子どもの街をつくりたい(2)
〜子どもの街をつくる会〜
子どもの街をつくる会
 平成14年4月の完全学校週5日制実施に向けた教育界の流れに対して、土曜日の効用を訴える懐古的な愚痴を言っても始まらない。
 月2回の学校週5日制はすでに実施されている。もう止めることも元に戻すこともできないだろう。そうであるならば、より積極的に土曜日を活用しようじゃないか。もちろん「子どもたちを手放しつつ」である。
 私は、このような新たな気持ちになった。
 まず「林崎小学校区児童生徒郊外活動推進協議会(校外推協)」では、覚えにくく呼びにくいので、愛称として「子どもの街をつくる会」を使うようにした。
 改めて会の目的を確認すると「地域と家庭とが一緒になって、自主的で豊かな遊びや生活体験活動を行うことで、心身ともに健やかな子どもたちの成長を願い、家庭や地域の教育力の活性化を図ること」である。
 それだけに止まらず、私は総合的な「まちづくり」の方向をプラスした。

子どもたちが主役のまちづくり
 この会の活動日は、学校週5日制の休日の土曜日であるが、究極の目的は、休日や土曜日の過ごし方だけに止まらず、子どもたちを主役にした鳴門市の「地域まちづくり」を進めよう、大人も子どももみんなが参加する場をつくろう、そして、誰もがこの街に住んでみたい、また離れて暮らすことになってもこの街に帰ってきたい、そのような魅力的な街・鳴門にしようということである。
 主な活動として、低年齢の児童を対象とした「あそびのへや」活動と小学校児童と中学校の生徒を対象とした活動がある。

「三共クラブ」と「ヒルク」
 そのサポーター役として、青少年を育成するボランティアの会「三共クラブ」を発足した。これは、地域の経験豊富な人材を発掘して、子どもたちの活動のときに積極的に参加してもらい、今までの自分の人生経験を子どもたちのために惜しみ無く使ってもらう「子ども大好き人」の会である。
 会の名称は、子どもたちと私たち大人が共に生きる喜び、共に育つ喜び、共に楽しむ喜びを味わっていこうということで、これらの三つの共から「三共クラブ」とした。
 また、子どもたちのリーダーの会として、6年生の希望者が集まって「ヒルク(HILC)」を結成している。正式な名称は「林崎子ども会インリーダークラブ」といって、ローマ字に直した頭文字を合わせて「HILC」と愛称で呼んでいる。
 行事のときは「三共クラブ」と「ヒルク」、そして子ども会育成会の保護者が世話役になっている。

年間事業の定着化
 毎年5月に総会を開いて、前年度の事業報告と会計決算報告・監査報告、今年度の事業計画案と予算案を審議している。
 事業として、子どもの街をつくる会が校区全体に呼びかけて行う活動、低年齢の児童対象の「あそびのへや」の活動、クラブ活動的な「妙見子ども会」の活動などがある。
 また、年間活動予算は、会費として会員1人につき1000円の人数分、補助金として鳴門市ボランティア連絡協議会、川東地区社会福祉協議会、鳴門市老人連合会から、賛助金として大塚製薬工場から、その他は篤志家の寄付などで何とか運営しているが、もっと充実した活動をするためにも安定的な収入を望んでいる。

子どもの街をつくる会の活動
 具体的な活動には、ボランティア体験学習、三世代ふれあいフェスティバル、鳴門あそびリンピック、子ども会リーダー研修会、夏休み自然体験ふれあいキャンプ、合同クリスマス会、郷土の歴史・産業・文化についての話を聞く会、子ども会感想文の募集、「子ども放送局」の視聴などの事業がある。
 ボランティア体験学習は、中学生が社会福祉施設・特別養護老人ホームを訪問して、介護体験学習をしている。毎年、20人から30人の希望者がある。中学校へ出かけて行って、中学生から希望を募り、社会福祉施設とは日程や内容の交渉を行い、当日は引率して、共に参加し、体験学習のあと参加者から感想文(感想、課題、反省)を集めて新たな意識づけにしている。
 もともと将来の自分の進路(仕事)として福祉関係に進みたい子どもたちと、この体験学習を通して福祉の分野に目覚める子どもたちなど、この介護体験学習は、ボランティア活動とは何か? 体験とは? などを触発する多くの可能性を持っている。
 また何よりも、民間ボランティア団体が、このような活動をしているのは、徳島県下でも「子どもの街をつくる会」だけであろうと思われる。
 今後は、児童福祉・障害者福祉・環境保全活動などの領域まで学習を拡大していきたい。
 三世代ふれあいフェスティバルは、10月の第四土曜日に、公民館の「高齢者学級」、小学校子ども会連合会、地区民生児童委員協議会、三共クラブ、地区自治振興会など多くの団体に呼びかけて開催している。公民館や小学校の体育館を使って、お手玉、りんごボーリング、木ごま、あやとり、羽根っこゲーム、けん玉、おはじき、マジックテープダーツなどのコーナーをつくっている。
 鳴門あそびリンピックは、あそびとオリンピックにかけ合わせて、この名称にした。木ごま、けん玉、お手玉などの伝承遊びのコーナーとチャレンジランキング連盟制定のゲームのコーナーを設けて、その種目・演技に挑戦している。公正な審査によって、金賞、銀賞、銅賞の表彰を行って、参加意欲を高めている。
 郷土の歴史・産業・文化についての話を聞く会では、地元の学識者から昔の様子について話を聞き、先人の苦労をしのぶとともに、郷土に誇りを持つ心を育てることを目的にしている。学校の授業にはない、別な新鮮味があって、好評である。
 新たに導入される総合的な学習の時間の中で、地域の人たちに「先生」になってもらって職業・生活体験の授業をするようになるが、私たちの会では、この意図の良さを察知して、早くから実践活動の中に取り入れている。

「あそびのへや」の活動
 「あそびのへや」は3月、4月以外の毎月第二土曜日の午前中に、小学校の空き教室を利用して作った『あそびのへや』において、低年齢の児童と保護者が一緒になって、特に「手を動かすこと」を基本に、活発な活動を続けている。
 毎年の総会で、毎月の活動予定を発表している。例えば、お母さんの絵を描く、わたしのペットの絵を描く、折り紙でネクタイを作る、夏の浜辺で遊ぶ、バーベキューをする、自分で作った人形で劇をする、動くおもちゃを作る、真っ暗な中で光る人形劇(ブラックライトシアター)をする、クリスマスの集いをする、動くおもちゃを作ってパネルシアターをする、など。
 作品は、父の日や母の日のプレゼントになっている。また遊びの作品箱の中に収められている。絵は『あそびのへや』の壁面を華やかにぎっしりと飾っている。『あそびのへや』には「遊び」そのものがたっぷりと存在している。一人で来ても友だちや親子で来ても、この部屋の中で遊びを堪能できる。ただし、出来合いのおもちゃは置いてないから、自分の創造力と自分の手を使って作らなければならない。
 いつも母と子の参加者が多いので、これからはお父さんも引っ張り出したい。

妙見子ども会の活動
 妙見子ども会は、学校子ども会や地域子ども会と違って「子どもの街をつくる会」が幼稚園や小学生を対象に呼びかけて結成した子ども会である。名称は小学校の前にあって、いつも子どもたちを見守ってくれている「妙見山」の名から取った。
 この子ども会の特徴は「クラブ活動」があるということである。
 これもまた、社会福祉施設・特別養護老人ホームのボランティア体験学習と同じく、民間ボランティア団体が子ども会を持って、その子ども会にクラブ活動がある、このような活動をしているのは、徳島県下でも「子どもの街をつくる会」だけであろう
 マジッククラブ、グランドゴルフクラブ、昔遊びクラブ、陶芸クラブの四つのクラブ活動があり、毎月第四土曜日の午前中に活動をしている。
 マジッククラブは、徳島県マジック協会の会長さんにご指導していただいている。子どもたちは興味津々、目を輝かして、紙や紐を使った簡単そうだが割りと難しい技に取り組んでいる。その成果発表として、年に1回、老人ホームに行ってその腕前をご披露して、いつも拍手喝采を受けている。
 グランドゴルフクラブと昔遊びクラブは、「三共クラブ」の方々のご指導とお世話で和気あいあいと楽しくやっている。特に昔遊びでは、木ごま、竹馬、おはじき、お手玉、けん玉など、体を使う遊びをしている。
 陶芸クラブは、基本からしっかりと教えてもらっている。粘土に触って、何かを作り出そうとする時の子どもたちは、からだ全体から積極性がみなぎっている。自分の好きな物を作って、親にプレゼントしている子が多い。

地域子ども会の活性化
 林崎小学校の8地区の子ども会活動が活性化してきた。どの地区でも、夏の花火大会やクリスマス会の集いが定着してきた。
 それは、PTA役員も地区育成会の世話人も「子ども会活動のイメージ」が分かってきたからと思う。そして何よりも、一番うれしいことだが、5年生、6年生に子ども会のリーダーとしての自覚ができてきた。
 初めて時は、1年生も6年生も「初めて」の事ばかりであったが、子どもの街をつくる会や地区子ども会が毎年の事業として、リーダーキャンプ、クリスマスの集い、ふれあいフェスティバルなどを繰り返していくうちに、当初に1年生であった子どもたちが5年生や6年生になったときに、「私たちなら、このようにしたい」と自主的に活動を引っ張ってくれるようになった。
 また、PTA役員も地区育成会の世話人も「分担」の大切さを理解してくれるようになった。私はいつも、どの会でも、次のように言い続けてきた。
「役員と世話人がすべてのこと(準備、運営、片付け)をする必要はないんです。むしろ、してはダメです。多くの保護者に呼びかけて、また地域の人々に参加してもらって、みんなで分担してやっていきましょう。10人が寄ってくれば、10分の1でできるし、10人のパワー(知恵、意見、見方)が出る、20人が寄ってくれば、20人のパワーが出るから、どんどんと大人を集めましょう」

大人参加型の子ども会活動
 子ども会をしているとき、ちょっと様子を見にきている保護者に気軽に話し掛けることは、役員や世話人の大切な「お役の仕事」である。
「子どもたちがやっているから、ちょっと手伝って」と言って、「遠巻きの指定席」から「舞台裏の楽屋」に連れて行って、そこで何でもいいから頼むこと、そしてみんなが「分担」してやっていることを見てもらうことが肝心である。もしそこで、一人や二人だけが一生懸命になって、必死に動き回っていたら、もうアウトである。「私はちょっと見に来ただけですから」と後ずさりして、いつの間にか、すうぅっと帰ってしまうだろう。
 その人に「お世話の心」が無いのではない。「分担」なら良いけれど、「負担は困るのである。お世話に参加すれば必ず反動(陰の批判やうわさの種になること)があることを伝え聞いているからこそ「遠巻きの指定席」に座るのである。
 その取り越し苦労、過剰反応をどのようにして取り除いていくか、そして大人が積極的に参加する子ども会活動をどのように進めていくか、私にはワクワクする楽しい課題である。
 これがすなわち、子どもたちを主役に置いた「まちづくり」の考え方である。

子どもの街をつくる会の2大事業(子どもを大切にする街」宣言と冒険遊び場づくり)
 私たちが結成して活動している「子どもの街をつくる会」が最終的に目標としている2大事業の様子を実際に肌身に感じるため、先進地に出かけた。
 平成7年9月、私と細川先生と2人で、栃木県佐野市に行った。ここは「こどもの街宣言(こどもの街基本構想)」を出している。
 佐野市の毛塚吉太郎市長さんは「このことで来られた方には、時間のある限り必ず私が応対いたします」とのことで、市長室横の応接間でお会いできて、その熱い心のメッセージをいただいた。この方は議員や市長になる前から、栃木県子ども会連合会の会長を務めていて、「子どものことについて考えるのが、私の一番の楽しみ、ライフワークです」「この宣言は、私たち大人の子どもたちへの『懺悔の気持ち』なのです。もっともっと良い街にして、子どもたちに残していきたいですね」
 私は全身を緊張させて、答えていた。
「はい、そりとおりです。私たちもがんばっていきます」
 帰りに、私は一人で世田谷区の羽根木プレーパークに寄った。その公園の入口には、自分たちで遊びをつくったり見つけたりして、何をして遊んでも良い公園である、しかし、自分の責任において、であることが明記されていた。
 見渡せば、いたいた、凄いことをしていた。水を流して、土をこねて、手や足を泥々にして、きゃあきゃあ言っている子どもがいた。木ぎれをどんどんと燃やして、炎の高さは3,4メートルになろうとしていても、近くにいる大人は誰も止めようとはしないし、ログハウスのような管理人棟の2階から下の地面に敷いたマットレスの上へ、びゅんびゅんと次から次へと飛び下りていた。
 まわりに既成のモノがあり過ぎると、返ってそのモノの良さが見失われてしまうのであろうか、改めてそのような感じを持った。
 しかし、「子どもの街をつくる会」の2大事業である「子どもを大切にする街」宣言を出すこと、冒険遊び場をつくること、この2つが夢でないことを知った。

「子どもの街づくり」宣言
 平成8年(1996年)6月8日に、子どもの街をつくる会の総会において、次のような「宣言」を制定した。
     子どもの街づくり 宣言
                       子どもの街をつくる会
 子どもの街をつくろう。
 子どもを愛する街をつくろう。
 真剣に子どものことを考える大人のいる街。
 子どもの願いを「心の耳」で聞ける大人のいる街。
 子どもの真の幸せは何かが分かる大人がいる街。
 そして、
 すべての子どもの幸せを願うために、手をつなぐ大人がたくさんいる街。
 心にゆとりを持ち、自分が本当にしたいことに打ち込める子どもがたくさんいる街。
 戸外や自然の中で、年の違う多くの子ども同士が、遊びに没頭できる場と時間が十分かなえられる街。
 街で会った子どもに一声かけてくれる大人、声をかけられたら、素直に返事ができる子どものいる街。
 子どもを抑えるのではなく、やる気を引き出し、生きる力を育てる活動が活発に行われる街。
 人にやさしく、人の痛みを分かち合える街。
 苦しみ、悩みのある人に、温かい手をそっとさしのべる勇気の出せる街。
 いろんな人のために尽くす喜びを知り、年の違う人たちとの心の交わりができ、
共鳴と感動が持てる子どもがいる街。
 将来の夢を一緒に語り合える街。
  そんな街をつくりたい!
                      (平成8年6月8日 制定)

子どもたちの現況
 子どもたちの多くは、塾にスポーツにと時間的・精神的に忙しく、勉強に対して強いストレスを持っていて、徹底的に遊ぶ楽しみを知らないままに、孤立している。
 また、地域社会も便利さを追及する余り、子どもたちが育つ場、子どもたちを育てる場としての機能を失ってしまった。
 子どもたちの心が悩んでいる。だが、大人たちも地域社会も、その回復剤となれない。
 それで、子どもたちは弱い者をいじめてストレスを発散した気になったり、登校拒否をして、現状から逃避したりするようになっている。
 今、子どもたちも大人も地域社会も無気力な悲鳴を上げている。

「子どもを大切にする街」宣言(原案)

   「子どもを大切にする街」宣言(仮称)

 鳴門の渦のように
  たくましく 明るく 生き生き 伸びる
 子どもは 伸びる
 子どもは 鳴門の宝
 鳴門市は
  この 子どもたちの未来を 力強く支え 見守ります
 
子どもを大切にする まちをつくろう
 子どもを愛する まちをつくろう
 本気で 子どものことを考える 大人のいるまちをつくろう

 子どもが
  心にゆとりを持ち
  楽しく 豊かな生活ができるように
  真剣に考える 大人がたくさんいるまち
 子どもが
  遊びたい時
  なにかをしたい時
  なにかを表現したい時
  なにかを調べたい時
  それにこたえる ところがあり 人がいるまち

 子どもの 真の幸せとはなにかがわかる
  大人と子どものいるまち
 将来の夢を 一緒に語り合えるまち
 人に親切 人の痛みをわかりあえるまち
 きょうの努力が やがて報われるまち
 子どもを 支え 伸ばし 励ますことのできるまち
  こんなまちをつくりたい
 それは 子どもを大切にするまち 鳴門市です

 あすの鳴門市を担い 支える 子どもたちを
 親が 家庭が 学校が 地域が 社会が
  大切に 見守り 育てる
「子どもを大切にする街」を 宣言します

なぜ、今「子どもを大切にする街」づくりなのか
 子どもたちを取り巻く社会環境が急激に変化している。
「今の子どもたちって、いろいろと重大な社会的問題を起こすけれど、昔はそんなことはなかった」
 よく聞く話題である。そのとおり、今の子どもたちも当時の子どもたちも同じ子どもなのに、しかし今の子どもたちが起こす事件の方がより深刻である。
 それは多くの場合、劣悪な社会環境が問題である、と私は考えている。
 その問題の一つに都市化がある。
 都市型生活様式へ変化して、生活共同体の連帯感の場が喪失した。小売店が少なくなり、銭湯が減って、人々が交流していた場が消失して、地域の人間関係が稀薄化していった。隣近所とのお付き合いが簡素化して、家族が孤立したり、自動車の普及によって道路整備やその他の社会整備が進み、道路や空き地の遊び場が無くなって、家の中に囲い込むようになったりしている。
 次に情報化である。
 身の回りの生活用品に電化、ハイテク化が進み、人とのコミュニケーション無しで日常の用事が済ませるようになって、人間関係を緊密にする必要性が薄くなった。子どもたちはマスメディアによる疑似体験に偏り、直接体験が不足して、生活リズムも夜型になってきた。
 また、少子化によって、家庭では子どもに対して過保護と過干渉を繰り返し、そして過度の期待を膨らませてきた。
 その上に、多くの問題を抱えていると指摘される進学競争の激化により、塾への依存度が高くなり、子どもの生活が多忙化してきた。成績と進学のプレッシャーに押されて、心からゆとりが喪失して、生活体験・自然体験・社会体験の場と時間が無くなった。
 この宣言は、そんな情況を完璧に克服するための『宣戦布告』としての宣言である。

私の願い
 所詮、私たちは社会的な人間であると言っても、自分の自宅を中心に僅か数十キロ四方くらいが最も身近で日常的な生活圏であって、その中で日々に一緒に生活する人々とともに、楽しく穏やかな毎日を過ごすことこそ、最上の人生であるまいか。
 だから、この宣言から、大人たちのたくましい自覚が生まれてほしい、力強い自信がみなぎってほしい、回復してほしい。
 そして、子どもたちには、家族と友だちとご近所の方々と学校生活を愛する素直な子どもたちとして成長してほしい。
 私は、心からそのように願っている。


Copyright 2003(C)Yoshihiro Mitsu All rights reserved.
このHPの画像・文章・デザイン等の無断転載・複製を禁止します