Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 静かな夜 


『彼』を見たのは、それが3度目であった。
 
 1度目は、この街に来たばかりの人混みの中。
 ほんの一瞬だけ、自分の姿を映した、綺麗な青灰色の瞳がやけに印象的だった。

 2度目は、美しい音色に誘われるように入った酒場で。
 瞳を伏せて、竪琴を奏でる『彼』の姿に思わず息を呑んだ。
 下品な男たちが卑猥な言葉を口にしながら、『彼』を連れ去ろうをするのが許せなくて、
 止めに入った自分に、青灰色の双眸が一瞬険しくなった。
 そのまま、無言で自分の手を弾き、男たちと去って行った『彼』の後ろ姿が、目に焼き付いた。

 そうして、3度目。
 霧雨の中、少し俯き加減で佇む『彼』を見た。


 旅人と商人の街、シーランス。
 南北と東西に走る、大きな2つの街道が交叉するこの街は、昔から交通の要衝として栄えていた。
 同時に大きくなりすぎたこの街には裏の顔もあり、裏通りに入ると娼館や賭場が立ち並んでいる。
 少し考え事をしながら歩いていたジークは、そんな裏通りに入り込んでしまっている現状に気付いて、小さく舌打ちした。品定めするような視線を鋭い眼光で制して、足早に裏通りを抜ける。
 やっと裏通りを抜けた処で、少し開けた広場が視界に入った。
 先程から降り始めた霧雨で、周囲の景色はかすんで殆ど見えない。
 しかし、
 音のない静寂な世界で、そこだけが風が舞うかのように、
 佇む『彼』の横顔に、目を奪われた。

 雨に濡れて、艶を帯びた黒髪。
 霧に溶け込みそうな、蒼白な透き通るような肌。
 色をなくした、薄い唇。

 そのまま消えてしまいそうな不安感に、駆け寄るジークの足が早まる。
 腰に提げた大剣が立てる金属音よりも、
 雨に濡れた石畳を駆ける自分の足音よりも、
 高鳴る鼓動が、やけに大きく耳に響いた。
 一瞬。
 ゆっくりとした動作でこちらを振り返り、『彼』は膝から崩れるように雨の中に倒れた。
 駆け寄り、片膝を付いて、抱き上げる。
 引き裂かれた衣服。
 見え隠れする、明らかな情事の跡。
 外套を脱ぎ、冷たい身体に掛けた。
 うっすらと青灰色の瞳が開かれる。
 泣いている、と思ったその美しい瞳には涙はなく、
 それどころか目の前にいる自分の姿さえも映してはいなかった。
 いや、この世界の何ものも、映そうとしていないのかも知れない。
 瞳に何も映さないまま、壮絶な色香を纏って、『彼』は口元だけに笑みを浮かべた。
 誘うように、ねだるように――。
「……やめとけ。お前、本当はこんなことをする人間じゃないだろう?」
 『彼』の事情は分からなかったが、『傷つきたがっている』のだけは理解できた。
 何が『彼』をそこまで追い込むのか。
 初めて見たとき、青灰色の瞳は、美しく揺らめいていた。
 2度目は暗い光を宿していた。
 そして今、その瞳は全てを拒絶しようとしている。
 細い身体を抱き締める。
「なぁ、俺にはお前の事情は分からねぇ。俺じゃあ、たいした力にはなれないかも知れねぇけど、他に方法はないのか?」
 真剣な眼差しで問い掛ける。
 腕の中の身体がぴくりと反応した。
 次の瞬間。
 何処にそんな力があったのか、ジークを思い切り突き飛ばして、『彼』は立ち上がった。
 そのまま外套を投げ捨て、背を向けて歩き出す。
「おい……」
 数歩歩いた処で倒れ込む『彼』を、男が抱き寄せるのが視界に入る。
「相変わらず、色っぽいじゃねぇか」
「最近、お盛んだそうだからな。誰彼構わずなんだろ?」
 別の男が、乱暴に衣服をはがし、胸元の紅い跡をなぞるのが見えた。
「この様子だと、今晩ももう何人も男を咥え込んだみてぇだけど、まだまだいけるよな?」
「なぁに、心配するこたねぇ。俺たちは優しいからよ。他の男とナニしてようが、許してやるぜ?」
「せいぜい、楽しませてくれよ」
 口々に述べ、男たちが下卑た笑いを浮かべる。
 『彼』は抵抗するわけでもなく、男の胸に倒れ込むように身体を預けた。その行動を勝手に合意と受け取り、男たちがにやにや笑う。
「……おい。待てよ」
 気が付けば、『彼』の腕を掴んでいた。
「なに、おにーさんも混ざる?」
 そう笑う男を左手で殴り倒し、右手で掴んだ『彼』の腕を引き寄せた。
 男たちの表情が険しくなり、各々の手に獲物を構えるのが見えた。
「悪いな、兄さんたち。今日は俺が先約なんだ」
 『彼』を自分の背にやり、大剣に手を掛けた。
「退いてくれ。俺がこいつを抜く前にな」
 低く響く声でそう告げ、きつい眼差しで男たちを制する。
 お決まりの捨て台詞を吐き捨てて、男たちはその場を後にした。
 その後ろ姿を見送った後、息を吐き、剣に掛けていた手を離した。
「おい……、」
 振り返ると、『彼』が石畳の上に倒れていた。
 抱き起こす身体の冷たさに心臓が早鐘を打つ。
 顔を近づけると、どうやら浅いながらも呼吸をしているようであった。
 胸元に耳を当てると、『彼』の鼓動が聞こえた。
 胸を撫で下ろすと、細く冷たい身体を抱き上げ、宿へ向かった。


 暖炉に火をくべ、部屋を暖め、冷たい身体を抱き締めた。
 美しい青灰色の瞳は、長い睫毛で閉ざされている。
 もっとも開かれたところで、その瞳は何も映そうとはしていないのだけれども。
 初めて見たとき、哀しみの色に揺らめきながらも、しっかり自分を映した、綺麗な青灰色の双眸。
 もう一度、それを見たいと思った。
 その気持ちが何なのかは、判らないけれど。
 何も映さない瞳が、胸を締め付けた。
 本当の笑顔を見てみたいと、心からそう思う。

「……アルフ、」
 ジークの腕の中で、澄んだ声が響いた。
 青灰色の瞳が暖炉の燃え盛る炎を捉えている。
「アルフっ!」
 炎に手を伸ばし、身を乗り出そうとして、『彼』は動きを止めた。
 床に落とした両手は蒼白になる程きつく握り締められ、背を向けたままの肩は小刻みに震えている。
「……手にしたか」
 消え入るような声。
「だが……、どんなに俺の名を呼んでも俺は決して答えない。答えるわけにはいかない。」
 まるで自分に言い聞かせるかのように『彼』は何度もそう呟いた。

 そんな『彼』の様子を、静かに見守る。
 彼の言葉が何を意味しているかは、判らなかった。
 彼の背負う運命が何なのかも。
 でも、そんなことはどうでも良かった。
 ただ、その瞳に、この世界を映したいと思う。
 いや、正確にはそれらが映った『彼』の瞳が見たいのだろうか。

 炎から視線を外し、再び光をなくした『彼』の瞳を真っ直ぐに見つめる。
 ちょうど窓からやわらかい朝の光が射し込んできた。
「俺の名は、ジーク。人を探して旅している」
 1つ息を吐いて、用意しておいた台詞を口にする。
「強制はしないが、一緒に旅しねぇか?」
 少し暖かい風が『彼』の髪を靡かせた。
「もっとも俺の足手まといにならねぇくらいの腕があるってぇのが条件だけどな」
 にやりと口元に笑みを浮かべる。
 ジークの台詞に、一瞬、『彼』の瞳が像を結んだ。
「……名は?」
 問い掛けると、ゆっくりと青灰色の瞳が閉ざされる。
 そして、
「……ロイ」
 よく通る、澄んだ声が答えた。
                     ……Fin.




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