Ring's Fantasia

ほんの少し羽根を休めて、現実(いま)ではない何処かに旅してみたいと想いませんか?



 君がくれた翼 


 消してしまうことが許されぬ身であるならば、
 いっそのこと、どうして狂ってしまえないのだろう。

 瞳を閉じると、鮮明に映る、アルフの姿。
 それは、
 いつも自分を追いかけてきた、人懐っこい笑顔でもなく、
 真っ直ぐに自分を見つめていた、意志の強い褐色の瞳でもなく、
 ただ、哀しげに自分を見つめる瞳。

 そう、
 すべてを偽り、アルフを置き去りにした、あの時の――。

 これは自分の我が儘だと、そう思う。
 アルフの死は見たくないから。
 アルフのいない世界では生きていけないから。
 だから、たった1つの道を選択した。
 精霊石を手にし、その石の守り手たる我が身を唯一の切り札として、生きていく。
 そう、決めた。
 そのために国民を裏切り、アルフを置き去りにして、祖国を後にした。

 自分が望んだ道なのに。
 それなのに、胸が張り裂けそうになる。
 それでも、残されたアルフのことを思えば、自分の苦しみはまだ足りないと思う。
 そうして、自分を傷つけることで何処かほっとしている自分に苦笑した。

 世界は徐々に色をなくした。
 世界から次第に音がなくなった。
 それなのに、まだ自分は狂えずにいる。
 一体、どのくらい傷つけば、狂ってしまえるのだろう。
 いや、狂うことすら許されない身であるのかも知れない。

 明るい月が、端正なロイの横顔を照らした。
 少し長いロイの黒髪を揺らして、風が淋しげに舞う。
「すまない。俺はもう、飛ぶことは出来ない……」
 静かに告げるロイの声に、風が一層哀しげに揺らいだ。


 旅人と商人の街、シーランス。
 多くの人々が行き交うこの街は、ロイにとっても都合が良い街であった。
 自分の過去を問い詰めることなく、一夜限りの相手をしてくれる人間が豊富であるから。

 いつものように酒場に行き、竪琴を奏でる。
 美しい青灰色の瞳を伏せて――。
 その時、ふといつもと違う視線を感じて、ロイは瞳を開いた。
 色をなくした、灰色の世界。
 その中で、たった1人だけ、鮮やかな色を纏ってロイを見つめていた。
 射抜くような、深い漆黒の双眸。
 それは先日人混みの中で見た、いや正確には目に焼きついた、人物であった。
 驚きを隠すように視線を外し、代わりに傍にいた男に綺麗な笑みと妖艶な視線を送る。
 視線を送られた男がにやにや笑いながら、近づいてきた。
 それを合図に数人の男が立ち上がり、乱暴に腕を掴み上げられる。
「そろそろ、引き上げてもいいだろう?」
「心配しなくても、今日の稼ぎ分くらい食わせてやるよ」
「ナニを、か?」
 口々に卑猥な台詞を乗せ、男たちの手が腰へと伸びてくる。そのまま絡め取られ、唇を奪われても何も感じることはなかった。
「おい、ちょっと待てよ」
 先程の漆黒の瞳が間に入ってくる。
「嫌がってるじゃねぇか」
 嫌がる? 俺が?
 誰が見ても俺から誘っているのに、何故この男はそんなことを言い出すのか。
 青灰色のきつい眼差しで男を見上げる。
 見下ろしてくる漆黒の瞳が、哀しげに揺れた。
 だが、助けようと差し出されたその手を、乱暴にはじいたのはロイ自身であった。
 そのまま、自分の腰を抱く男の胸に身体を預け、数人の男たちと一緒に、ロイは酒場を後にした。

 薄暗い明かりの部屋で、男たちの愛撫に身を任せる。
 ほんのり色づいた、艶やかな白い肌が、
 次第に上がる吐息が、
 固く閉ざした瞳が、
 男たちの中の雄を更に掻き立てていた。
「……あっ……っ、」
 固くなった胸の突起を啄ばまれ、ロイが白い首筋を反らせる。
 同時に次第に形を成していくロイ自身を丹念に愛撫され、寝布を掴むロイの細い指に力がこもった。
「……んっ」
 ロイのしなやかな身体が一段と反らされる。
 精を放って力をなくした身体をうつぶせにされ、膝を立てた姿勢で男たちの愛撫を受け入れた。
 行為に慣れた身体が、徐々に蕩けていき、艶を帯びていく。
「……なぁ、そろそろいいんじゃねぇ?」
 自分たちの雄を受け入させる処を丁寧に指と舌で解していた男が、熱い声で問う。
 それに答えるかのように、ロイはゆっくり身体を反転させ、熱で潤んだ青灰色の瞳で男たちを見上げた。
 唾を飲む音が、薄暗い部屋の中に響く。
 ロイのしなやかな両脚を引き寄せ、男はゆっくりと己自身を進めていった。
「あっ……、あ、くっ……、」
 何度も浅く息を吐きながら、ロイは男を飲み込んだ。そのまま奥へ奥へと誘っていく。
「……すげぇ」
 男の喉から歓喜の声が上がった。ぞくっと身を震わせ、男が激しく腰を動かし始める。
 その行為を、何処か遠くで起きた出来事のようにぼんやりと受け入れながら、ロイは再び瞳を閉じた。
 激しい行為の中次第に遠くなる意識に、やっと安堵する。

 それからも、男たちに抱かれ、意識を手放すことでだけ、ロイは安堵し、束の間の浅い眠りに就いた。
 そして目が覚めるとアルフの哀しげな瞳を思い出し、自分がまだ狂ってしまえないことに苛立ちを覚えた。

 狂ってしまえない頭が告げる。
 アルフが精霊石を手にする日が来た、と。

 薄暗い部屋。
 何人もの男に抱かれ、乱れた衣服を正そうともせず、ロイはゆっくり立ち上がった。
 外に出ると、濃い霧雨。
 すべてを奪ってくれそうなその霧雨に溶け込みたくて、歩を進めた。
 風が、自分の周りを心配そうに舞う。
 そして、色をなくした世界すら完全に消えていこうとしたその時、
 最後に目に映ったのは、駆けて来る漆黒の瞳だった。

 そのまま意識を失くしていたのだろうか。
 気が付くと、先程の深い漆黒の瞳が、心配そうに自分を覗き込んでいた。
 その瞳に、何故が胸が締め付けられる。
 それでも、自分はもうこの瞳に世界を映したくはなかったから。
 もう後少し、自分を傷つる事ができたら、今後こそ終わりにできるかも知れない。
 そんな甘い誘惑に、口元に笑みを浮かべて、目の前の獲物を誘った。
 傷つけてもらいたくて。
 しかし。
「……やめとけ。お前、本当はこんなことをする人間じゃないだろう?」
 漆黒の瞳が哀しげに揺らぎ、力強い腕に優しく抱き締められた。
「なぁ、俺にはお前の事情は分からねぇ。俺じゃあ、たいした力にはなれないかも知れねぇけど、他に方法はないのか?」
 低くよく通る声が、耳元でそう囁いた。
 そうじゃない。それでは俺は狂うことが出来ない。
 精一杯の力で男の腕を振り解き、思い切り突き飛ばして立ち上がる。
 そのまま男が掛けてくれた外套を投げ捨て、背を向けて歩き出した。
 そして、数歩歩いて力の入らない膝から崩れそうになり、気が付くと数人の男たちに抱きかかえられていた。
 薄笑いを浮かべた男たちが、乱暴に衣服を剥ぎ取り、胸元に唇を寄せてくる。
 残虐なその行為に何処か安堵して、ロイはそのまま男の胸に倒れ込むように身体を預けた。
「……おい、待てよ」
 いきなり腕を掴まれ、引き寄せられる。
 険しい漆黒の瞳がすぐ傍にあった。
 ぼんやりと霞んでいく世界の中で、初めて見た瞬間の印象そのままに。
 それは、しっかりとした色彩を持っていた。
 薄れていく意識の中、ロイはいつまでも鮮やかなその男の姿を見ていた。


 冷え切った筈の身体が暖かく包まれていた。
 うっすらと瞳を開くと、紅く揺らめく光の中に愛しい存在が姿を現していた。
「……アルフ?」
 夢、か?
 愛しい名を声にして、ぼんやりと紅い光を見ていた青灰色の瞳が、次第に像を結ぶ。
 燃え盛る暖炉の炎。
 その中に、紅く光り輝く球体がゆっくりと地上に降りていくアルフの姿が見えた。
「アルフっ!」
 炎に手を伸ばし、身を乗り出そうとして、ロイは動きを止めた。
 床に落とした両手を、蒼白になる程きつく握り締め、細い肩が小刻みに震える。
 瞳に映る、アルフの姿。
 紅い球体は真っ直ぐにアルフの手の中に納まった。
「……手にしたか」
 消え入るような声。
「だが……、どんなに俺の名を呼んでも、俺は決して答えない。答えるわけにはいかない」
 まるで自分に言い聞かせるかのように、何度もそう声にした。

 炎から視線を外すと、再び世界は灰色と化した。
 ただ風だけが、朝の暖かさを告げようとしている。
 それすらも拒むように、ロイは小さく首を振った。
「俺の名は、ジーク。人を探して旅している」
 漆黒の瞳が、低く通る声が、色と音をなくしたロイの世界に入ってくる。
「強制はしないが、一緒に旅しねぇか?」
 風がロイの髪を靡かせた。
「もっとも、俺の足手まといにならねぇくらいの腕があるってぇのが条件だけどな」
 一瞬、何も映さない筈のロイの瞳に、にやりと笑う目の前の男の姿が像を結ぶ。
「…名は?」
 男の声に、ロイは、ゆっくりと青灰色の瞳を閉じた。
 そして、
「……ロイ」
 よく通る、澄んだ声で答えた。
                     ……Fin.




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