本堂とその周辺



本堂とその周辺

徳雲院(県指定文化財)

三門横の回廊を右に進むと「徳雲院」。
つきあたりにウスサマ明王(穢れを食べてしまう神様)。大黒天。ビンズルさん(お釈迦様の弟子)が安置されています。
次が新開さんの伝説で有名な血天井です。

徳雲院は天文6年(1537)に細川持隆(11代目守護)が創建したもので「徳雲院」は持隆の法号であり、持隆の長男真之(12代目守護)が改築した際、それまでの瑠璃殿を改称したものです。

何度か改築されて現在の建物は江戸中期享保13年(1728)のものです。


血天井

血天井は徳雲院、回廊の天井にあります。
天正10年(1582)10月16日、久武内蔵助親秋(長曽我部元親の家老)が勝瑞城攻略の論功行賞と偽り、新開入道道善(牛岐城主)を丈六寺に誘い寄せ、酒宴の席で主従を謀殺しました。そのときの血が付着した板を天井に残したものと伝えられています。
   


徳雲院外観










本堂(国重要文化財)

丈六寺の中心的建物。現在の本堂は寛永6年(1629)蜂須賀家正(藩祖)が、四女お辰の方冥福のため、方丈を改築したもので、正面の幅19.1m、奥行き12.0m、建坪およそ230u、入母屋造り本瓦葺です。

その平面は三室前後並列の六間よりなり、禅宗寺院の方丈形式を示していますが、外観は禅宗寺院の仏殿でも法堂(はっとう)などの様相は呈していません。
現在本堂に祀られている丈六寺の本尊は釈迦如来像です。


書院(県指定文化財)

江戸時代初期に建造され、寛政12年(1800)に補修されたもので、建坪157u、平屋建て、本瓦葺きです。

渡り廊下には一間の唐破風の向拝が設けられていて、当時の書院形式を色濃く残しています。

書院の庭はどうだんつつじの名所として知られていますが、この時期(11月3日)庭一面に群生している千両の赤い実がひときわ鮮やかに輝いていました。




境内(県指定史跡)

本堂の前から撮った境内の様子です。
鐘撞堂は丈六寺の鎮守秋葉大権現にあったものですが、明治3年神仏分離によって現在の位置に移設されました。
戦時中供出され、その後復活しました。

境内中央の樹が菩提樹です。
菩提樹の葉っぱと種



僧堂
現在の建物は享和2年(1807)に改築されたもので60uの平屋建てで、12人の僧が修行場として座禅生活をしていました。

僧堂の中では大きい声で話してはいけない、草履の音を立ててはいけない、文殊菩薩の前を通ってはいけない、かまちに足や尻が触れてはいけない等、厳しい戒律があるそうです。


経蔵(国指定重要文化財)

経蔵は永禄11年(1568)に僧堂として細川真之が建立しました。享保12年(1727)経蔵に改められました。

所蔵の大蔵経は、明国で1616年に作られた径山版大蔵経で、全6,770巻の内の1.968巻です。仏教聖典を総集したもので、一切経・三蔵とも呼ばれます。

回転できる八角形の書架は輪転架ともよばれ、真ん中の軸を中心に回転します。一回転させると納められたお経を全部読んだことと
同じ御利益があるといわれています。

中国の六朝時代、傳大士(ふだいしきゅう)という人が二人の子どもに手伝わせて創案したものといいます。

正面が傳大士翕、左右に二人の息子普建・普成の像です。




茶室

特別公開中はお抹茶の接待があります。
丈六寺の庭は「昔は殿様にしか見せなかった」といわれています。
庭園を眺めながら戴くお茶の味は格別です。


茶室からのお庭・本堂・書院の眺め







 遍照庵観音

僧堂の後ろにある小さい御堂は、平成4年に経蔵の向拝を再利用して造られたものです。安置されているのは、元中郷町にあった遍照庵の本尊であった観音様です。




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