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所蔵文化財
宇和島伊達家文書
 宇和島藩は、伊達政宗(1567~1636)の第一子である伊達秀宗(ひでむね、1591~1658)を藩祖として慶長19年(1614)に始まり、明治2年(1869)の版籍奉還まで255年にわたり続いた。

 幕末には、宇和島藩第8代宗城(むねなり、1818~1892)が、朝政参与・新政府の議定職に任命され、明治維新後は外国事務総督・大蔵卿・民部卿などの要職を歴任したことは周知のことである。
 宇和島藩第9代宗徳(むねえ、1830~1905)は、版籍奉還の後、知藩事を明治4年(1871)まで務め、明治17年(1884)華族令で伯爵を授けられ、明治24年(1891)には、先代宗城の勲功により侯爵を授けられた。

 大正時代から伊達家家記編輯所において、宇和島伊達家文書の筆写・編纂物がつくられ、その成果の一つが「稿本」として伝えられている(約866点)。
 稿本には、西南雄藩グループの中にあって、幕末の四賢侯の一人に数えられた伊達宗城の編年体伝記資料『藍山公記』(らんざんこうき)・宇和島藩第9代宗徳の編年体伝記資料『龍山公記』全24冊・「御書翰類」などがある。
 なかでも特に『藍山公記』は、宇和島藩第8代宗城(藍山は宗城の号である)の弘化元年(1844)7月16日の襲封に始まり、安政5年(1858)11月23日の致仕・隠居、明治25年(1892)12月20日死去(享年75歳)までの通巻187冊(第114巻〈安政5年10月~12月〉は欠本)となっている。このうえに追補1~18巻(明治5年4月~同9年6月)があり、幕末・維新史料研究上の重要な資料とされている。まさに全国的な幕末維新史研究において研究を進展させる可能性を有しているものといわれている。

 宇和島伊達家に伝来されている古文書は、現在(平成19年)「御重書目録」という名称の台帳で整理されている。

 「御重書目録」は、甲・乙・丙・丁・雑(丁・雑は日記類やその他の分である)に分けられている。それに未整理であった古文書が近年(平成11年度から平成17年度〈1999~2005年〉の期間)の調査によって新たに戊(『宇和島伊達家関係史料調査報告書』収載)として加えられた。

 「御重書目録」(台帳)は、宸翰及詔勅類、御判物類、御系譜及御履歴類、御辞令書類、御家憲類、公文書及上書類、御直書類、御書翰類、御記録及御日記類、御図書類などの項目に整理されている。

 資料の概数としては、甲の御重書目録が約2,590・乙は約2,925・丙は約3,116・丁は約1,212・戊は約1万8,000・雑は約4,057点である。
 これらに稿本を含める資料概数の合計約3万2,766点である。

 このように宇和島伊達家文書は、全国的に見て数量・内容ともに充実した貴重な資料群である。

(以上、宇和島市立伊達博物館・(財)宇和島伊達文化保存会編『宇和島伊達家伝来品図録』(2007年3月20日発行)368頁より抜粋)


※以下、2013年7月、宇和島伊達文化保存会による追記

・ 上記の他、写真・典籍その他の資料が存在するが、現在未整理である。

・ 上記で示された資料点数については、「甲」「乙」「丙」「丁」「雑」と「戊」では、目録作成の主体や時期が異なり、カウントの方針に大きなズレがある(例えば、戊では包紙・封紙も含めて原則的に1点ずつにカウントする方針がとられたが、甲~雑はそうではない)。一定のカウント方法を全体に適用した上で出された数字ではないことをおことわりしておく。

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