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鉄格子のはまった窓から、月を見上げる。
美しい三日月。
「あと少しだ……」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、ロイは瞳を伏せた。窓から入ってくる冷たい風が、何処か蒼みがかって見えるロイの黒髪を靡かせる。その白い項にはいくつもの情事の跡が見えた。
あの忌まわしい日から夜毎辱めを受け、一体どのくらいの夜が過ぎていっただろうか。
「あと少し……」
もう一度小さな声で、ロイはそう呟いた。
次の新月には、運命の日が来る。
自分の生まれた日である。
先読みの血筋である母により、自分の本当に生まれた日は決して明かしてはならないと言われて育った。幼い頃はそれが意味することを理解できなかったが。母は自分を産み、実家から連れてきた乳母とともに丸一日それを隠しとおしたという。皆が知る誕生日は、真実の日の翌日である。母は夫である父にすらその秘密は明かさなかった。
もうすぐ、その日が来る。
「アルフ……」
愛しい名を口にしてみる。
幼い頃からずっと一緒に育った、1歳年下の従弟。
薄茶色の髪。意志の強い赤褐色の瞳。無邪気な笑顔。
閉ざした瞳の奥に、今は失われた遠い過去が蘇ってくる。
『愛している』と真剣な眼で告げられた日。
『俺がロイを守る』と少しはにかみながら、宣言された日。
真っ直ぐに感情をぶつけてくる愛しい存在から自分は逃げてばかりだった。
そして、あの日――。
肌に残る情事の跡を見出したときの、あの表情。
そのすべてから自分は逃げてきた。
そうして今また自分は、アルフを置いて去っていくつもりなのだ――。
どんな顔をするだろうか。
裏切られたことに、怒り、憎んでくれるだろうか。
それとも……。
ふと、階段を登る甲高いヒールの音に気付く。少しずつ大きくなるその音は部屋の前で止まった。
鍵の音が響き、重い扉が開かれる。
「お久しぶりね。ロイ」
プラチナブロンドの長い髪をかきあげながら、禍々しい美しさを纏った女性が姿を現した。
現国王である叔父ダンフィールの後妻であり、現王妃の座におさまっている女性、メディナ。
初めて叔父がこの寵妃を城に連れてきた日から、ロイは彼女の纏う空気が苦手で出来るだけ避け続けていた。あれから10年近く経とうというのに、目の前の美女は一向に年を取る気配がない。
「……何か御用ですか?」
感情のない声でそう告げ、ロイはメディナを見据えた。
ここに幽閉されてからというもの、かなり頻繁に訪ねてくる。
それはまるでロイが置かれている状況を楽しんでいるかのように見えた。
「可哀想に。またひどくされたようね……」
その言葉とは裏腹に嬉しそうな微笑を浮かべ、メディナはロイの首筋に残る紅い痣を細い指で辿った。
「ふふふ。お前の乱れる姿はさぞ美しいことでしょうね……。きれいな肌、吸い付くようだわ」
眼を細めて、さらに楽しそうに笑みを零す。
「どうなのかしら? 毎晩男に犯されて、あなた感じるの?」
その言葉にロイは眉を顰めた。きつくなった眼差しがメディナを射抜く。
「まあ、いいわ。今日はとっても気分がいいの。このぐらいにしておいてあげる」
ロイから離れ、メディナは傍にある椅子に腰掛けた。口元は楽しそうにくすくす笑い続けている。
「御用がないなら、どうぞお引取りを」
綺麗な笑みを1つ作り、ロイは丁寧な口調でメディナを拒んだ。
「あら、つれないのね、ロイ。……こんなに月が綺麗なのに」
窓から射し込む月明かりが更にメディナを妖しく見せる。
「ふふ。もうすぐね、ロイ」
「……精霊石が、ですか?」
一瞬メディナの薄い赤褐色の瞳が見開かれる。
その様子をじっくり観察し、一呼吸置いてからロイは付け足した。
「……知ってますよ。貴女が精霊石を集めていることも。……その意味も」
その言葉にメディナの表情が険しくなる。そして感情のままにメディナは右手を振り上げ、ロイの頬を打った。その手を避けもせず、ロイはその端正な顔に笑みを浮かべる。
「何を知ってるですって? だからお前は嫌い。私の計画を台無しにするつもりね」
「……なら、さっさと処分なさるがいい」
「そう。お前が精霊石を手にする者でなければ、とっくの昔に殺してあげているわ。でもそれもあと少し……。ふふ、楽しみだわ。白い肌を血に染め、お前は床に這いつくばる……」
そう告げて、メディナは本当に楽しそうに笑った。
幼い頃、母に何度も告げられた未来を想い、ロイは唇を噛み締めた。
幼い自分を抱き締めて、母は震える声でそれでもしっかりとロイの未来を言葉にした。
『ロイ、遠くない将来、セレン王国誕生以来、はじめて4つの精霊石が揃います。すでに運命の歯車は回り始めている』
『ロイ、愛しい我が子。貴方は手にする石を守らなければならない。……ああ、でも貴方が背負う運命に神の祝福がありますように。どうか……、どうか、』
母は涙を流しながら、最後まで告げることはなかった。
それは、母にも見えない未来だったのか。それとも見たくない未来だったのか。
「精霊石は4つ揃わなければ、意味がないのでしょう?」
思い続けていた疑問をぶつける。
叔父の、早すぎた父暗殺。
その時の険しい顔のメディナ。
結局、父の最期の力で精霊石は主の意志に従い、四散してしまった。
「……で、父の精霊石は見つかったのですか?」
涼しげにロイが問う。
「ふふ、ご心配なく。それは時間の問題だわ。それより自分の心配をすることね」
「仮にこの手に精霊石を手にしたとして、それを貴女に渡すとでも? それに叔父や、ましてやアルフが大人しく従うとでも?」
精霊石は4つ揃わなければ意味がない。そのことを確信する。
だからこそ、自分がその1つを手にすることに意味がある。
手にすることで、あいつを守る切り札にできる。
「あら。アルフの心配? あの子は、自分の精霊石を私にくれるって約束してくれたわ。お前の命と引き換えですって。可愛らしいわ。お前とは大違いね。どう? お前も私に精霊石をくれると約束するのなら、アルフはお前にあげるわ」
双眸を細めて妖しく笑い、メディナはそう告げた。
「だってお前、アルフのことを愛してるんでしょう?」
「別に……」
胸のうちを抑え、努めて冷静な口調でロイが答える。
「アルフを殺したいなら好きになさって結構ですよ? お荷物がいなくなって清々します」
「あら。お前がこんな屈辱に耐えているのはアルフのためじゃないの? アルフのために精霊石を手に入れようとしてるのでしょう? 他に理由がないでしょう。誇り高いお前が夜毎に男に抱かれる屈辱に耐える理由が」
そう答えて、メディナはくすくすと笑い声を響かせた。
「別に何の屈辱でもありませんよ。好きで抱かれているだけです。むしろあの馬鹿のために自分の石を手放す方が苦痛です」
「……ホント、憎たらしい口ね。でもいいわ。もうすぐ泣きつく事になるでしょう。そうね、あの子の精霊石を手に入れたら、お前の目の前で殺してあげる。お前も喜ぶでしょうね」
メディナの微笑に、ロイが涼しげで綺麗な笑みを返した。
細めた瞳にメディナの姿を捉える。
「そうですね……。そのときは風の精霊石は2度と手に入らぬことを覚悟なさるがいい」
「そうね、そのときは私は全ての石を手にしているわ」
くすくす笑い声を残して、メディナは部屋を後にした。
「馬鹿な……」
この自分の命と引き換えに精霊石を渡すだと。
精霊石を渡すということが何を意味するのか判っているのか。
渡したら最後、命を奪われる。
いや、そんなことも判らないアルフではない。
「判っていてなお、そう答えたのか……」
胸を熱いものが込み上げる。
突き放しても突き放しても、真っ直ぐ向けられる想い。
「ならば、命を賭けて守ってやる。手にする石を。お前の想いを」
薄暗い月明かりの下、ロイはそう決意した。
一際涼しい風がロイの柔らかい髪をふわりと駆け抜けていった。
……Fin.