Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 Shooting Star−流れ星− 


「待て! アルフ!」
 セレン城の屋上から、ロイの声が響く。
 だが、少年独特の少し高く良く通るその声は、それでも城を抜け出して駆けて行くアルフの耳には届かなかった。
「アルフ!」
 もう一度だけ、いつも自分を困らせてくれるやんちゃな従弟の名を呼んで、ロイは大きく溜め息を吐いた。
 ロイの周りを楽しげに風たちが舞う。

(今日がどういう日か、知っているだろうに……)
 心の中でぼやいて、ロイは綺麗な青灰色の瞳に暮れゆく夕陽を映した。
 あと幾ばくかで、夜がやって来る――。

『ねぇ、ロイフィールド』
『今日は特別な日だから』
『だから、アルフィールドは出掛けたのよ』
『きっと、そうよ』
『だって、今夜は――』

 風たちが口々に囁き掛ける。ロイの少し蒼みがかった黒髪と戯れながら――。

「……知っているよ」
 溜め息混じりにそう答え、意を決したようにロイは階下へと向かった。
 言うまでもなく、アルフを追い掛けるために、である。


 双月祭。
 セレン王国に住むものなら子供でも知っている、年に1度の祝祭である。
 城下では、あちらこちらで四角い形の焼き菓子が用意され、仮装した子供たちに配られる。
 四角とは聖なる形であり、四大神――アマリーラ、リーセス、ディオン、ハットボッテ――の象徴とされ、対する三大邪神――ザイラール、ミッサ、エリシア――から子供たちを守ってくれるとされている。また、同時に四角には四大精霊の意味も込められており、魔を払う作用があるとも言われている。
 そして双月祭が行われる今日という日は、セレン王国初代王であるディーンが四大精霊石を用いて魔獣ザィアを封印した日であり、セレン王国建国の日でもある。
 セレン王国最大の祝祭日なのである。

 だが、双月祭にはもう一つの意味がある。
 これは王族だけしか知らないこと。
 双月祭の名が意味する真実。
 10年に1度だけ、セレン王国の北に位置する静かなるラーレア海に月が映る。
 空の月と海の月。
 魔界のそれと同じく2つになった月によって、この世界と魔界の間に接点が出来る。
 そう、魔界の扉が開くのである。
 精霊石の所有者たるセレン王は、結界を施し、扉を閉ざさなくてはならない。
 そのための儀式が今夜、北の大海で執り行われるのである。


『決して立ち入ってはならぬ』
 先月、父王ミルフィールドから固く言われた台詞。
 それなのに――。

(あの馬鹿!)
 心の中でもう一度そうぼやいて、ロイは見つからないようにこっそりと城を後にした。

 自室の机の上には、一応置手紙を置いてきた。
 アルフと城下の祭見学、なんて、アスランが見たら一瞬でばれてしまいそうな理由であるが。
 もっとも城内に自分たちの姿がない時点で、アスランは気づくだろう。
 北のラーレア海へ向かっただろうことに。
 だいたいアルフが抜け出すことくらい予想がついただろうに、今日に限ってアスランがいないのが悪い。

(誰かの陰謀か……?)
 ロイがそう思いたくなるほど、至極順調にアルフは城を抜け出してしまったのである。

 夜はどんどん更けていく。


 一方、そんなロイの心配を他所に、アルフは夢中で深い森の中の小道を駆けていた。
 もうすぐラーレア海に出るはずである。
 深い森の中にある小道を抜けると、突然視界が広がった。
「わぁ……」
 目の前に広がる光景に思わず声が上がりそうになり、アルフは慌てて両手で口を塞いだ。
 夜空に浮かぶ、これまで見たことがないほど巨大な蒼い月。
 だが、赤褐色の大きな瞳にもう1つの月の姿を映した瞬間、アルフはそこから一歩も動き出すことが出来なくなった。
 その存在感に圧倒される。
 きらきら輝く水面に揺れる、もう蒼い月――。
 それは、空に浮かぶ大きな満月の姿を映していながらまるで自らの意思を持つかのように、ゆっくりと欠け始めていた。
 欠けていくその月から視線を外せないアルフの心臓がどくんどくんと脈打つ。
 身体の底から『恐怖』を感じた。
「……ロイっ、」
 思わず口から漏れてきたのは、大切な従兄の名前。
 泣き出しそうな少し震えた声で、
「ロイぃ……」
 アルフはもう一度、その名前を呼んだ。
 その時だった。
「……この馬鹿ッ!」
 突然、背後から抱きしめられる。
 見上げると、息を切らしたロイの顔がそこにあった。
「ロイ、ロイ!」
「馬鹿アルフ! 行っちゃいけないってあんなに……ッ!」
 言い掛けたロイの言葉が不意に途切れる。見上げると、見開かれた青灰色の双眸がラーレア海を凝視していた。ごくんと唾を飲み込んでから、意を決してアルフも海の方へと視線を向ける。
 大きな赤褐色の瞳に映ったのは、一度欠けた海の月が禍々しさを伴って満ちていく姿。

(間に合わない――!)
 全身の感覚にそう告げられ、ロイはアルフの小さな肩を抱き寄せた。
「……アルフ、離れるなよ」
 少し緊張したロイの声がアルフの耳に届く。こくんと頷いて、アルフはロイの袖をぎゅっと掴んだ。
 何か冷たいものが心臓に触れてくる。そんな感覚の中、2人は息を呑んで前方を凝視した。その視線の先で、ミルフィールド王がふわりと舞い、水面に降り立つ。そして、王の口から零れる呪文の詠唱に呼応するように、ラーレア海から雫が舞い上がり、きらきら輝きながらミルフィールド王の周りを守護し始めた。ミルフィールド王が両手を翳して、大きさを増していく月と対峙する。

 月が完全な形になったその瞬間。
 どんっという地響きとともに、激しい衝撃がロイとアルフを襲った。禍々しいものが溢れ出してくる。
「……風の精霊よ、しばし力を」
 片手でアルフを抱きしめ、もう一方の手を前に向けて、ロイは耐えた。翳したロイの手から薄い風の障壁が現れ、衝撃から2人を守る。
(だめだ、持たない――ッ)
 襲い来る力の大きさに、アルフを抱きしめるロイの手に汗が滲んだ。同時に急速に意識が遠ざかっていくのを感じる。
 無理もない。精霊石を持たぬ身で精霊を使役しようとしているのだから――。
 ロイが意識を手放そうとしたその時、
「大地の守護者よ、血を分けし愛し子たちを守りたまえ」
 ダンフィールドの力強い手が、2人を掴んだ。


 再びロイが目を覚ましたとき、全ては終わった後であった。
「気がついたか、ロイ」
 ダンフィールドの精悍な顔が覗き込んでくる。
「アルフは……、」
 言いかけて、足元でロイの服を握り締めたまま寝息を立てている存在に気づき、ロイは安堵の息を落とした。柔らかい薄茶色の髪を撫でてやりながら、無邪気な寝顔に溜め息とともに笑みを零す。
「父上は……?」
「兄上は水に守られている。心配ない」
 そう告げるダンフィールドの瞳は、真っ直ぐに兄ミルフィールドの姿を見つめていた。
 今は1つになった、空に浮かぶ大きな月。その月の光が、ラーレア海の水面を輝かせていた。水面に静かに立つミルフィールドのまわりを月明かりを浴びた水の雫が舞い踊っている。
 それらに調和するかのようにミルフィールドの金色の髪がきらきらと月明かりを反射していた。

 本当に綺麗な光景であった。

 どのくらいの時間だろう。
 とても長い間、ダンフィールドは一言も発さず、ただその姿を見つめていた。

 ロイの視線に気づいたダンフィールドが、にっと笑う。
 そして何かを思い出したのか、ダンフィールドはアルフを揺すり起した。
「……う、ん……?」
「寝ている場合じゃないぞ、アルフ」
「……えっ……?」
 寝呆け眼のアルフに溜め息を1つ。
「お前、このために来たんじゃなかったのか?」
 そう告げられ、アルフは慌てて大きく瞳を見開いた。
「――降るぞ」
 ダンフィールドの声とほぼ同時に、無数の星々が降り始める。見上げるロイの青灰色の瞳にも、美しい流星たちが煌めいては消えていくのが映った。
「ほら、急がないと間に合わないぞ」
 ダンフィールドの言葉に、アルフがぴょんっと飛び上がる。
 大きなその瞳にいっぱいに星々の姿を映して、大きく1つ息を吸い込んで、

「ロイが好き、ロイが好き、ロイが好きー!!」

「言えたーっ!」
と満足げににかっと笑みを浮かべるアルフに、ロイは軽い眩暈を覚えた。

「お前、『願い事』を言わなきゃだめだろう……」
 脱力感とともに何とか言葉にしてみる。そもそもそういう問題ではないのだが。
 天から降り注ぐ星々に願いを込めると、その願いは成就する――。
 その伝承は知っていたけれども。
 そして今日、封印の瞬間、星々が降り注ぐということも知っていたけれども。
 1つ間違えれば、命を落としていたのである。

「分かりやすい『願い事』だなー」
「うんっ!」
 ダンフィールドにアルフが満面の笑顔で答える。
「俺、ロイが好き。ロイと一緒にいる。ロイを幸せにする」
 そう言って飛びついてくるアルフを受け止めながら、ロイはわざと大きく溜め息を零して見せた。心の奥で、幸せと戸惑いが交錯する。

 流星たちが去り、再び静かな海と空。
 天空には、ただきらきらと星たちが瞬いている。

 澄んだ夜空を見上げ、煌く星々を綺麗な青灰色に映して、そうして、ロイはふわりと笑った。
 心の中でだけもう一度、そっと願い事を唱えながら。
                     ……Fin.




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