大東流合気柔術とは






合気柔術の特徴



   大東流合気柔術は流祖新羅三郎義光よりはじまり、会津の武田家に伝承された武術である。


   その間、幾多の変遷を経て合気柔術として大成した。


   特徴は素手、または身につけている武器で的を怪我させることなく、無抵抗化して捕捉する古流の体術である。


   時代を経過して小具足姿で武器を持たずして敵を捕捉する柔術に更に殿中を血で汚すことなく

   怪我させずに敵を捕捉する武術として研究大成された。


   居捕の多いのも特徴である。「合気」という言葉を使ったのは大東流が最初と言われる。


 


琢磨会のなりたち



   琢磨会は大東流合気柔術中興の祖、武田惣角より免許皆伝を受けた久琢磨を中心に、

   その門人が集まり創設された武道団体である。


   久琢磨は朝日新聞社在職中、昭和14年3月26日武田惣角より、その門人中唯一免許皆伝を受けた。


   その後、昭和34年関西合気道倶楽部を開設、後進の指導に当たっていたが、昭和43年に閉鎖した。


   閉鎖後も門人によって各地で稽古が続けられ、毎年合同稽古を開催していた。


   昭和50年8月24日夏合同合宿のおり、阿波池田の千葉紹隆先生のご提案により、

   久琢磨のお名前を冠して以後琢磨会と名乗ることとなった。


   このように琢磨会は合同稽古が発展して結成された武道団体である。


   発足当初7支部であったが、久琢磨他界後、会の危機感からかえって団結が強まり、

   活動が活発となり、平成6年6月現在およそ43支部を数えるようになった。


   琢磨会と他の大東流各会派との相違点は、その総伝技にある。


   久琢磨は、大阪朝日新聞社に庶務部長として勤務していたとき、植芝盛平教授代理を招いて

   大東流合気柔術の指導を受け、次いで武田惣角より指導を受けた。


   その際、基本は植芝から習っているから、応用技を教えると言われたそうである。


   これら惣角晩年の技が総伝として保存されている。


   したがって琢磨会には大東流合気柔術初伝から皆伝まで、基礎から応用まで数多くの技が伝承されている。




 大東流の由来



   口伝に寄れば、大東流は代々清和源氏に伝わっていたものを11世紀頃、新羅三郎義光が集大成した物とされている。

   義光は家伝の武術に一段の研究工夫をこらし、当時戦場で死亡した兵士の死体を解剖し、

   その骨格の組立を調べて逆極手の技を極め、さらに女郎蜘蛛がその張り巡らした細い糸の巣網の上で

   自分よりも大きな獲物と闘い、ついにがんじがらめに搦めとる手練の技に暗示を受け、

   また白拍子の舞にヒントを得て、苦心の研究の結果、合気の神髄を体得し、極意を極めたと言われている。


   義光の子孫が甲斐の武田荘に住み、武田姓を名乗ってからは、武田家家伝の武芸として代々伝えられた。

   天正2年(1574)、武田国継が会津に至り、この技法を伝えた後は会津御留技として、藩内のみに伝承された。

   会津藩では大東流を藩の御敷居内(御殿術)に改定して、家老、小姓、重臣、奥勤者及び五百石取り以上の

   御敷居内者に修得させた。

   その大東流御敷居内の指導は家老西郷家が代々勤めた。

   保科近悳(会津藩元家老西郷頼母)は、明治31年5月12日武田惣角に「もはや剣の時代は去った。


   大東流合気柔術の秘法を後世に伝える後継者はお前より他にない。」と諭し、藩の御敷居内(御殿術)を伝授した。

   惣角は小野派一刀流と大東流合気柔術をもって全国を巡業、明治、大正、昭和と三世代にわたりその普及に努めた。

   そのため、惣角は「大東流合気柔術の中興の祖」と言われている。

   惣角は昭和14年、門人の1人である久琢磨に唯一免許皆伝を許した。

   しかし、昭和18年4月25日青森において巡回指導中に客死した。

   その後、大東流合気武道宗家は武田時宗が継承し、網走の大東館で大東流合気武道総本部として

   合気柔術と小野派一刀流の指導、普及に努めた。


 


技法



   技の組立はあらゆる場面を想定している。


   技は座り技、立ち技、半座半立、後技と大別され、技の総数は2884手にのぼると言われている。


   その技法も投げ技・固め技・武器捕りと言うように、様々な方法を駆使して相手の無力化をはかっている。


   また、これらの技は合気を使えば体格、年齢、男女に関係なく非力な者でも使うことができる。


   合気には心の動きなどを利用して投げる合気技と関節の逆手経絡人体の運動法則を利用して

   投げたり固めたりする関節技、急所攻めがある。


   その全体に通ずる極意としての合気の術がある。体捌きは剣技を基本とする理合を体に表したものである。


   特に座したまま投げたり押さえたりする多くの技は、殿中での所作が特徴としてよく残っている。


   合気柔術は武術の精神と合理性に徹しながら、深い哲理と道理にかなった自然の流れに技を生み出す。


   そこに大きな魅力が生まれている。


   その場その場に対応した広い技法を持っており、合気柔術修行者は老若男女あらゆる階層に広がっている。


 


稽古



   稽古は肩稽古中心で、近代化されたスポーツではない。これも古武道としての特徴である。


   入門者及び初級者は受け身から教わり、基本技として初伝118手の一箇条居捕から稽古を行っている。


   中級者以上になると合気柔術、呼吸法、力の入れ加減、体の崩しの研究へと入っていく。


   上級者は応用動作、合気投げ、敏捷な技の対応へと研究が進んでいく。


 


技の体系



免許皆伝書と伝書によれば、久琢磨が武田惣角から伝授された大東流合気柔術の技法の目録は次の通りである。


百拾八ヶ条裏表


合気之術五拾参ヶ条裏表


秘伝奥儀参拾六ヶ条裏表


大東流合気二刀流秘伝


御信用之手八拾四ヶ条上中下


解釈総伝之事四百七拾七


皆伝之事八拾八ヶ条