は永い眠りに就いた。コウ王が転生なさる時、再び目を覚ますと言い残してな。お前もわしも、残念ながら、彼の目を覚ますことは出来なかった。だが、我らには来るその日まで彼を守っていく義務がある。よいな、トウ」
そう言って父は柩を閉じた。
柩の中、その瞳は固く閉ざされていた。
その瞳を微笑ませることが出来ない自分が、悔しかった――。
その想いは、20年経った今でも色褪せることはなかった。
だから、大きな灰色の瞳が、本当に楽しそうに笑うのを見たとき、心が躍った。
その瞳の持ち主は、フリードリヒ=ラス=キシュバルト。ラストア王国の第2王子であった。
手に入れたい。傍で笑っていてほしい。そう思った。
だから、求婚した。驚いたことに、フリードリヒはその申し出を受けてくれた。嬉しかった。
だが、大国の王子同士が婚姻するというのは、そう簡単に話が進むものでもなかった。ましてや我がガリル王国とは異なり、ラストア王国では同性同士の婚姻は認められていない。互いに身動きが取れないまま、時が流れた。そして状況は大きく変化した。今、世界は闇に覆われている。
ただ、私はその魔力で、夢を紡ぐことが出来た。そして幸いなことに、フリードリヒは『夢見』の血を継ぐ者だった。
『そなたは、本当によく笑う』
夢の中での短い逢瀬。
フリードリヒの灰色の大きなその瞳は、今日も楽しそうに笑っていた。
その腕を引き寄せて、口付ける。笑みを浮かべたままのその瞳が近付いてくる。
その瞬間が、堪らなく愛しい。
初めてフリードリヒを見たとき、奇跡だとさえ思った。
願い続けていた、その瞳が楽しげに笑うのを見て、全身が歓喜に震えた。
大切にしたい。
いつまでも、笑っていてほしい。
心から、そう願う。
でも――。
『無理をすることはない』
そう告げると、腕の中のフリードリヒは不思議そうに首を傾げた。
『何故? 無理しているように見える?』
曇りのない笑顔がそう答えてくる。初めて見たあの日から変わらない笑顔だ。
『……だが、』
この数年で、現実は大きく変わった。
夢の中のこの世界がどんなに美しかろうとも、現実の世界には闇の傷跡が拡がっている。
時を重ねる僅かな時間。フリードリヒの笑顔が見たくて、つい美しい夢を紡いでしまう。それが、現実とはかけ離れていると判っていても――。
会えない現実の世界で、フリードリヒはどんな表情をしているのだろうか――。
世界に暗黒が降り注いだ。闇の住人たちが世界中に出没した。ガリル王国内も少なからず痛手を被った。しかしそれでも、直接攻撃を受けたラストア王国が受けた被害とは比べものにならないだろう。ラストアは王都に侵攻された。動かせるだけの兵を連れて何とか援軍に駆けつけた時、既に王都は陥落した後だった。
フリードリヒが命を取り留めたのは、奇跡といっても良いだろう。
かの戦いで、フリードリヒの父であるラストア国王ヴィルヘルム王も、皇太子であった兄王子も命を落としている。騎士隊長も、その長男であるラインハルトとかいうフリードリヒ付きの護衛も命を落としたと伝え聞いている。
辛くないはずがない。
哀しくないはずがない。
『……何故笑える?』
そう問い掛けると、フリードリヒは大きなその瞳を見開いた。
『嬉しいからだよ?』
そう笑顔で答えてくる。
『でもね、正直に言っちゃうと、我が侭を言いたくなることもある。だから……』
ふと真顔になってそう言葉にして、そうしてフリードリヒはいつもの人懐こい笑顔を見せた。
『だから?』
『……秘密』
そう答える心の内を知りたくて、思わず手を伸ばした。
頬に触れる。金の髪を絡め取る。唇を奪う。
もっと、触れたい。
衣服を肌蹴、白い肌に直接触れる。
『ちょ、ちょっと……』
寝台に押し倒すと、フリードリヒが声を上げた。
『何だ、不服か?』
『んー、不服というわけでもないのだけれど』
『ならば、抱かせよ』
これまで何度か味わったことがあるその身体。それなのに、何度抱いてみても手に入れた気がしないのは、これが夢の中だからなのだろうか。肌に触れる度、何とも言えない焦燥感が突き上げてくる。
優しくしたい、そう願いながらも、気が付けばいつも追い立てるように身体を開かせていた。
『……んッ!』
愛撫にどれだけ息を乱してみても、貫く瞬間、フリードリヒは息を堪える。
一瞬だけ見せる苦痛の表情に、胸が痛む。
『……つらいか?』
『いつまでも、慣れなくて……』
申し訳ないとでも言うかのように、フリードリヒが笑みを浮かべる。
それでも、
『もう、大丈夫だよ……』
そう言って、いつもの笑顔で続きを促してくれた。
その言葉を合図に腰を動かした。フリードリヒの吐息が零れた。その吐息に甘い声が混じり始めて、ようやく安堵する。
互いに絶頂を迎えて、身体を震わせて――。
フリードリヒが笑顔を浮かべる。
その笑顔が遠く感じられて、無理を強いた身体に、もう一度手を伸ばした。
限界まで身体を繋げて、倒れ込むフリードリヒの姿に後悔したのは一度や二度ではない。それでも、手を伸ばさずにはいられなかった。
今日もきっと後悔する。
そう確信していた。
突き上げる衝動を抑えられそうにない――。
『今日はもう無理』
突然、フリードリヒの声にそう告げられた。
拒絶の言葉を聞くのは、初めてのことだった。
冗談めいた声でそう告げられたことは何度かあった。でも、本気の拒絶は初めてだった。
『……だって、死んでしまうよ?』
短くそう告げて、フリードリヒは瞳を伏せた。
3日ぶりの逢瀬である。
この2日、フリードリヒが眠っていないことは判っていた。
そうして、多忙を極めているその理由も知っていた。
1週間後には、戴冠式が執り行われる。そうして、フリードリヒは正式にラストア国王になる。
全く持って予定外だ。嫁に貰うどころの話ではない。
ますます会えなくなる。
寝息を立てるフリードリヒの身体に寝布を掛けてやる。
閉ざした瞳に口付けを落として、その寝顔を見つめた。
この夢の中なら、私だけのものにすることができる。
いっそ、このまま閉じ込めてしまおうか。ふとそんな考えが過る。
でもそれは許されないこと。
闇に覆われた現実世界で、フリードリヒは残された人々の希望の旗印になることを選んだ。
夢の中に閉じ込めた瞬間、きっとフリードリヒの笑顔は失われてしまうだろう。
それでも、思わずにはいられない。
会えない現実世界で、そなたはどんな表情をしている?
泣くことも出来ず、無理して笑っているのだろうか?
傍にいたい――。
かたん。
微かな物音に、現実世界へと呼び戻された。
ガリル王国では幸い王都まで戦火は及んでいないが、このご時世いつ何があっても不思議ではない。枕元の長剣を手に取り、警戒しながら窓辺へと足を向けた。
突然、窓が開かれる。
「届け物だ」
そう告げる声には聞き覚えがあった。
「エン? ……フリードリヒ!?」
人型へと姿を変えたエンが抱きかかえているのは、紛れもなくフリードリヒその人だった。
「日暮れまでには戻らなくてはならない。正午には迎えに来る」
短くそう告げて、エンはフリードリヒの身体を預けてきた。
「無理させるなよ」
そう言い捨てると、炎竜の姿に戻り、空へと飛び立っていく。
「……んっ」
腕の中で、フリードリヒが小さな声を上げた。
「エン、着いたの……?」
寝ぼけた声が問い掛けてくる。
「フリードリヒ」
名を呼ぶと、驚いたように灰色の瞳が見開かれた。その瞳がそのまま笑顔へと変化していく。
「トウ」
フリードリヒの声が、そう名前を呼んだ。
微笑むその瞳が、腕の中にある。
この幸せは何だ……?
私は今、どんな表情をしている……?
「我が侭を言っちゃいたくなってね……」
フリードリヒが説明を加えた。
「お陰で、この2日徹夜だよー」
笑う灰色の瞳の下には確かに隈が出来ていた。
「でもね、どうしても会いたくなった」
ほんの少し疲れた、でも楽しそうにフリードリヒは笑った。
この喜びを、誰に感謝すればいいのだろう。
どうにかなってしまいそうだ……。
「ええっと、眠い、んだけど?」
寝台に横たえると、笑顔のままフリードリヒはそう告げてきた。
「眠ることは許さん」
そう告げると、
「初めてだから、優しくしてね……?」
とぼけた声がそう答えてきた。
「いつも優しくしている」
少なくともそうしようと思っているのは、確かだ。
「ええーっ!?」
あからさまな驚きの声は、もしかすると非難しているのだろうか。
「……優しくしてやる」
決意を新たにそう告げると、フリードリヒがくすくす笑った。
口付けを落とす。
触れた場所から、フリードリヒの体温が伝わってくる。
腕の中にある、確かな存在――。
「何故笑えるかって、聞いたね?」
ほんの少し熱を帯びたフリードリヒの声が届く。
「あなたに会えて、嬉しいからだよ」
見上げると、大きな灰色の瞳が、微笑んでいた。
現実のそれは、夢で見続けてきた瞳と、少しも変わることはなかった。
初めてその瞳に出会ったとき、その瞬間に恋に落ちた――。
もう一度その瞳に出会ったとき、本当の恋を知った。
…おしまい。