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庄松ありのままの記1


 そういうおまえは義子であろう

◆ある日、庄松さんが富田村の菊蔵さんと一緒に三本松の勝覚寺さんにお詣りをしました。すると庄松さんは本堂にあがるなり、「ああ疲れた、疲れた」といって、阿弥陀様にお礼もせずに、畳の上に寝ころびました。それを見た菊蔵さんが「これこれ庄松さん、何ということかいな、御仏前に寝ころんでご無礼なことを・・」ととがめると、庄松さんは「何をいう親の家じゃ、遠慮にはおよばん」と。それでも菊蔵さんは「そうは言っても御仏前に・・」というと庄松さんが「そういうおまえは義子であろう」といわれたそうです。

◇阿弥陀仏のことを親さまと親しく呼び表します。庄松さんにとっては阿弥陀仏こそ身も心も遠慮なくゆだねられる真実の親でした。形式や作法も大切なことですが、それらを超えてみ仏に抱かれる感情こそ尊い姿といえるのではないでしょうか。私たちも菊蔵さんと同じで遠慮してしまいます。その信心の有り様を「そういうおまえは義子であろう」と指摘されたのではないかと思います。


 庄松助けるぞよ
  
◆庄松さんの檀(だん)那(な)寺(じ)である勝覚寺の住職はたいそう庄松さんを可愛がっておられたが、その寺の僧がそれをねたんで、いつか庄松さんをこらしめてやろうと思っていました。ある日、庄松さんがお寺に遊びに来たので、僧はこれ幸いと、文字の読めないことを知っていて、三部経を取り出し「これ庄松さん、おまえはたいそうありがたいお同行だそうだからこのお経をちょっと読んでみておくれよ。」とお経を庄松さんに手渡しました。すると庄松さんは、お経を押し頂いて「ああ、ありがたいありがたい、庄松よ、そのまま助けるぞよ、助けるぞよ」と読みあげてお念仏したと言います。

◇お経はお釈迦様が衆生を救いたいと説かれたものです。親鸞聖人は歎異抄の中で「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」と頂いておられます。それと同じように仏法をよろこんでいた庄松さんには、どのお経を見ても「庄松助けるぞよ」のお言葉より他になかったのです。字の読めなかった庄松さんならではのお話です。

                   
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