硬式テニス  サイクリング バスケット スキー キャンプ 茶道 囲碁
将棋 プラモデル 映画観賞 音楽 版画・きり絵 読書 寺院仏閣巡り

硬式テニス
 中学校の頃から憧れていた。
 大学2年の夏、サークルの合宿が軽井沢の近くであった。自由時間に軽井沢まで行って自転車で木立の間を散策した。その時、何処からともなく聞こえてきた「乾いた打球音」。近付くと別世界が広がっていた。コートサイドに置かれたトロピカル的な飲み物。優雅に舞うかのようなプレー風景。金網・フェンスにかじりついて、うっとりとして見詰めていた。
 鳴門グリーンテニスクラブ(鳴門市・大桑島、現在の蛭子山倶楽部)の開設と同時に入会して、毎日のように通った。29歳だった。ジミー・コナーズの「ダブルバックハンド」プレーを真似して悦に行っていた。徳島県下で「ダブルバックハンド」を始めたのは私が最初であった……。
 記録 第5回徳島県テニス連盟新進トーナメント男子ダブルス第3位
     第4回徳島ガーデンテニスクラブ杯男子シングル準優勝
     第12回月の宮庭球オープントーナメント男子シングルベスト16
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サイクリング
 中学生になった時「生まれて初めての」自転車を買って貰った。20歳の頃に鳴門駅前の自転車置場で盗難にあうまで、ピカピカに磨いて大事に使った。
 テレビ放送の「ツール・ド・フランス」を見て、すぐにサイクリング車を買った。33歳だった。本格的な仕様にしたかったけれど「その歳でそんな高級なんはいらん」と言われて、ごく普通のタイプにした。
 徳島県サイクリング協会主催の「センチュリーラン」に2回出場した。約80`のコース、4時間45分ぐらいの記録であった。
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バスケット
 中学校のクラブ活動でやっていた。
 そのおかげで、確かに「身長」が伸びて「体力」が付いた。ジャンプ力には自信があったが、得点力はなかった。練習中にセルのメガネを何回か壊した。なかなか買って貰えずセロテープで補強して使っていた。
 最近の部活と違って、3年間を通して、試合数は、公式試合に練習試合を含めて「対外的な試合」は数回であった。
 夏の練習でも「水分を補給する」習慣がなく、ボールを使った練習よりも、ヘトヘトになるまで「腹筋」と「うさぎ飛び」ばっかりしていた記憶が強い。
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スキー
 20歳の頃、初めて行った時に「自己流」で滑って、転んでばっかりだったので、冬山の寒さとスキーだけは、その1回で、すっかりイヤになっていた。
 しかし、友人のS君の「三津さんなぁ、夏にどんなに暑うても泳ぎに行きたいとは思わんけどなぁ、初雪の便りが聞こえてきだしたらなぁ、ホンマに居ても立ってもおれんようになるんよ。この気持ち、解かるでぇ」
 その気持ちが解かりたくて、バス・スキーツアーを企画した。昭和62年2月。確かにゲレンデで真っ白な山を眺めつつ飲むビールは最高だった。それから平成8年2月までバス・スキーツアーを企画しては、ビールを飲みに行った。
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キャンプ(野外活動)
 本格的なキャンプは経験していない。子どもたちや友人たちと「月が谷キャンプ場」に何回か行った程度。
 しかし、小さい頃から「岡崎海岸」と「妙見山」を我が庭のようにしていたので、特別にテントを仕立てて、飯盒炊飯して、というよりも、野外を走り回っていたら、それで満足、という程度である。
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茶道
 趣味なのか特技なのか、「茶名」も取得して、本格的にやっているって感じである。静寂な中、畳に正座して座ることが好きだから、続いているのかも知れない。
(昭和57年から、鳴門教育大学茶道裏千家茶道部を指導する)
 茶の本髄は「和」と「敬」である。これは当然に「人生における人同士の関係」そのものである。したがって、茶道とは人生道である。
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囲碁
 囲碁は、自称・アマ五級、とにかく無茶苦茶流である。
 その囲碁の「何が好きなのか」というと、一番に「交互に、一個の石(意志)を打つ(置く)こと」、二番に「あっちにも、こっちにも打ち(置き)たい所があるけれど、迷いながらも、そこに、英断して打つ(置く)こと」。
 人の人生、生身の身体も、唯一つ。あれこれと思いを巡らせても、その日その時に、自分が居られる場所、出来る事は、唯一つ。囲碁は人生、人生は囲碁なり。
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将棋
 将棋は、これまた定石無しの感覚・直感の将棋である。谷川浩司の棋風が大好きである。
 その将棋の「何が好きなのか」というと、一番に「駒の動きに制限があるが、歩も時には金の働きをすることがあり」、二番に「それぞれの駒の動きは制限されているが、それをいかに他の駒と絡ませながら、有意義に動かして(働かして)いくかということ」。
 人の集まり、仲間の関係も、そのとおり。あれこれと思いを巡らせながら、自分の「得手」に従って、出来る事を唯一つ、まわりの人たちと一致協力しながら、誠心誠意やって行くだけである。将棋も人生、人生もまた将棋なり。
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プラモデル
 中学生の頃、ゼロ戦のプラモデルを何個か買って貰って、ずうっと大事に本箱に飾ってあった。
 特に、細かい仕様を好む。最近では、特に「機動戦士ガンダム」が気に入ってい て、ガンダムを組み立てて、細かく色を塗って楽しんできた(ほとんどのモビルスーツの名前を覚えていて、我が子からも、ガンダムマニヤと呼ばれている)。
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映画観賞
 大学2年、3年の時に、年間150本ほど見ただろうか。もちろん「雨降り」と呼ばれる再上映の映画ばかりで、料金は2本で300円だった。
 好きなのは、なんと言っても、とにかく「フーテンの寅さん」。何回見ても飽きない。続いて「トラック野郎」「釣りバカ日誌」。見た後は、肩がすうっと軽くなる。
 小さい頃に、何度か「朝日座」に行った記憶があるが、初めて観た映画は覚えていない。小学校の講堂で「作文教室」とかいう映画を観て感動した。それが、映画を意識した最初だろう。
 心に残る映画は、まず一番に「砂の器」。そして、「ひまわり」「真夜中のカーボーイ」「エデンの東」「ビルマの竪琴」「イージーライダー」「七人の侍」「生きる」。(人の定め、運命の過酷さなどを扱った作品が多いようだ)
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音楽
 妹はピアノが得意だが、私は何もできない。楽器が一つでもできたらなぁ、と思う。ピアノかギターか、はたまたバイオリンか。
 よく聞いているのが、ビートルズ、カーペンターズ、ベンチャーズ、スリーディグリーズ、そして、70年代のフォークソングにグループサウンズの曲。
 カラオケで歌うのは、「岬めぐり」「人生劇場」「旅の夜風」「襟裳岬」。
 クラシックは「バッハ」と「モーツァルト」ばっかり。
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版画・きり絵
 一番得意とする、一番好きな趣味、と言いたいが、まぁ自己満足の世界であるようだ。手先を使う細かい作業が好きなので、何時間していても飽きない趣味である。デッサン力があったなら版画家になりたかった、今でもそのように思っている。
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読書
 乱読である。読書はその時の「自分の気持ちの状態を現す鏡」である。
 週に最低でも4回は本屋に寄って本を眺めないとイライラしてくる。最近、手にするのは、人物伝の関係の本が多い。特に「挫折」と「復活」を経験した人(将棋の谷川浩司など)の著書が大好きである。作家では城山三郎、藤沢周平、森鴎外。
 コミック蔵書は約300冊。大事にしているのは、火の鳥、三国志、人間交差点、コブラ、ドクタースランプ、土佐の一本釣り、お〜い!竜馬、加治隆介の議、巨人の星、など。
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寺院仏閣巡り
 父の病魔退散を祈願して、25歳の頃から「四国八十八か所霊場」を廻り始めた。あれから30年近く続いている。
 四国各地の四季折々の風景を巡りながら、その土地の風土と人情に触れ合ってきた。
 年々歳々、人は歳を重ねていくが、年々歳々、同じ花がまた綺麗に咲き誇る。長い様で短い人生、短い様で日々一日一日はまた充実している。参拝を済ませて、振り返れば、山門と鐘楼に夕陽が射している。また明日も天気の夕焼け雲。村里に夕食の支度の煙が何筋も昇る。のどかな人の生活の営みが続いている。
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