Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 変化 


 しまった、と、
 そう思ったときには、既に男の腕の中だった。

 急速に薄れていく意識を辛うじて繋ぎ止める。そうして、無理矢理開いたロイの青灰色の瞳に、ロイの痩身を抱き止めながら満足げに笑みを浮かべる男の口元が映った。
 先程口にした酒に、何か薬物が混ぜられていたのだろう。カウンターの向こうで、店の主人が申し訳なさそうに目を背けているのが視界に入る。

 そういうことか―ー。

 今更、自分の失態を悔やんでみても仕方のないことであった。
 それでも、以前の自分ならこんな失態を見せることはなかったと思わずにはいられなった。

 何かが自分を変えてしまった。

 その何かが他ならぬ漆黒の瞳であることには、当に気付いていたのだけれども。



 薄暗い部屋の窓から見える月が、やけに明るく感じられた。
 寝台に投げ出されたロイの美しい肢体を見下ろしながら、男がごくりと唾を飲み込む。

 別に初めてのことではなかった。
 叔父によって無理矢理身体を開かされたあの日から、この浅ましい身体はは何人の男を受け入れたのだろう。

 それなのに――。
 あの日、あの雷鳴の夜、初めてジークに抱かれたあの夜から、身体が覚えている。
 ジークの指の動き一つ一つを。零れる吐息の一つ一つを。

 男の無骨な指が、陶磁器のような白い肌に触れてくる。指先が触れるその感触に、ぞわりとした嫌悪感を覚え、ロイは眉を顰めた。覆い被さる男の身体を引き剥がそうと腕に力を込めてみるが、まだ薬物の影響が残っているのだろう、満足に動けない両腕はあっさりと男の腕に捉えられ、そのまま頭上で一まとめに抑え付けられる。
 一つ息を吐いて、そうしてロイは自分の上の男を見つめた。
 美しい青灰色の瞳が男を捉える。
「……痛い。……少し、力を抜いてくれないか……」
 それはいつもより少し高いトーンで。
 青灰色の瞳にほんの少し苦痛の色を浮かべてみせる。男の動揺を煽るように。
 そうして、男の戸惑いを後押しするように、ロイは辛そうに美しいその瞳を伏せた。



「……どういうことだ?」
 ロイと待ち合わせした酒場で、カウンターに座ると同時に店の主人に懺悔され、ジークは訝しげに問いただした。

 主人の話の内容から分かったこと。
 つい先刻、ジークが来るより少し前に、ロイはここに来て、酒を1杯注文した。
 そのロイに目をつけた男が、主人を脅してロイの酒に薬物を混ぜさせた。
 それをのんだロイは倒れ込み、そうして男に連れ去られた、ということ。

 ジークが大きく溜め息を吐く。

「たぶん、『森の湖亭』だと……」
 男の向かった宿の名前だろう、最後にそう言葉にして主人の懺悔は終わった。
 黙ったまま酒杯を煽るジークに主人が恐る恐る声を掛ける。
「……助けに、行かないので?」
「……別に今に始まったことじゃねぇ。そのうち戻って来る」
 「ロイの意志じゃねぇんだろ?」と付け足して、ジークは酒杯を空にした。ほぼ同時に、表の扉が開かれ、店内に大きなざわめきが広がる。

 皆の視線の先、扉にもたれかかるようにして、ロイが立っていた。
 少し潤んだ青灰色が店内を見渡し、カウンターに座るジークの姿を捉える。
 そうして、少し熱を帯びた吐息を一つ落として、ロイは膝から崩れ落ちた。

 酒杯を置き、一つ溜め息を落として、ジークが立ち上がる。ロイの傍に歩み寄り、荒い息を吐くロイに肩を貸してやると、安堵したかのようにロイが全身を預けてくる。
「お早いご帰還だな、ロイ」
「……別に」
 薬のせいなのか、少し熱を帯びたきつい眼差しでジークを見上げ、そうしてふいと顔を背ける。
「……お前が、悪い」
 形の良い唇でそう付け足して。

 以前の俺なら、あんな男に隙を見せたりしない。
 ――いや、自分からわざと隙を見せて誘ったかも知れない……。
 以前の俺なら、あんな酒を口にしたりしない。
 ――いや、分かっていて自分を傷つけるために口にしたかも知れない……。
 以前の俺なら――、
 そう、男の腕の中、満足に動かない腕で抵抗したり、ましてや甘い声で相手に隙を作ってまで逃げ出したりはしなかっただろう。

「……お前の、せいだ……」
 そう告げて、青灰色の瞳を伏せ、ロイは今度こそ意識を手放した。そのロイの痩身を抱え上げると、ふ、と口元でだけ笑みを零し、ジークは酒場を後にした。



 月明かりが落ちる。
 何度か肌を合わせて、そうして少しずつ変化を遂げる、ロイの表情を照らして。
 壊れ物を扱うようにそっと寝台にロイの痩身を横たえる。長くなった前髪をかき上げて、ジークは恐ろしい程整ったその容貌にそっと口付けた。胸元の釦をいくつか外し、上気した白い肌に手を添えると、力を失くしていたロイの腕がゆっくりとジークの背中に回される。ロイの顔に視線を戻すと、いつのまに意識を取り戻したのか、青灰色の双眸がジークを見つめていた。
「……ジーク」
 良く通る、澄んだ声が、ジークの名を呼ぶ。いつもよりほんの少し艶を帯びて。
「……お前が、俺を変えた……」
 上がる息の下、そう告げた薄い唇から吐息が零れていく。
 飲まされた薬には媚薬の成分が入っていたのだろう、ほんの少しの愛撫だけでもともと敏感な身体は確実に熱を持ち、そうして抑制の取れかかった唇から熱い吐息が零れ落ちる。硬くなった胸の突起を舌で転がすと、びくんと身体を震わせてロイは大きく首を振った。
「……ッ、……んっ! あっ……!!」
 ジークの背に回されたロイの腕に力が込められる。
 襲い来る快楽の波に攫われまいと、ジークの背に縋り付くかのように。
「お前は、お前だ。ロイ」
「……ジー、ク……っ?」
「昔のお前も、今のお前も」
 片手で胸の突起を転がすように愛撫しながら、ジークが引き締まった細い腰へと舌を滑らせていく。
「ジー……ッ、……あ! ……は……ぁっ……、んんっ……!」
 敏感なところを舌で舐め上げられ、ロイが白い喉を反らせる。縋るものを失くしたロイのしなやかな手がジークの短髪を捉え、その濃い褐色の髪に対照的な白い指を絡ませる。そのままジークの髪を力一杯掴み、一際大きく背を反らせて、限界まで上り詰めた身体は欲望を吐き出した。
 潤んだ青灰色の瞳が、ジークを見下ろす。
「……こんなのは……っ、俺、じゃない……っ」
 ジークを求めて伸ばしそうになる両腕を、漆黒の瞳に縋りつきそうになる瞳を、懸命に否定しながら、荒い呼吸の下でロイがそう告げる。
「お前だ、ロイ」
 ロイの膝を折り、双丘の間に指を滑らせながら、ジークはそう答えた。
「……違、う……っ。……ち、が……っ、あぁ……っ!」
 滑り込んでくるジークの指を感じながら、ロイが大きく首を振る。
「同じだ、ロイ。ずっとアルフを守ってきたお前も、俺を求めるお前も」
「……も、求めて、なんか……っ、……あ、……あ、んんっ!」
 少し解れたロイの入り口から指を抜くと、ロイの痩身ががびくんと跳ね上がった。
 思わず伸ばされてくるしなやかなロイの手に指を絡ませ、そのまま寝布の上に抑えつける。そうして反対の腕で膝を抱え上げて、ジークは己自身をロイの中に侵入させた。
「……んっ! はぁ……ッ……、あ、ああ……っ! ジー……ク……っ、」
 そのまま奥まで侵入させると、涙を湛えた青灰色の瞳がすぐ目の前にあった。
「……ロイ」
 ロイの耳元で、低くよく通る声が名前を呼ぶ。その声が持つ響きに頭の芯がじんと痺れるような感覚を覚え、ロイは小さく身を震わせた。
 まだ十分に力の入らないロイの白い指先が、ジークの短髪から頬へと滑り落ち、その肌の感触を確かめるかようにそっと触れる。青灰色の瞳にジークの姿を映して。
「……ジー、ク」
 名を呼ぶと、青灰色の瞳の中のジークが微笑む。
「ロイ」
 良く通るその声が、確かな響きを持ってロイの名を呼ぶ。
 その幸福を噛み締めるように、美しい青灰色の双眸にジークの姿を映し、一つ深呼吸して、ロイは瞳を伏せた。寝布の上、ジークの手に絡ませたままの指先に力を込める。そうして、それを合図にゆっくりと動きを再開したジークを受け入れる。
「……あ……ッ……、」
 薄く開かれた唇から、甘い吐息を零しながら。


 いつの間にか、幸せを求めてしまう、自分がいた。


 ゆっくりと青灰色の瞳を開くと、窓から差し込む月明かりと漆黒の双眸が目に入った。
「……大丈夫か、ロイ。」
 気を失っていたのだろうか、ジークの漆黒の瞳が心配そうに覗き込んでくる。
「……こんな風に抱かれてしまったら、」
 視線を外し、ロイはふいっと顔を背けた。
「……お前以外の男に抱かれることに、耐えられなくなる。」
 顔を背けたまま、ぼやくように小さくそう口にする。
「抱かれなきゃいいんじゃねぇ?」
 そう答えて、ジークがくすりと笑みを零した。
 それには答えず、ふわりと一つ笑みを零して、そうしてジークの腕に身を預けるようにして、ロイは眠りに就いた。


 ――幸せに、なってもいいのだろうか……?


 ジークと出会ってから、少しずつ変化していく自分に戸惑いを感じた。
 肌を合わせてから、『傍にいたい』という欲望がどんどん大きくなって、更に自分を変化させていく。
 その自分の変化に、戸惑いと、ほんの少しの喜びを感じる。

 しかし――、
 自分の中で、何かが哂う。
 まだ分からない、もう一つの『変化』が。




「……今日は、一人かい?」
 人通りの少ない路地を歩いていると、不意に問い掛けられて振り向く。

 ロイの目に飛び込んだのは、鮮やかな紅。

 男が纏うその色に、ロイの中で何かがどくんと脈打つ。
 微かな眩暈とともに、薄れゆく意識の中、色違いの鮮やかな真紅の瞳に映る自分が、哂ったようなそんな気がした。

 そうして――、
 『ロイ』が微笑む。
 美しい青灰色の瞳を細めて。
 壮絶な色香を纏って、妖艶に。

「…………」
 何処か違和感を感じたのか、色違いの瞳でロイの姿をまじまじと見つめるハサードに、『ロイ』は白い手を伸ばした。そのまま赤い髪を絡め取り、誘うように唇を寄せててくる。

「……へぇ、そういう表情(かお)も出来るわけ……?」
 そう告げながら、ハサードがロイの細い腰に手を回す。

 ハサードの腕の中、『ロイ』がくすりと笑みを零した。
                     ……Fin.




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