宇和島伊達家文書・桜田家文書目録データベースについて



 目次

1. 目録検索できる資料  ※平成26年6月、「丁」のデータを追加しました。
   a. 公益財団法人宇和島伊達文化保存会所蔵 宇和島伊達家文書
   b. 宇和島市立伊達博物館所蔵 桜田家文書
2. 公開の目的
3. 利用にあたって
   a. 利用規定 (必ずお読みください)
   b. データおよびデータベースについて
4. 検索方法
   a. 時代(年号別)
   b. キーワード
5. 検索結果の表示について
6. 検索可能な資料の目録について(解説)
   a. 宇和島伊達家文書「戊」および伊達博物館蔵桜田家文書の目録について
   b. 宇和島伊達家文書「甲」「乙」「丙」の目録について
   c. 宇和島伊達家文書「丁」の目録について
7. 検索した資料を閲覧・利用するには

    データベース検索画面へ



1. 目録検索できる資料

a. 公益財団法人宇和島伊達文化保存会所蔵 宇和島伊達家文書(現在検索可能分 約27,843点)

・ もと宇和島藩主であった伊達家に伝来する文書(「御重書」と称されるもの)は、大きく「甲」「乙」「丙」「丁」「雑」「戊」の5つの分類で整理されており、このうち本データベースでは、現在、「甲」「乙」「丙」「丁」「戊」の目録を検索することが出来る。

・ 宇和島伊達家文書の全体像および本データベースにおける資料点数の表記については、こちら(宇和島伊達家文書について)を参照されたい。

b. 宇和島市立伊達博物館所蔵 桜田家文書(全 544点)

・ 桜田数馬(注1)系続のものであり、平成14(2004)年9月に御子孫より博物館へ御寄贈いただいた。

(注1)
 桜田数馬とは、桜田玄蕃(注2)の実子であるが、玄蕃の晩年に誕生し、その時にはすでに娘婿の監物が玄蕃の跡を継いでいたため、数馬は1,000石で分家した。
(注2)
 宇和島伊達家初代秀宗とともに宇和島に入府した当時の侍大将をつとめた人物


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2. 公開の目的

本目録データベースは、近世・近代における宇和島伊達家や宇和島地域についての歴史研究が今後さらなる進展をみせ、ひいては宇和島地域の活性化や歴史教育の充実に寄与することを期し、作成・公開するものである。

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3. 利用にあたって

   a. 利用規定(必ずお読みください)

・ 利用は無料である。

・ 利用にあたっては、本データベースにかかる著作権に配慮し、不正な利用や営利目的での利用を行わないこと

・ 検索結果について、無断で複製・改変・転用・転載等を行わないこと

・ 不正な利用が行われた場合、または行われようとした場合には、本データベースの利用を停止することがある。

・ 不正な利用により本データベース等に損害が生じた場合は、本会より当該不正利用者に対し、原状回復または損害賠償を求めることがある。

・ 利用者は、宇和島伊達文化保存会所蔵の宇和島伊達家文書および伊達博物館所蔵の桜田家文書を用いた研究成果を公表する際、本データベースを利用した旨を明記すること。また、公表物を1部寄贈すること

   b. データおよびデータベースについて

・目録データは、
「戊」および桜田家文書については、
1999年4月から2005年3月にかけて行われた宇和島伊達家関係史料調査(詳しくはこちら)の際に作成されたデータを用い、

「甲」「乙」「丙」「丁」については、
宇和島伊達文化保存会の職員が、既存の手書き目録の入力を行った。

今後、「雑」および「稿本」(注)についても順次目録データを追加していく予定である。

(注)
 大正時代から伊達家家記編輯所で作成された宇和島伊達家文書の筆写・編纂物。宇和島藩8代藩主伊達宗城についての編年体伝記資料「藍山公記」など約866点がある。


・ 本データベースにて公開する「甲」「乙」「丙」「丁」および「雑」(公開予定)の目録は、現在本会で資料の出納に用いているものであるが、目録作成の経緯・時期・担当者・方法・方針等については必ずしも明確ではなく、その解明は今後の課題である。また目録情報は、あくまで目録作成当時(昭和18年〜30年代および昭和50,60年代)のものである。原本照合の上修正や充実化をはかりたいところであるが、それには相当な時間を要するため、利用者による本会所蔵資料の検索・閲覧の便に供することを第一に、そのまま公開している。
 以上を了承の上利用されたい。

・ データベース化は、竹下幸一先生に行っていただいている。

・ 公開にあたっては、北海道大学情報基盤センターのご協力を得ている。
  (北海道大学情報基盤センター・オンラインデータベース内における「宇和島藩研究史料データベース」上にて公開)

・ 本データベースの利用案内(本ページ)は、公益財団法人宇和島伊達文化保存会が作成した。作成にあたっては、国文学研究資料館・東京大学史料編纂所のデータベースの利用規定・案内を参考にさせていただいた。

・ 資料目録の作成、データ化、データベース化およびその公開にあたってお世話になった方々に謹んでお礼申し上げます。

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4. 検索方法

・ 検索は、「a. 時代」「b. キーワード」ともに、目録データ上の表記との一致を基準に行います。

   a. 時代(年号別)

・ 慶長から明治までの年号ごと、および「年代不明」で検索対象をしぼることが出来ます。プルダウンで表示される項目(年代不明・各年号)を選択し、検索ボタンをクリックしてください。

・ 選択がない場合は「総て」となります。なおこの場合でも、キーワード欄(次項b.)に年号や年月日等を入力して検索すれば、ヒットします。

・ 年号を選択した場合は、目録データ上に当該年号の表記のあるものがヒットします(例えば、「明治」を選択した場合は、目録に「明治○年」などと書かれているものがすべてヒットします)。
 「年代不明」を選択した場合は、目録上に年号表記のないものが、すべてヒットします。

・ 改元の年については、改元前・改元後双方の年号でヒットするようになっています。

   b. キーワード

・ 検索したい語を入力し、検索ボタンをクリックしてください。

・ 複数の語を検索したい場合は、一語ずつスペースで区切って入力してください。検索は、and 検索と or 検索とが出来ます。キーワード入力欄の横にあるラジオボタンにて and or を選択してください。初期値は and になっています。

・ 表記一致検索のため、検索語の入力にあたっては次のことに注意してください。

   ・ 字体は新旧両様で検索してください。

 ・ 数字(アラビア数字)は、全角・半角両様で検索してください。

 ・ 年代については、和暦が基本です。ただし「戊」および桜田家文書に限り、西暦での検索が可能です。

 ・ 年月日を指定する場合は、漢数字・アラビア数字(半角・全角共)両様で検索してください。

  ・ 資料の表記をそのまま目録上に反映している場合は、主として漢数字です。
    「壱・・・」「拾」「廿」「元(年)」「正(月)」「閏」「朔(日)」「晦(日)」なども含みます。
    なお「甲」「乙」「丙」では、原題以外の年代表記は基本的にアラビア数字(半角)に直しています。

  ・ 元年については、「1」(例 慶応元・慶応1)でも検索してください。

  ・ 和暦で年を指定して検索したい場合は、「年号+数字」のみ(〜年としない)で検索してください。
   (〜歳などと表記されていたり、数字のあとに干支がつづくものなどはヒットしなくなるため)

  ・ 月を指定したい場合は、月異名でも検索してください。
   (「甲」「乙」「丙」では基本的に数字での月表示に直していますが、「戊」および桜田家文書では月異名はそのまま表記されています。)

  ・ 日については、「初浣」「望」などの表記も含んでいます。

 ・ 長音表記を含むキーワードについては、長音(ー)部分を空白にして検索してください。
   (例)「シーボルト」→「シ ボルト」で検索

・ 「a. 時代」「b. キーワード」ともに検索条件を指定した場合(時代欄で年号または「年代不明」を選択し、かつキーワード欄に検索語を入力した場合)は、and 検索をします。

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5. 検索結果の表示について

・ 表示される項目は以下のとおりです。
  「番号」「年代」「名称・表題」「形態」「作成/備考」

・ 一度に表示出来る件数は2,000件までです。2,000件を超えた場合は、「検出数が2000個を超えています。検出条件を絞ってください。」というエラーメッセージが冒頭に赤字で表示されます。

・ データベース上で識別できない文字については、「?」(半角)が表示されます。

・ まれに文字化けするケースがあります。文字化けが疑われる場合は、別のキーワードで再検索していただくと、解消します。
  (表示画面で文字化けが疑われる資料番号をコピーし、キーワード欄に貼り付けて再検索していただくなど)

・ 「戊」および桜田家文書の目録データ上では、
  判読不明箇所は、「□」印(字数が判明する場合)または「〔 〕」印(字数も不明な場合)で表記されています。

・ 「甲」「乙」「丙」「丁」の目録データ上では、
  表記できない文字については、「〓」印をいれ、その後の( )内に扁旁などの注記を行っています。

・ 「戻る」をクリックすると検索画面に戻ります。

 表示項目について

・ 本データベースの表示項目は、「戊」および桜田家文書の目録の項目をもとに作成されています。
  「戊」および桜田家文書の目録における各項目の記入方針については、こちらを参照してください。

・ 「甲」「乙」「丙」の目録は、まず「宸翰及詔勅類」「御書翰類」といった内容に分類された上、「番号」「名称」「数量」「容器」「摘要」の項目で整理されています。
  項目が「戊」および桜田家文書の目録や本データベースの表示項目とは異なるため、以下のように対応しています。なお分類その他の詳細については、こちらを参照してください。

データベース表示項目:「甲」「乙」「丙」の場合
(DB上の表示項目:もとの目録上の項目 の順で表示)

「番号」: 「番号」
「年代」: 「摘要」 (年代の多くは「摘要」欄に記入されているため)
「名称・表題」: 分類
「形態」: 空白
「作成/備考」: 「名称」 (本来は「名称・表題」で表示すべき部分。ただし、御書翰類は「名称」欄に差出人・宛先名が記入されていること、
                および表示スペースの関係から、「作成/備考」に「名称」欄をあてた)

・ 「丁」は各表示項目に対応していますが、「作成/」部分が「名称・表題」部分に併記されているケースがあります。
   (例)「宗利公日記 御祐筆所」など
  また、「形態」欄は空白になっていますが、そのほとんどは竪帳です。

 整理番号について(資料閲覧の際に必要となる請求記号)

・ 「丁」「戊」および桜田家文書の場合は、「番号」そのままで可。

・ 「甲」「乙」「丙」の場合
出納時に参照される整理番号は本来、「乙-御書翰類-黒1-1」といったように、「甲乙丙の別-分類の別-親番(黒と朱がある)-枝番-孫番・・・」となっています。

本データベースの「番号」欄での表示は、
「甲乙丙(黒番号)/-/枝番/孫番・・・」
「甲乙丙-/(朱番号)/枝番/孫番・・・」
に対応し、
分類の別は「名称・表題」欄に表示されます。

資料請求にあたっては、上述のようなデータベース上での表示項目の対応の仕方を参考にしてください。
 ※同一番号でも黒番号・朱番号で資料が異なりますので、黒・朱の違い(表示場所)にご注意ください

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6. 検索可能な資料の目録について(解説)


   a. 宇和島伊達家文書「戊」および桜田家文書の目録について

・ 本目録および目録データは、平成11年(1999)4月〜平成17年(2005)3月に行われた宇和島伊達家関係史料調査(国庫補助事業。事業主体は宇和島市立伊達博物館)において作成された。

  調査は、内田九州男愛媛大学法文学部教授(当時)が主任調査員、伊達博物館の学芸員二名が調査員となり、調査補助員として愛媛大学の大学院生・学部生・卒業生多数の参加を得て行われた。

  成果は、平成17年(2005)3月に『宇和島伊達家関係史料調査報告書』として刊行されている。

  以下の説明は、本報告書の調査報告部分から必要箇所を要約、抜粋(「」部分)したものである。

 宇和島伊達家文書「戊」について

「第二次世界大戦まで東京の伊達家旧藩邸の伊達家家記編纂所に保存されていた。
東京での戦火が激しくなったため、この史料群は宇和島へ疎開させるべく国鉄汐留駅で貨車に積み込まれた。しかし駅が空襲にあってしまい、史料群も焼失したと思われていたが、奇跡的に罹災から免れ、その後宇和島へ疎開させられたのであった。
宇和島では未整理のまま長持ち四棹に入れて保管されてきたものである。」

・ 「戊」の特徴

「戊」は、「実は伊達家の文書だけでなく、相当数の家老桜田家(注)の文書(以下「桜田家文書」とする)(保存会注 伊達博物館所蔵の桜田家文書とは異なることに注意。区別については(注)を参照のこと)を含み、この両者が渾然一体となっている。
桜田家文書には「桜田」と読める黒印が押されている場合が多いが、この印が押されていなくても内容面や人名等から伊達家文書でなく、桜田家文書と判断されるケースもある。またいずれに属した文書か判断に迷うケースも多い。
こうして今回の史料群は、それを伊達家文書、桜田家文書と区分することはせず、一括して伊達家文書として扱わざるを得なかった。」

(注)
 「桜田家は、初代玄蕃基親が伊達秀宗に従って宇和島に入り、侍大将を勤めた。石高1,950石(家禄1,700石、与力分250石)であった。
 二代監物親宣は基親の娘婿で桜田家を相続。基親死亡年に実子数馬(親茂)が生まれ、数馬は慶安4年(1651)に番頭役、翌年承応元年(1652)に新知1,000石を与えられた。
 この結果、監物基親の桜田家が本家、数馬親茂の家が分家という関係となった。
 宇和島市立伊達博物館所蔵の桜田家文書はこの数馬親茂系続の桜田家のものである。
 また伊達家文書と混清している桜田家文書は本家桜田家のものである。」


・ 「戊」に家老桜田家の文書が含まれる理由について

貼札と思われる史料(整理番号戊04-0701)に、
「明治四十三年三月 桜田ヨリ御買上紙面之内、同家へ関スル書類」
と書かれている。
この貼札らしき紙片は「もともとは書類の上に貼り付けてあったか、括りの一番上に置かれていたものであろうが、今は単独のものとなっている。そのため元の書類の分量は知り得ないが、この紙片に明治四十三年(1910)に桜田家の書類が伊達家に買い上げられたことが示されている。文面から買上書類の内、桜田家に関するものにこの紙片が付されたのであって、他の書面もあったことが推測される。恐らくこの年に桜田家の文書が一括で伊達家へ譲渡され、そして保管されていた長い年月の間に、伊達家文書と混淆してしまったのであろう。」

 宇和島市立伊達博物館所蔵 桜田家文書 についてはこちら

 調査方針(本データベースで表示される目録の項目部分を抜粋)

・ 番号(整理番号)
「「旧目録」(注)が戊01〜07の頭番号を使用していたので、これを引き継ぎ、以後ほぼ1,000点をひとまとまりとして、戊08〜戊13までを用いた。
長持ちに収納されている状態、さらにはそこからダンボール箱などへ移し替えられた状態に一定の秩序を読み取るのは不可能と判断し、史料の固まり(紐一括等)毎に番号を与え、その固まりの中では枝番号を付して処理していった。
また「旧目録」を見直した際は、既に与えられている番号はそのまま引き継ぎ、追加史料が見いだされた場合は、枝番号を与えていった。」

(注)
 宇和島伊達家関係史料調査は、平成12年度段階で一度調査組織の変更が行われている。内田九州男愛媛大学法文学部教授(当時)を主任調査員とする体制がとられたのは変更後のことであり、それ以前の調査組織のもとで作成されていた目録が、ここでいう「旧目録」にあたる。
 「旧目録」では、「1,000件ずつひとくくりとして「戊01」〜「戊07」に区分がされて」おり、また点数に関しては、「包紙が数えられていなかったり、また数点が一括で一件になっていたりした」ため、「これを包紙・封紙も含めて原則的に一点ずつにカウント」して目録の取り直しがなされた。


・ 年代(和暦)
「これは史料に記載されているものをそのまま記載することにした。年が推定出来る場合は( )内にいれることにした。」

・ 名称・表題
「これは原題を採ることとした。無表題の場合は、可能な範囲で付加することとし、その場合は( )内に入れ、また史料の記載の一部を取り入れた場合はその部分に「 」を付した。
書状・書簡は差出人の名を付して○○○○書状と記す事にした。」

・ 形態
「帳面類は、竪帳、横帳、横半帳等、一紙ものは竪紙、折紙、切紙、続紙の区別をし、また折本、帖(法帖)、巻も用いた。続紙の場合は紙の枚数を( )内に示した。さらに仮綴も用いた。
近代では、帳面類に冊子・印刷本、仮綴も加え、また罫紙を区分として用いた。
尚判別したがい場合は未記入とした。」

・ 作成・備考
「作成は、(作成者または差出人)→(宛名、受取人)で示し、備考は斜線を入れてその後に記した。」
「史料の固まりは「紐で一括」等のように、極力備考欄に注記するようにした。」

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   b. 宇和島伊達家文書「甲」「乙」「丙」の目録について


 旧宇和島藩主伊達家伝来の文書は、もとは伊達家の東京邸および宇和島邸の2ヶ所で保管されていたが、太平洋戦争の開戦後、順次東京から宇和島に移された。

 御重書目録「甲」「乙」「丙」は、昭和18(1943)年8月に東京邸から宇和島邸へ移管された文書群(朱番号のもの)と、宇和島邸在来の文書(黒番号のもの)とをあわせて、戦中および戦後しばらくあたりの時期に宇和島の伊達家事務所で作成されたものである。
 また昭和50年代以降、順次原本照合がなされ、加筆・修正がなされている。

 なお利用にあたっては、こちらの断り書きも参照されたい。

・ 「甲」「乙」「丙」は、それぞれ内容によって以下のように大別された上、「番号」「名称」「数量」「容器」「摘要」の項目で整理されている。

 甲  約2,590点
宸翰及詔勅類/御判物類/御系譜及御履歴類/御辞令書類/御家憲類/公文書及上書類/御直書類/御書翰類/御記録及御日記類/御図書類

 乙  約2,925点
宸翰及詔勅類/御系譜及御履歴類/公文書及上書類/御書翰類/御記録及御日記類/御図書類

 丙  約3,116点
御系譜及御履歴類/御辞令書類 附賞状謝状類/公文書及上書類/御書翰類/御記録及御日記類/御図書類

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   c. 宇和島伊達家文書「丁」の目録について


 丁は、藩政史料の核ともいうべき史料群である。

 昭和2年5月の伊達家による調査で「御日記類」「雑御書類」に大別して整理され、その後、昭和50年代の終わりに、史料の補修と番号の決定がなされたようである。
 史料番号は、丁1〜12が「御日記類」、丁17・18が「雑御書類」に該当する。(丁13〜16は欠番)

・「御日記類」(丁1〜丁12)は、
「御用場」「御勤方」「御小姓頭中」(明治期は「御近侍長中」)「御目付中」「御祐筆所」にて作成された「日記」「大控」「御用伝帳」である。

 ※ 参考 宇和島藩藩政職制
 以下は、愛媛教育協会北宇和部会編『宇和島吉田両藩誌』(昭和62年12月25日発行。名著出版。大正6年10月25日に発行されたものの復刻版。)中、「第三章 藩政職制」「第一節 宇和島藩」275頁、277-278頁からの抜粋である。

  勤方 「禁裏・幕府・宮家・堂上・各諸侯其他外部に対する一切の事務を管掌せり。」
  小姓頭 「近侍頭なり。藩主身辺一切の事を処理せり。数人あり。同じく月番を立て当務を処理し順番に宿直す。
        近習・小性(ママ)・医師等を差配し、鑓奉行・持弓頭・持筒頭・徒支配・野奉行・厩支配等を分任せり。」
  目付 「平時は藩中一切の監察をなし、近世刑獄の事をも管掌せり。軍陣にありては軍使を勤む。」
  祐筆 「内外筆礼の事に任ず。」


・「雑御書類」(丁17・18)は、
丁17は、 (ハ)藩公関係/(ヒ)御巡見関係/(キ)宗門関係/(ホ)法令書抜類纂/(ヲ)大控/(記)御用場 御部屋記録
丁18は、 (記)防長御出陣控ほか諸記録/(コ)御用場 公儀被仰出控/(ト)御届控/(ツ)御日記(幕末・明治)/(ユ)由緒書(家名のいろは順)  として整理されている。

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7. 検索した資料を閲覧・利用するには

 a. 公益財団法人宇和島伊達文化保存会所蔵 宇和島伊達家文書
        →公益財団法人宇和島伊達文化保存会のHP(各種申請様式)
    (注意)御重書「甲」「乙」「丙」の資料請求記号について

 b. 宇和島市立伊達博物館所蔵 桜田家文書
        →宇和島市立伊達博物館のHP(資料利用案内)

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