忘れられた日本人先月の本欄で紹介した「驚きの介護民俗学」に触発され、同書中で紹介されている民俗学者宮本常一氏の名著「忘れられた日本人」*1を読んだ。これがまた、実に面白い。この本は、1939年以来、日本全国をくまなく歩き、各地の民間伝承を調査した宮本氏が、古老たちの語るライフヒストリーをまじえて生き生きと描いた作品で、1960年に世に出た。本書は13の小編からなるが、うち2つの舞台が高知県だ。
1つは「土佐源氏」。これは、高知・愛媛の山村で馬喰*2として生きた男の一代記。今は(といっても戦前戦中ころ)梼原の橋の下で乞食をしているという男の語りである。「女と牛のことよりほかには何も知らん」というこの老人の語りはしかし、かつての山村の庶民の暮らしぶりを鮮やかに描き出してくれる。また、土佐源氏という名が示す通り、この小編では、「この老人には昼の話も夜の話も区別がなかった」と著者がいうこの男の女性遍歴が語られるのだが、これがまた、実に味わい深い。極道な人生の中に情愛を感じるというか…。私は西原理恵子の「ぼくんち」を思い出した。
もう1つ、「土佐寺川夜話」。寺川とは、今のいの町寺川。土佐最奥の村のことである。この小編では、著者が伊予小松から寺川へと向かう山道で、ハンセン病の老婆と偶然出会う話が印象的だ。「この道がまた大変な道で、あるかなきかの細道を急崖をのぼったり、橋のない川を渡ったりして木深い谷を奥へ奥へといきました。」こんな山道でなぜ出会うのか。阿波から来たという老婆は、「こういう業病で、人の歩くまともな道はあるけず、人里も通ることができないのでこうした山道ばかり歩いて来たのだ」という。私は、水俣病が奇病と恐れられた初期の頃、漁村の患者が水俣市内の病院に通うため人目を避けて通ったという「患者道」を思い出した。このような差別・忌避は、これほど露骨ではないにしても、姿を変え、現代にも見られるのである。福島原発事故の被災者が一部で受けた差別は記憶に新しい。
さて、このハンセン病の老婆がかつて歩いたと思われる、寺川から県境のシラサ峠に至る道は、今は登山道として使われており、以前に私も歩いた経験がある。また一度、この道を踏みしめてみたいと思っている。
*1宮本常一:忘れられた日本人、岩波文庫、1984年
*2馬喰:ばくろう。博労とも書く。牛馬の仲買人。