高知振動病裁判とイェーリング勤労クリニック近藤所長が労働者住民医療8月25日号に書いた高知振動病裁判報告記を読まれただろうか? もし未読なら、一読をお勧めする。とても痛快な報告だ。
どんな裁判かというと、振動病で労災申請を行ったKさんに対して国(労働基準監督署)が不支給決定を行った。これを不服とした裁判で勝利(一審で確定)したという裁判である。
わが国では、国民が行政を相手取って闘う、いわゆる行政訴訟で国民の側が勝つのは、昔から「ラクダが針の穴を通るより難しい」と言われている。しかも、やや専門的になるが、Kさんのケースは、同じ行政訴訟の中でも、無効確認訴訟に比べてより困難とされる取消訴訟での勝利のようである。スバラシイの一語に尽きる。
記事によると、今回の訴訟の背景として、近年、振動病の労災認定手続きにおいて、労働基準監督署が再検査指示を経て不支給決定を行うというやり方をやたらと乱発していることがある。しかも、裁判の過程で明らかとなったのは、そうしたいわば水際作戦の手法が非常に杜撰・不当なものであるということのようだ。
記事では、近藤所長は、今回の裁判で労災認定は得られたものの、このような水際作戦の不当性そのものまで認めさせるには至らなかったと報告している。だが、それでも、行政権力による被災者の受療の権利侵害に対するこのような闘いは、とても貴いものだと私は思う。権利は闘いによってしか、守ることができないからである。ここで思い出されるのは、ドイツの法学者イェーリング(1818〜1892)が彼の著作「権利のための闘争」※に残した数々の名言だ。
「権利を無視し人格を侮蔑するようなしかたでの権利侵害に対して抵抗することは、義務である。」
「権利のための闘争は、権利者の自分自身に対する義務である。」
「どんな権利者も自分の権利を守ることによって自分の倫理的生存条件を守るのだ」
「何の苦労もなしに手に入った法などというものは、コウノトリが持ってきた赤ん坊のようなものだ。」
このように彼は、われわれに「権利のための闘争」を鼓舞してやまない。
だが、ところで、以前、私は、権力が民を虫けらのように扱い、民の側がそれに断然と反撃するさいの、その心意気を「五分の虫、一寸の魂」と表現した(湧水2012年1月号)。虫には虫の意地があるというわけだが、イェーリングは上掲書序文において、カントの次の言葉を紹介してもいるのである。「みずから虫けらになる者は、あとで踏みつけられても文句は言えない」
あはは、参った(^_^;)。
※ イェーリング:権利のための闘争(村上淳一訳、岩波文庫、1982)