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あの、忌まわしい夜からどのくらいの月日が経っただろうか。
鉄格子のはまった窓から、満月のやけに明るい光が差し込んでくる。
北の塔の最上階。
品の良い調度品に囲まれた、この狭い空間だけが今のロイに許された居場所であった。
奥には、白い柔らかそうな寝台がある。
その寝台の上に惜しげもなく白い肌を晒して、ロイは横たわっていた。額に掛かる少し汗ばんだ黒髪はそのままに、切れ長の青灰色の瞳は何処を見るともなしに開かれている。
「もう、抵抗しないのか。ロイ」
ロイの上に圧し掛かり、思う存分蹂躙した男が、口元に薄笑いを浮かべて問い掛けてくる。
陽に焼けた健康そうな鍛えられた肉体。年齢は40を過ぎているはずだが、その面立ちは若者の精悍さを持っていた。
「……何をしても、無駄でしょう? 叔父上」
澄んだ声でロイは無機質にそう答えた。
「可愛げのない奴だな」
そっけなく言い放つ台詞とは裏腹に、再び熱い手がロイの胸元に伸ばされていく。
その途端、ぞわりとした感覚がロイの身体に浮き上がった。
「……美しい」
肌理の細かい白い肌。
絶世の美女と歌われた前王妃に生き写しの整った面立ち。
「お前の肌は、月明かりによく映える」
「……どうぞ好きになさるがいい……」
抵抗するわけでなく、声を上げることもなく、その美しい双眸を固く閉ざして、ロイは呟いた。
無骨な指と唇が、確実にロイの感じる場所を辿っていく。
何度も抱かれた身体は確実に反応を覚えていく。そのことを忌々しく思いながら、ロイは唇を噛み締め声を殺した。
「声を聞かせてはくれないのか?」
「そこまで奉仕する理由はないでしょう?」
どうせ最後には、認めたくないが嬌声を上げさせられる。そのことも判っていたが、それでもロイは唇を噛み締めて耐えた。
「……んっ、」
反応し始める自分自身を乱暴に扱われ、ロイの喉から思わず声が上がる。
次の瞬間、男が侵入してくる激痛がロイの身体を襲った。呼吸すら飲み込んでその全てに堪える。それなのに容赦を知らない手でロイの細い腰を掴み、男はロイの中に激しく突き上げ始めた。
「……どうだ? ロイ」
口元に笑みを浮かべ、男がロイに問い掛ける。
「……っく、……あ、……っん、あ、あ……、」
否定してみても、ロイの身体は着実に激痛とは違う感覚を掬い上げていった。
身体を支配されていく――。
行為の間中、ただ何度か首を振り、ロイは涙が零れるのだけは堪えた。
そして再び意識を失うまで、ロイは決して涙は見せなかった。
冷たい風に、ロイはうっすらと目を開けた。
窓から射し込む明るい月明かりに、叔父の姿が浮かび上がる。
我が従弟アルフに何処か良く似たシルエット。
それもそのはず、彼らは血の繋がった親子だ。
そういえば、自分にも同じ血は流れているのだ。
そう思い、ロイは苦笑した。
賢王と名高かった、平和的で温厚な父王ミルフィールド。そして、優れた剣術の腕を持ち、兄以上の聡明な頭脳と謳われたミルフィールドの弟、我が叔父ダンフィールド。その叔父が、いつか父にとって代わる日が来るのではないかと危惧していた。そしてその日が来ることがなければ良いのにと願い続けていた。しかし、そんな自分の想いとは裏腹に、その日は突然やってきた。今でも夢でうなされる、冷たくなっていく父の身体。叔父の笑み。
そう、あの日、全ては崩壊したのだ。
「何だ、起きたのか。ロイ」
柔らかな笑みを浮かべて、ダンが近づいてくる。
「まだ、いらしたんですか。叔父上」
だるい身体を無理に起こして、ロイは夜着を整えた。
月明かりに照らされた白い肌に点々と残る紅い痣が、何ともいえない色香を漂わせる。
「……アルフの奴が見たら、何と言うだろうな」
突然告げられたその名前に、ロイは一瞬だけ身体を強張らせた。だがその直後、ふふ、と自嘲気味な笑みを浮かべてみせる。
「先日、来ました。あいつだってそんなに鈍い奴ではない。とうに気付いていますよ。……だからもう、来させないで下さい」
「アルフに知られるのは辛いか?」
そう告げるとダンは楽しそうに笑みを作り、あまり表情を変えないロイの心の中を覗き込もうとした。
「……別に関係ありませんね。叔父上たちの親子関係を心配しているだけです」
「ふふ。あいつは真剣にお前を愛しているらしいぞ」
「だからどうだと言うんです? これ以上の話は無駄です。御用が済んだのならお引取り下さい。それともまだ足りませんか?」
わざと誘うかのように妖艶な笑みを作り、ロイは片手で夜着を肌蹴た。そんなロイにお返しとばかりにダンが口づける。眉1つ動かさずダンの蹂躙を受け入れ、ロイは口端を唾液で濡らした。長い口づけの後、片手でそれをぐいっと拭う。
「もう少しだな、ロイ、お前の頑張りも……。よくぞこんな屈辱に耐えたものだ」
見上げてくるロイを瞳に収めてそう告げると、ダンはくくっと笑った。
「……何のことです?」
その言葉の真意には気づかないふりをして、ロイは慎重にダンの顔を見つめた。
「来月はお前の誕生日が来る。お前の手に精霊石が現われる日がな。だから今まで耐えてきたのだろう?」
「……精霊石なんて、現われるかどうかも分からないでしょうに」
セレン王家の血を継げる者は、18歳を迎える日に手の中に精霊石が現われる。すなわち精霊石を持つ者のみが王位継承権を有することになる。王家のものが必ずしも精霊石を手に入れるとは限らず、それはすべてその者の持つ運命に委ねられている。だがたとえその運命に選ばれし者であっても、18歳を迎える日にセレン城内にいない者は、精霊石を手にする機会を一生失うのである。
現在の王家の中で石を手にしたものはロイの父である前王ミルフィールドと、叔父ダンフィールドのみ。従ってミルフィールドが急死した後は、唯一の王位継承者であるダンが現王座に就いている。
ロイが今まで耐えてきたのは、精霊石、すなわち正統たる王位継承権を手に入れるためだと、そうダンは告げているのだ。
ロイの真意は全く別の処にあるのだけれども。
それだけは何としてでも悟られるわけにはいかなかった。
聡明なダンは、些細なことから全てに感づいてしまう。
ロイは慎重に言葉を選んだ。
「王位なんて今更望んでどうなるというのです? 十分贅沢してますよ? 心も、……身体も」
心の奥まで覗き込もうとするダンの薄茶色の瞳を真っ直ぐに受け止め、ロイはそう言葉にした。
「……まったく、正直な口だな」
呆れたように1つ溜息を吐いて、ダンは扉へ向かった。
「いずれにせよ、お前を手に入れたかったから、私はお前が18を迎える前に事を起こした。そうすれば少なくとも18まではお前をここに縛り付けておけるからな。……しかし、精霊石を手に入れてもそう簡単にはお前を手放しはせんぞ」
低く響くその声は、何者の反論も許さないかのように狭い部屋に響いた。
再び、狭い空間にはロイ1人。
何故かロイには確信があった。
自分は精霊石の1つを手にする。そして1年後、アルフも最後の石をその手に取る――。
また、もう1つ確信していることがあった。
叔父の裏で、確実に何か大きな事が起ころうとしている。何かはまだ判らないけど。
消えた父の水の精霊石。
最近周囲の街で起こっている異常気象。
精霊石を手にしたものはいつかその運命に従わなければならない。
大きな何かが自分たちを巻き込んでいく、何ともいえない不安がロイの胸を締め付けた。
だが、国の行く末も、世界の行く末も、自分の運命の末路さえも、ロイにはどうでも良かった。
ただ、アルフを巻き込んでいく運命に立ち向かう力だけが欲しかった。
そうして、自分にはその運命を掴み取る機会がある。
どんなことがあっても、その日まで生き延びなければならない。
鉄格子の嵌った窓から、城下を見下ろす。
遠くで禍々しいものが蠢いたような気がした。
……Fin.